危急の際や大ピンチの時には、職を失う程の覚悟があってこそ、活路が開けてくる
危急の際や大ピンチの時には、職を失う程の覚悟があってこそ、活路が開けてくる
自分の望みをかなえたいのなら、まずは他人の身が立つように振舞え。それが自分の身を立てる近道
自分の目標に近づこうと思えば、自分自身の事を頑張るのは通常の姿。
そこに他人の力、協力が加われば、目標達成の可能性は高まる。
しょせん一人で出来る事は知れている。
地位の違いや役目の違いを乗り越えて、主体的に力を貸してくれる人の力が一番強力。
力を貸してくれた人に対しては、
返報する心、貸しを作ってしまった心で臨むのが世の習い。
人を立てれば、自分も引っ張ってもらい、後押ししてもらえる。
言葉一つで、それまでに築いた信用や地位を失う人は多い。ぐっと噛み締め、腹が立っている時は口を開かない方がよい
腹が立つことを言われた時に、その場で的確なことを言い返せるのは、前々から準備していた言葉がある人。
怒りに任せて口を開いても、大した事がいえない上に、思わぬ言葉が口から出てしまう。
一晩おいて、じっくり考えれば、口にしていのかダメなのかが、
ちゃんと損得勘定した上で判断できる。
必ず、必達、後には引かぬ。 そんな一念を持っていれば、出来ない事などない
柔軟性と貫徹性。
どちらが大事かと問われれば、柔軟性と答える人が多く、何かを貫き通す事の難しさの裏返し。
決して諦めず、コツコツと積み上げる事ができる資質は、簡単には身に付かない。
同じことを来る日も来る日も繰り返す事は難しい
しかし、独創性やアイデアが無いほとんどの人が、結果を出すために必要なのが、まさにこの資質。
A ROLLING STONE GATHERS NO MOSS
度々転職していたら、自分に力が付かない。価値が付かない
いいように取れば、動く事でサビ付かず、いつまでも活き活きしている
日本では普通 「動く事でエネルギーを使い果たし、肝心なものが身に付かない。身に付く前に動いたらダメ」
しかし、全て結果を受けて動く事の成否が決まる。
嫌なところにいても心が死んでく。 「次のところで頑張ろう」という意欲が無くなる
「どこに行っても嫌な事や嫌な人は居る」・・・・・・。
何がいいのか分からない。 縁があれば動けばいい。 縁を呼び込むためには普段から動いていないと呼び込めない。
動く事。動かない事。 「自己責任」 が強く心にしみこんでいれば、結果を受け入れ易いことだけは確実
同じことを繰り返し行えば、自分が持って生まれてきた性質、技術のように身に付く
(ギリシャの哲学者の言葉)
来る日も来るにも同じことを繰り返せば、刺激が無くなり面白くない。
そんな緩んだ状態では自分の考える頭まで失ってしまう。(考える事を止めないとやっていけない)
同じことを繰り返し、新鮮な気持ちを保つことは至難。
仕事の8~9割は同じ事の繰り返し。
同じことを同じ気持ち、姿勢、態度で行えるのは最上級的に大切な要素。
同じことの中に何かを見つけ、「まだまだ」と早計な行動を起さず、身の振り方をコントロールする。
少なくなった身の振り方。
全ての事が激しく移り変わる。絶対は無い。安心するな。腐ってあきらめるな。
いいときがあれば悪いときもあるのが仕事の世界。
これを深く根付かせる事ができれば、
油断ぜず、おごらず、あきらめずに現実を受け入れることができる。
楽な気持ちで自分を客観視する事ができる。
事の善悪は考えず、ひたすら他人に意見、行動に従う
これはこれですごい身の振り方。
意見、考えがない人なんて居ない。
自分の意見を腹に押し込み、ただひたすらに従うって、ある意味凄みがあるかもしれない。
やり切れればの話だけど。
大概は途中で嫌になるか、心が疲れ果ててなんらかの問題が起きる。
心の支えがないとひたすらに従うことはきついと思います。
「本当の正しい事、筋が通った事が何かを分かっているのに行動に移れないのは、勇気の欠如」
読んで字のごとくで当たり前の事ですが、どことなく心に残ることわざです。
人としての取るべき道は分かっていても、会社に雇われる身としては、
会社への忠誠という 『義』 を優先してしまいます。
義の大きさを秤にかけた判断が取れればいいのですが、そうそう簡単にはいきません。
しかし、事が起きれば刑務所に入るのか否かは、最低限の軸にそえたいと思います。
「大きな事を成し遂げようと思えば、細かな事は気に掛けずに行動すべき」
何かを成し遂げたいという話の対象物は、簡単に達成できるようなものでは無いはず。
大きなものを手に入れるには、高い視点を保ち、大またで歩き、目標を見失わないようにする必要がある。
日常の小さなことや小さな人物の戯言は軽く流していかないと、足が止まり、視点が低く成り過ぎ、
いつの間にか到達する場所も見えなくなるって事だと思います。