世界戦2度挑戦の黒田雅之引退 今後は介護の道へ | ボクシング・メタボリック

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モンスター”と最もスパーをした男…世界戦2度挑戦の黒田雅之引退 今後は介護の道へ

6/16(木) 18:29
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現役引退を発表した黒田雅之(中)と川崎新田ジム新田会長(左)
 ボクシングの元日本ライトフライ級・フライ級2階級制覇王者で2度の世界挑戦を経験した黒田雅之(35)=川崎新田=が16日、東京都内で会見し現役引退を発表した。2年8カ月ぶりに臨んだ1月のリングで、全勝のホープ、重里侃太朗(仲里)に判定負けしたのが最後の試合となった。今後は現役時代から携わっていた介護の仕事をする。高齢者などの介助に加え、ボクシング経験を生かしたエクササイズ指導を行う。

 「2020年10月に左肘を痛めた影響で、自分の思い描くボクシングができなくなってきた。それでも続けることはできたと思うが、それではボクシングに失礼。世界チャンピオンにはなれませんでしたが、なりたくてもなれなかった人間にしか見えない景色もきっとある。今後はそれをしっかり見ていきたい。悪くないボクシング人生でした」

 2005年5月プロデビュー。13年2月にWBAフライ級王者レベコ(アルゼンチン)、19年5月にIBFフライ級王者ムザラネ(南アフリカ)に挑んだがともに判定負けした。だが、2階級の日本王座を通算8度防衛するなど、国内のトップ選手として長く活躍。世界3団体統一バンタム級王者の井上尚弥(大橋)と誰よりも多くスパーリングを行い、12年のプロテストでもパートナーも務めた。左肘を痛めたのも、井上尚とのスパーで無理に左フックを放った時だった。

 「井上くんとたくさんスパーリングして、プロテストでも、というのは光栄です。とんでもない選手とやってきたと思う。ただ、それも引退した今だから言えること。これからは井上くんとスパーしたとか、元日本王者とか、そういうことを言われないぐらい自分を高めていきたい」と、黒田は未来を向いていた。

お疲れ様でした。2度の世界戦観戦いきましたわ。レベコ戦辺鄙な会場でした。レベコ戦レベルが一つ違いましたね。完敗ってかんじ。フロンターレの応援団とロビーにいた川崎市のマスコット?フロンターレのマスコットだったかな?試合よりそっちのほうが印象強い。2度目はホールでしたが、こちらもムラザネに終盤に少しチャンスがあった様な、、、
なにより北側で叫びまくっていた女性のほうが試合より印象に残ってますわ。
今度は介護ですか、黒田さんの優しい感じからするとあってそうな感じです。お疲れ様でした。