ジャッキーチェンの息子、ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)はアメリカ生まれ。ミュージシャンでデビューし、その後、俳優業もスタート。さらには監督業にも挑戦。先ごろ、ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)初の監督作品も公開されました。今回のジョブ・リサーチは特別編「ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)」について、まとめてみます。

 

ジョブリサーチに掲載されている記事はアフィリエイト、広告収入等を目的として取材費や制作費、あるいは掲載費などをいただき、制作されたタイアップ企画です。

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)とは?

派手なカンフーアクションとコミカルな演技で観客を楽しませてくれるのが香港映画のイメージではないでしょうか。香港映画界の代表的なスターといえば、ジャッキーチェン(成龍)です。ジャッキーチェン登場以前のカンフー映画はブルース・リーの映画のようなシリアスなテーマ、ストーリーが多かったのですが、ジャッキーチェンはアクションだけでなく、コミカルな動きやストーリーでカンフー映画の中に笑いを取り込みました。

 

スタントマン出身のジャッキーチェンはこれまでスタントマンなしでは困難だったであろうアクションも自らの肉体の限界に挑み、取り組んできたことでも知られています。そのジャッキーチェンの息子が俳優のジェイシー・チャン(Jaycee Chan)です。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)の生い立ち

ジャッキーチェンに息子がいたの?ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)って名前。聞いたことがない、という人もいらっしゃるでしょう。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は1982年、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスでジャッキー・チェンと台湾を代表する女優だったジョアン・リン(林鳳嬌)との間に生まれました。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)が生まれたとき、父親であるジャッキーチェンは香港映画界の大スターとなっており、多忙な毎日でした。「スネーキーモンキー 蛇拳」「ドランクモンキー 酔拳」「カンニング・モンキー 天中拳」「クレージーモンキー 笑拳」といったシリーズで一躍、スターダムへ。そしてアメリカ進出で「キャノンボール」を公開。その人気がアジアのみならず全世界に広がりつつある時代です。

 

ジャッキーチェンはマスコミにプライベートを狙われていたことから、当時はロスアンゼルスでジョアン・リンと結婚式を挙げたことは極秘とされていました。また、ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)の存在も隠されていたといいます。 

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)の母親、ジョアン・リンはジェイシー・チャン(Jaycee Chan)を生んだあと、台湾芸能界を引退。ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は母親のジョアン・リンと二人、カリフォルニア州ロサンゼルスで過ごしました。というのも父親であるジャッキー・チェンは香港で多忙な生活を送っていたことに加えて大スターとなっていたジャッキー・チェンがマスコミにもプライベートを狙われていたということもあり、ジャッキー・チェンと家族とは一定の距離が保たれていました。

 

そのため、ジャッキー・チェンは息子であるジェイシー・チャン(Jaycee Chan)に会いたくても簡単には会えない状況にあったようです。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan、房祖名)はなぜチャンなのか?

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)はジャッキーチェン(Jacky Chan)の息子ですが、日本語の表記は「チェン」ではなく、「チャン」です。「ジャッキーチェン」が日本で紹介されたとき、「ジャッキーちゃん」と勘違いされないよう、読みを「チェン」にしたそうです。

 

しかし、息子のジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は最初から「チャン」という名字で表記されました。漢字では「房祖名」と表記されていますが、どこにも「陳(チャン)」がありません。ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)の「Chan」は出生名、つまり生まれたときに名付けられた「陳祖明」という名前からきています。ちなみにジャッキーチェンも漢字表記の名前は「房仕龍」で出生名は「陳港生」です。

 

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)の幼少期からデビューまで

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は幼い頃から、カンフーなどのアクションには興味を持っていなかったそうです。しかし、映画と演劇に関心を持ち、カリフォルニア州のサンタモニカ・ハイスクールに進学しました。

 

サンタモニカ・ハイスクールはチャーリー・シーンやショーン・ペン、ロバート・ダウニージュニアなどの大物俳優も卒業した名門校です。その中でジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は俳優養成クラスの授業を選択しました。同校の著名な演劇の講師であるDebiie Allenさんの下で、ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は5年間学んだそうです。また在学中の3年間はギターを学んでいます。

 

その後、ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は米国ヴァージニア州ウイリアムズバーグにあるウイリアム・アンド・メアリー・カレッジに進学します。この大学はアメリカではハーバード大学に次ぐ2番目に古い歴史を持つ名門大学であり、入学難易度は最難関ランク。トーマス・ジェファーソン、ジェームス・モンロー、ジョン・タイラーという3人のアメリカ大統領の母校として知られています。

 

しかし、ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)はエリートの道を選ぶことはなく、1年を終えたところで同校を退学してしまいます。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は2003年、香港に居を移します。そこからアーティスト、ジェイシー・チャン(房祖名、Jaycee Chan)としての活動をスタートさせます。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)のデビューはミュージシャンとして

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は「房祖明 Jaycee」というタイトルのCDを2004年9月にリリースし、デビューします。ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)がデビューするにあたって師事したのは台湾の人気アーティスト、ジョナサン・リー(李宗盛)です。

ジョナサン・リーは1980年代から90年代にかけて、ヒット曲を連発し、「百万制作人」と呼ばれていた存在。ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)はそのジョナサン・リーから歌唱法などを指導されています。

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)のデビューアルバム収録曲13曲中、10曲がジェイシー・チャン(Jaycee Chan)自身の手によるもので、このアルバムのリリースで、アジアの男性新人ボーカリストとして多くの賞を受賞しています。

またデビュー翌年の2005年9月、上海で開催されたジャッキーチェン主催のチャリティーコンサートではジェイシー・チャン(Jaycee Chan)とジョナサン・リーが共演しました。

 

It will feature guest appearances by his son Jaycee Chan, along with Emil Chou, Jonathan Lee, Huang Pinyuan, Zhang Huimei, Kim Hee Sun, Tarcy Su, Cecilia Cheung and Ruby Lin.

