不登校といえば…

私は中学2年途中から不登校になり、

中学は半分しか登校しなかった。。。。

 

 

それから、35年余り経つ。

四半世紀以上の時間が過ぎた!

 

 

そして、

小中学児童の不登校人口は

2022年度29万9000人になり、

ほぼ30万人。

 

 



 

 

(フリースクールなどの選択肢は増えたものの)

にも関わらず、

最近目にしたり耳にしたりする情報や

学校・親の捉え方は

根本的には35年前と

大きくは変わっていない気がしてる。

 

そう、

情報やテクノロジーが進歩しても

人の気持ちや意識というのは

なかなか変わらないものなんだ…

というのを物語る事実でもある。

 

 

 


 

なんで35年前と

さほど変わっていないように見えるかというと、

それは人や社会の

「捉え方」が変化していないから。

 


不登校人口は年々増えているのに、

不登校=問題

不登校=登校するのが望ましい

という風潮はまだまだある。


⬆️

この図式に囚われているから、

そこを基盤にした展開に留まっている。

 

学校や教育という括りで

不登校を見たら、

そこから離れられないのが普通。

 

でも…

それで迷宮入りしているとしたら、

別の角度から見てみては??

 

 

 





 

学校の現場で起きているから

『管轄=学校であり教育』

と感じてしまうもの。

 

けれど、

別角度から見てみると、

それは

『生き方』であり

『価値観』ひいては『人生』

というふうに捉えられるかもしれない。

 

となったら、

とても学校だけの話ではないことが判る。

 

 

 

 

そんな人の根幹に関わる部分にまで

大きく及んでいるとしたら、

逆に言えば

学校だけでなんとかなる話ではないよね。

 

実際

私自身のことを振り返ってみても、

不登校の時期は

真剣勝負だったと思う。

 

自分が

大切に思っていることを貫く…

そんな真摯なひたむきさで

毎日を過ごしていたなぁ。

 (自分が追求していきたいこと、

  個性を大事にしたい、とか)

 





 

 

こうして少し振り返ってみても、

不登校=生き方

に通ずる要素は大きいのだと

改めて感じるなぁ。

 


だから

一朝一夕でどうにかなるものでもなければ、

そもそも

「不登校は問題なのか!?」

という疑問が湧いて来ないかな??

 

 

 

 

「不登校→通常登校すること」

というのがゴールではなく、


「結果的な副産物」だとしたら、

もしかしたら 

ちょっとは気が楽になるかも。。。

 


不登校によって、

子どもが

自分の可能性を広げる時期

だとしたら、

どんなふうに見え方が変わるかな??

 


私も場合も

そのキッカケは不本意ないじめだったけれど、

結局 それ以上に深く自分に向き合って

可能性を広げる時期になった。

 

 

 

 

不登校って、

普通に学校に行って卒業して

就職して生きてらっしゃる親御さんから見ると、

まさに未体験ゾーンだから

(自分には)分からない恐怖があると思う。

 


私の親もその典型で、

自分が歩んできたように

「安全な道を行けばいい」

という生き方を、

私にも望んでいた。

(それは親が子を想う愛情がゆえに)

 


けど、

子どもの立場からすると

「それが出来たら不登校にはなってないわ!」

てなもんで(笑)

当時はその親の愛情も

頭では分かっていても、

どこか腑に落ちない気がしていた。

 

 

 

 

こんなふうな角度で見ると

「不登校=生き方」というのも、

ちょっとイメージがついてきたかな。

どうかな。


 

大人でも

「この先どう生きていこうか」

と考えてもなかなか輪郭が見えないように、

不登校の子どもが学校に行けない理由も

それと同じようなもの…と思えば、

ハッキリしていなくて

普通なんだよね。

 

 

 

 

性格も十人十色なように、

生き方もそれぞれに違う。

 

親子と言えども、

得意不得意も

趣味も違うなら、

生き方だって当然違っていい。

 

そう見ることができたら、

不登校をちょっと大きく捉えて

気持ちが楽になるといいなぁ〜と、

元不登校で

自身の子どもも半不登校だった私は思うのデス。