私自身が登校拒否
(30年前は不登校をそう呼んでた)
だった頃から思ってたんだけど…
登校拒否にしろ、
今の不登校にしろ、
なにしろイメージが暗い😩
それ自体は
全然悪いことではないのに、
言葉の持つイメージから
周りの捉え方はもちろん、
本人もポジティブに考えにくい
残念な状況になってる気がする〜。
そもそも
「不」とか「拒否」
って言葉自体、
いい印象ってなんモンね!
ただ単に
学校行く行かない話ではないだとしたら、
なおさら
何か明るいイメージや
ポジティブな言葉
に置き換えていけないモンだろーか🤔
って思うのは、
おそらく私だけではないはず
そこで思いついたのが、
チューザー
もともとは
「不登校を選択してるのは子ども」
という意味合いから。
そこから発展して
「選択的不登校」というのから、
英語で「選ぶ=choose(チューズ)」
そして
選ぶ人=chooser(チューザー)
に。
不登校っていうのは、
「学校側から見た」呼び方な気がする。
本人が選んだというより、
「人に決められた」呼び方とも言えるよね。
だから、
何か本人のパワーが感じられない!
もしある枠に当てはめるにしても、
当事者のパワーが
感じられる呼び方
だったらいいな
力が湧いてくるような、
自分自身を誇りに思えるような
そんな呼び方。
比べてみてほしい。
「私、不登校なんだよね」
「私はチューザーだから、学校行ってない」
どっちが、
より本人の意志が感じられる??
チューザーのほうが
軽やかだし、
自分で決めてる感があるよね👍✨
不登校になる経緯は
子どもそれぞれに違う。
学校に行かない時の
過ごし方も、
これまたそれぞれだよね。
どんな背景や経緯があっても、
共通しているのは
本人が登校しないと決めたこと。
だったら
その決めたチカラを感じられる存在なんだし、
自分にドッシリ軸を据えた感を
いつも感じていられるようにしたいよね
日常的に言われる呼び方こそ、
ホントは
もっと注意を払われるべきもの…
なんじゃないかなぁ〜と。
チューザー、
「それ、採用٩(ˊᗜˋ*)و🌈🌈」
と思ったら、
さっそく使ってみてね🤗🍀🍀
そんなチカラが湧いてくる呼び方、
どんどん広まってほしいな🌈🌈🌈