先日キッチンの流しのディスポーザーを交換しました。
1年ほど前からスイッチの入りが悪くなったのがストレスだったのに、延ばし延ばしで…やっと思い切って買い換えることにしました。
交換となれば、流し台の下の引き出し(洗剤とか入ってるところ)を片づけないと…あー面倒くさい(>_<)
作業の人が入るとなると、流し台から見渡せるダイニングテーブルの上、リビングの散らかりようも気になる(>_<)
そんなことどうでもいいじゃない、と思うところが気になる見栄っ張りな性分で…
それが嫌で先延ばししてきたようなもの。
流し台と目につくガス台だけはきれいに磨いて、リビングも見えるところだけなんとか誤魔化して片付けて、いよいよ交換作業当日。
前の用事を済ませて急いで帰宅すると、リーン
「すいませ~ん、前の作業が押しちゃって、2時間位遅れそうなんですが…」
作業に来る人のイメージとして、ちょっと汚れたツナギを着たおじさんを想像。
「2時間?急いで帰って来たのにィ、何だよ」と心の中で呟きながら、「エーッ?ハイ」待つしかないや、ヤレヤレ
それじゃ、もう少し片付けるか。TV見ながらタラタラと待つこと2時間…
5時近くに下のインターホンから「遅くなってすみませ~ん」
「ン?」モニターに映った顔、意外に若い
玄関のピンポーンでドアを開けると、ツナギのおじさんではなくて、普通のビジネスパンツにマンション管理会社の制服を着た20~30代の割とイケメン
「すいません、遅くなって」」「すぐ始めますから」
「あ、ハイ、お願いします」(怒)の気持ちはトーンダウン
「前の人が流し台をリフォームされて、ディスポーザーか入らなくなっちゃったんですよ。それで遅れちゃって….すみません」
「まぁ大変ですね。(リフォームされた方にはお気の毒ですが) オホホホホ」なんて愛想笑い。この時点で2時間の遅れ、許しちゃってる自分
"Beauty opens every door" って誰かの格言になかったっけ?と常々密かに思う。私だけ?
「じゃ。この引き出し外させてもらって、こっちへ置いていいですか?」リビングの空きスペースへ運ぶ。
「しまった!そこまで入られると思わなかったから、大きな袋を見えないように隠したのがバレる 」
「あー、そ、そこの壁際の大きな綿ぼこり、気がつかないでー」
そんなこんなで無事に作業終了!
旧いのより静音で、快適 。交換してよかったー!
結局その後、隠した大袋の中身を開けて整理。手をつければサッサと終わるのに放っておいた時間の長かったこと
掃除機もかけて綿ぼこりもスッキリ
ディスポーザー交換のお陰で、流しもガス台も、ダイニングテーブルの上もリビングもきれいになってる
外から入って来た力の作用、有り難し
最初から自分でやればいいじゃんて?それができれば私の人生変わってましたよ
昔から来客があると家の中がきれいになると亡夫に言われてました。変わらないです
自分の内からやる気のエネルギーが出ない時、外の力に助けられること多いんです。
身近な家族や友人の助けだけじゃなくて、今度の作業の人の作用とか。
いつもカットに行ってるスタイリストさん。会話が上手くて髪も(気分も)持ち上げてくれる、持ち上げてくれる
いつも懇切丁寧に説明してくれる銀行の担当者さん !?(・_・;?。自分の馬鹿さが嫌で、行くのが億劫だなーと思うけど、行って話を聞いてくると、少し賢くなって気持ちがシャンとする。
父からの頼み事、疲れててウゥッと思うこともあるけれど、それをすることで今の私の役割を果たさせてもらってる。
会社勤めしてる頃は、仕事嫌だなーと思ってた。お給料もらうだけでなくて、嫌だと思うことをやることで、社会の中で責任を果たす役割を与えられてたのかもね、なんて最近になってチト思う。
外からの力で持ち上げてもらったり、人のために嫌だなと思うことをすることで、自分が生かされてる。
人っていう字は互いに支えあってるって言うけど本当だなと思う。
外の人にとってみれば私はお客さん。お金払ってるから持ち上げてもくれる訳だけど、お返しに気分を持ち上げてもらったりもしてる。
人と人とはお互い様、Give and Take で気付かぬところで互いに支え合ってるのよね、なんて最近思います。
外の力借りてもいいや、持ち上げてもらった分また頑張ろう。自分もなんか役に立ってるかもしれないし。
散歩の途中、あまりに鮮やかな色なので、よそのお宅のでしたがパチリ!させていただきました。
皆さま、よい週末を!