凱旋門

これはおそらく各国にあると思いますが

有名なところでは

フランスナポレオン・ボナパルトパリに作らせたエトワール凱旋門1836年

 

 

そして韓国ではつとに有名な『独立門』

 

 

独立門(どくりつもん)は、大韓民国ソウル特別市西大門区峴底洞(ヒョンジョドン)101番地の西大門独立公園(서대문 독립공원))内にある門。1896年11月21日定礎、1897年11月20日完成。徐載弼の案をもとにロシア人建築家のアファナシー・イバノビッチ・セレディン=サバチン設計施工した。扁額李完用の作品である。 

 

高さ14.28m、幅11.48m。約1,850個の御影石から作られている。フランス・パリのエトワール凱旋門を模して作られた。史跡第32号(1963年1月21日指定)。1979年に整備事業により本来の位置から北西に70m移動された。 

 

この門の隣接地かつて『迎恩門』が立っていました。

 

迎恩門とは

漢城の西大門である敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた。中国皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代のが、中国の皇帝の使者を迎えるための門であった。1407年には慕華楼という使臣のための建物が建てられていたが、1536年に金安老の建議でそのそばに「迎詔門」を立てた。しかし1539年に明の使臣で来た薛廷寵は、使臣は中国皇帝の詔書や勅書や下賜の品々を持ってくるのに、門の名前が「詔だけを迎える」ではおかしいと言いがかりをつけ、朝鮮側は名前を「迎恩門」に変えた。1606年に来た明の使臣朱之蕃が書いた門の扁額国立古宮博物館にある。 

 

さて、話を戻して、その『独立門』ですが

清からの独立を記念したものであるが、韓国民の中には、中国からの独立戦争の知名度が低く、光復節と混同する人々があとをたたず、そのために独立門はいまだに「日本からの独立」を記念する門であると誤解・勘違いしている人が多いという。

 

本当の独立門の由来は

朝鮮が何年も清国の属国であったが、神様の恩恵で独立され、朝鮮大君主陛下が今は世界の首脳と同等な立場となり、朝鮮人民が世界にまたがる自由な人になったがゆえに、このようなめでたいことを無視するのは道理ではない。朝鮮が独立したことを世界に知らせ、また朝鮮の後生に、この時から朝鮮が永遠に独立したことを伝えるためにも表迹(表象)が必要であり、また朝鮮人民が養生するには新鮮な空気を吸い、景色が良く静かな場所で運動をすべきである。慕華館に新しく独立門を建て、その周辺を公園にして千秋万歳自主独立した公園であると伝える志である。

-『独立新聞1896年7月4日「論説」

 

です。

しかし、この方も何も学習されていないようで、反日プロパガンダ、扇動のためにこんな記念撮影を

 

 

いいんですかね。

彼らの歴史教育は。

 

この独立門は前述のとおり日清戦争の結果、日本のおかげで大清帝国から独立できたことを祝った門ですよ。

 

 

また扁額は韓国人が「売国奴・親日派」と罵る、李完用さん。

 

余談ですが、李完用さんを反日ヒステリーフィルターをかけずに調べたら、彼は朝鮮にとって「真の愛国者」であったことが分かると思うのですが、反日病とは実に恐ろしき病ですね。

 

おっと、独立門に関わりすぎて「天安門」と「青春の門」に辿りつけそうもないです。