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“浪速のロッキー”赤井英和(左)にKO勝ちした大和田正春さん(C)日刊ゲンダイ
ちょうど30年前、今は俳優として活躍し、当時は“浪速のロッキー”と呼ばれ、ウエルター級の世界王者を目指していた赤井英和をKOで破り、引退に追い込んだハードパンチャーがいた。褐色の肌に、スキンヘッドに口ひげという風貌から、付いたニックネームが“和製マービン・ハグラー”。大和田正春さん(54)は今、どうしているのか。
「ウチは電車の駆動系部品とか電子部品、精密医療機器、それにプラスチック製品やアルミ製品の表面加工処理をやるメッキ加工会社なんだ。定時制高校進学と同時に、当時は板橋区熊野町にあったこの会社に入社しただろう。つまり、勤続して38年になる。ベテラン社員だね、ハハハ」
埼玉県狭山市の西武新宿線狭山市駅からクルマで10分の高松電鍍工業で会った大和田さん、まずはこう言った。名刺には「製造部 次長」とある。
「現場のラインに立ちながら、約20人の工員さんの作業と品質管理が担当だね。朝は早い。始業の2時間前、6時半には出勤し、メッキ加工用のボイラーに火を入れたり、加工前の製品のチェックをしなきゃならないから。あと、メッキ工場は暑さと闘わなくちゃならない。メッキ用大型プールに入った硫酸とニッケルがベースの特殊溶液は55度前後。真夏、そのそばで働くのを想像してくれ。ダラダラなんて表現がまるで追いつかないほど汗が滴るよ」
景気はどうなのか?
「ウーン、正直、甘くはない。ただ、ウチは下地と加工の処理に他社がマネできないひと工夫があり、メッキがきれいで剥がれにくい、って評判がいいんだ。
やっぱり最終的には品質がモノをいうってこと」
■伝説の赤井英和戦を振り返る
さて、在日米軍兵士だった黒人の父と日本人の母の間に生まれた大和田さんは、都立牛込商業高校(現・千早高校)に進学。会社の先輩に誘われ、ボクシングを始めた。階級はジュニアライト級。東日本新人王決勝までコマを進め、勝つも負けるもKO決着が多く、ファンを熱くさせた。
ウエルター級に階級を上げ、赤井英和と対戦したのは85年2月5日。完全アウェーの大阪府立体育会館だった。
「赤井は練習不足や減量苦で最初からいつもと違ってた。で、3ラウンド12秒、右フックが赤井のこめかみにバコンって感じで決まってね。
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ボクの右薬指が骨折したくらいものスゴい衝撃で、これが赤井の脳出血の原因になったらしい」
試合は大和田さんの7ラウンドKO勝ち。担架で控室に運ばれた赤井は、そのまま病院に直行。危篤状態だったが、4時間余の開頭手術の結果、奇跡的に一命を取り留めた。
「試合が終わった後、赤井ファンに殺されるんじゃないかと思うくらい、体育館全体が異様に殺気立ってたのを覚えてる。関係者やガードマンに守られ、急いでホテルに戻った。テレビのスポーツニュースじゃ試合の様子を何度も放送するし、正直、(赤井が)マジでヤバいかな、って不安は募る一方だった」
その試合は赤井が俳優として認められた映画「どついたるねん」(阪本順治監督)で再現され、大和田さんと競演が実現。
大きな話題になった。
「ホント、生きててくれてよかった。万が一のことになってたら、赤井はもちろん、自分の人生もどうなってたかわからない。1歳年上の奥さんとは、赤井戦のすぐ後に結婚するのが決まってたんだ」
その後、大和田さんはミドル級の日本王者になり、5回の防衛を果たすも88年3月、網膜剥離で引退した。
「今は市内の多寿満ボクシングで週末、トレーナーとして若い選手の面倒を見てる。世界に羽ばたくボクサーを育てたいね」
狭山市内のマンションに夫人と2人暮らしだ。
懐かしいですね、大和田さん。赤井さんは近代の監督やライザックのCMで近況は良く知られてますが、大和田さんは引退後は殆ど話題になりませんでしたからね。最近出版された浪速のロッキーを捨てた男でも少しだけ触れられてましたが。こうしてお元気な写真をみると古いファンは嬉しいですね。
1985年2月のこの試合はファンの記憶に残っているでしょう。私はこのとき修学旅行中のホテルで結果と赤井の状況をテレビで知ったんですよね。余談ですが部屋が暑く少し窓を開けて寝たら夜中に股間から尻にかけて冷たい、布団も濡れている、まさかこの年で寝小便・・・と焦っていると窓の隙間から雪が吹き込んでいて、隣で寝ていた級友の枕の上には雪が積もっていて、一安心。という事もありましたが。
大和田さんのこの次の試合、当時はテレ朝のエキサイトボクシングで放送してくれたんです。黄色のトランクスで相手の飛鳥良(りょう)選手ノーランカー前戦で赤井選手を倒した大和田さんが難なく勝つでしょうと思っていたらガラスの顎をうたれKO負け。勝つも負けるもKOの大和田さんでしたからこういう事もあるんでしょうが、これもびっくりしたのを覚えてます。お元気そうで何よりです。またいつかジム会長かトレーナーとしてホールでお目にかかりたいものです。
恒成、スピード戴冠の次なる目標は…合コン? 最速王座から一夜
国内最速の世界王座獲得を報じた31日付本紙大阪版を手に笑顔の田中
Photo By スポニチ
国内最速のプロ5戦目で世界王座を獲得したWBO世界ミニマム級王者の田中恒成(19=畑中)が激闘から一夜明け、愛知県春日井市であらためて喜びを語った。右まぶたを腫らし、酷使した右足も筋肉痛だという。「まだ実感ないです。多分このまま実感が湧かないような気がします」。緊張から解放され、独特のほんわかムードを漂わせた。
次戦は防衛戦が有力で、畑中清詞会長は「名古屋でやりたい」と話した。注目されるIBF王者・高山勝成(32=仲里)との統一戦はそれぞれの指名試合をクリアし、環境が整えば検討する方針だ。
スピード戴冠の次の目標はキャンパスライフの充実だ。昨春に中京大に進学したが、岐阜・中京高時代と変わらぬボクシング漬けの日々。夢の世界ベルトを巻き、今後は勉学にも力を入れ、交遊の場も広げていく。「合コン?(ボクシングの)練習は夜なので…。あまり考えたことはないけど1回ぐらいはそんな機会があってもいいかな」。6月15日に20歳。世界王座とは違って遅めの合コンデビューながら、ここでも自慢のフットワークとハンドスピードを発揮したい。
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[ 2015年6月1日 05:30 ]