Run For Your Life | Diary

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The way I am…

国吉康雄という人の展覧会を観ました。

絵を描く友だちに「好きな画家なの。よかったら見てみて」と言われて、ちょうど横浜についでもあり行ってみた、会場に入って初めて国吉という画家のプロフィールを読んで興味を持った。そんな入りかたでした。

 

 

 

 

国吉康雄 (1889-1953) は16歳でアメリカに渡り、ニューヨークで絵を学んだ画家です。2つの大戦、人種差別、反共の時代の赤狩りなど激動の20世紀前半を、アメリカで外国人として過ごしました。敵性外国人になるなど、一夜にして価値観が逆転するような経験もしています。

 

それでもアメリカの民主主義を信じ、日本の軍国主義を批判する声明を出したり、仲間たちと反ファシズムなどの社会的活動をしました。ヨーロッパとは違うアメリカン・アーツの発展に貢献し、1952年にはアメリカを代表する画家としてヴェネチア・ビエンナーレの会場に作品を飾っています。

 

会場に入って最初に展示されている作品がチラシの上部にある、巨大なカマキリとコオロギに襲われそうになって走る少女の絵で、タイトルが「Little Girl Run For Your Life (邦題 少女よ、お前の命のために走れ)」です。展示はこの少女と共に「命のために走れ」の謎解きをしていくことになります。

 

国吉の絵は好きか?と聞かれると、?ですが、国吉の経験したことを知って、彼の人生を思いながら絵を観ると、いろいろ感じるところがありました。絵のことはよくわからないので、よくそういう見方をしてしまいます。

 

代表作とされる「もの思う女」(チラシの下左の絵)の悲しみや絶望、もの思う娼婦の表情にはさまざまなことを経験した画家の心が反映されているように感じました。

http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2015/1220/

 

 

写真は「バンダナをつけた女」です。

 

展示を観ながら、彼にニューヨークで画家となり、さまざまな困難や辛い経験をしながらも彼をアメリカに居続けさせたものは何だったのか?と思いました。

彼はアメリカに渡った当初はお金がなく、さまざまな職を転々としたそうです。やがて生涯の友となる友人に出会い、絵を認められ、絵を描くことを勧められて非常に満たされた気持ちになったことが、アメリカで画家として生きるきっかけになったそうです。

 

その後も人種差別など困難を経験しますが、同じ思想の仲間達と反ファシズムの活動をしたり、友人達とアメリカン・アーツの発展のために活動したり、彼の周りには常に彼を助けてくれる友人や同じ考えを持つ仲間達がいました。2度の結婚もアメリカでしています。

彼の絵、アメリカン・アーツに対する情熱は何よりも一番強い原動力だったと思います。しかし彼にとっては、ニューヨークに彼の居場所があったことが大きいのではないかと思いました。

 

国吉は悲しく、辛い経験をして、孤独もあったかもしれませんが、彼の周りには彼を助ける友人や仲間の存在があった。そして彼も人の助けを借りられる強い人であったのだと思います。だから彼は最後までアメリカの画家であり、社会活動家であったし、今も多くのアメリカ人そして世界から評価され続けているのではないかと思いました。国吉康雄という画家がアメリカにいたことを知ることができてよかったです。紹介してくれた友人に感謝!(^o^)

 

展示の最後に「Run For Your Life」と言われた少女の、わたしはまだ走らなければいけないの?それとも?という問いがパネルになっています。

 

国吉には生きるために走らなければ(前へ進まなければ)と思う瞬間があったのではないかと思います。国吉は晩年画学生達に「私は悲しいものを見過ぎた。君たちは明るいもの、希望を描きなさい」というようなことを語ったそうです。

 

「Run For Life」と思う瞬間は、私たち誰の人生にもあるのではないかと思います。「走らなければならないの?」という問いではなく、「走りたくなる(走らなければ!)」と思う瞬間があるのではないか。その時、「生きるために走る(前へ進む)」勇気や力を与えてくれるのが、人(家族、友人、仲間)の愛ではないかと思います。なによりも大切なものと思います。