Jackie Chan to Hold Charity Concert in Shanghai(チャイナネット)

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)の俳優活動も2004年から

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は2004年、俳優としてのデビューも果たします。ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は2004年8月に公開された「花都大戦 ツインズ・エフェクトII」は主役に抜擢され、父親譲りのアクションと演技が注目されました。

 

この作品でもう一つ話題になったことは父親であるジャッキーチェンと共演したことです。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)はデビュー作でアクションを見せましたが、ですが、父親であるジャッキーチェンとは演技に対する姿勢が異なり、アクションについては積極的にやりたい方ではないようです。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は出演作「インビジブル・ターゲット」の日本公開で2008年に来日しています。初日の舞台挨拶で、ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)はそのことをインタビューで語っています。

ジェイシーは「本当はこの映画、やりたくなかったんだ。アクションが多くて怖いから…」と告白。「最初は人情もののストーリーだと思ったんだけど、監督にだまされた。途中から殴られるシーンが入ってきたんだよ」と苦笑いを浮かべ、さらに「殴られるなら殴る方がいいでしょ?」とおどけてみせた。

 

ジャッキー・チェンの息子ジェイシーは「アクションが怖い…」(オリコンニュース)

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)俳優としてジャッキーチェンと共演

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は今日まで20作以上の映画に出演しています。日本で公開されたものはデビュー作となった2004年の「花都大戦 ツインズ・エフェクト2 (千機變 II 花都大戰)」、2007年の「インビジブル・ターゲット (男兒本色)」、2011年の「1911 (辛亥革命)」、2016年の「レイルロード・タイガー (鉄道飛虎)」の4作品です。

 

2011年の「1911 (辛亥革命)」、2016年の「レイルロード・タイガー (鉄道飛虎)」では父親であるジャッキーチェンと共演しています。

 

父親のジャッキーチェンとは違った形での共演も果たしています。2012年に公開された映画「ライジング・ドラゴン」のエンディング曲「I Don’t Want No Trouble」を作曲したのはジェイシー・チャン(Jaycee Chan)でした。

 

世界的なアクションスターのジャッキーチェンが父親なので、「親の七光り」とバッシングされることを恐れ、ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)はジャッキーチェンと共演することはあっても、微妙な距離を保ち続けていたといいます。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)はデビューアルバムでほとんどの曲を作曲するほどの音楽的才能があり、ジャッキーチェンの映画への楽曲も求められていたそうです。この楽曲提供を決めたのは「ライジング・ドラゴン」が父親であるジャッキーチェンのアクションの集大成となる作品だったからでした。

 

楽曲は「酔拳」や「ポリスストーリー」など、ジャッキーの歴代代表作の音楽も巧みに取り入れている。ジャッキーにとっては、息子の真心がうれしい一作だ。

 

ジャッキー・チェンの最新作に息子のジェイシー・チャンが楽曲提供!アクション引退を慰労して―香港(Record China)

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は監督業にも挑戦

今年2021年4月、中国で映画「北京愛情図鑑(別タイトル:北京·晚九朝五、Good Night Beijing)」が公開されました。この映画はジェイシー・チャン(Jaycee Chan)にとって初の監督作品です。

 

これまでに2013年に公開された「了不起的周先生(日本未公開作品)」でアクション監督をしたことはありますが、映画1作品を監督するのは初めてのことでした。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)が監督したこの作品は中国の首都、北京で夢を追いかけて奮闘する若者たちを描いたものです。主演は台湾の人気俳優チェン・ボーリン(陳柏霖)と歌手・女優のアンバー・クオ(郭采潔)。ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)の父親であるジャッキーチェンや香港の人気俳優で映画監督・プロデューサーとしても有名なエリック・ツァン (曾志偉)、香港の人気俳優で歌手のニコラス・ツェー(謝霆鋒)といったアジアのトップスターがこの映画に友情出演しています。

 

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)がメガホンをとったからこそ実現したキャスティングだといえるのではないでしょうか。アジアの大スターたちで制作されたこの作品ですが、日本公開の予定は今のところ、ないようなのです。しかし、ブルーレイやDVD、映像配信などでいずれ見ることができるようになるかもしれません。それまではYouTubeで公開されている中国版の予告編を楽しみましょう。

 

 


まとめ

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)は数年前までは台湾の台北市で母親のジョアン・リンと共に生活していました。2020年からは居を再び生まれ故郷の米国カリフォルニア州ロサンゼルスに移しています。

 

俳優業だけでなく監督業にも挑戦し始めたジェイシー・チャン(Jaycee Chan)。
父親のジャッキーチェンも映画監督として、数々の傑作を世に送り出しています。父親のジャッキーチェンと同じ道を歩み始めているといえるでしょう。ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)の次作に期待が寄せられています。

ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)のプロフィール

本名:ジェイシー・チャン(Jaycee Chan)

名前:    房祖名、陳祖明

出生名:陳祖明

英語名:Jaycee Chan, Jaycee Fong

出身地:香港

中国における先祖の出身地(祖籍):中国安徽省和県

生誕:1982年12月3日 米国カリフォルニア州ロサンゼルス

職業:歌手、俳優、映画監督

担当楽器:ギター

レーベル:EEG
活動期間:2004-

親:ジャッキー・チェン、ジョアン・リン

Facebook https://www.facebook.com/Jaycee/

Instagram https://www.instagram.com/jaycee_chan/

本特集記事はPRです。