毎日熊本地震のニュースを見たり、読んだりしては、災害がどこまで進むのか落ち着かない気持ちです。現地で被害に遭われている方々の不安を思うと本当に心が痛みます。心よりお見舞い申し上げます。
昨日はちょっと見たいものがあって散歩へ。
地元にある国指定の史跡。発掘された鎌倉時代の「橋梁跡」です。
鎌倉時代の木製の橋の橋梁(脚)だったと思われるものが、大正時代の関東大震災の液状化現象によって出土し、発掘調査によって史跡として認定されたものです。
橋は幅9m、長さ40m以上のものだったそうで、鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」に源頼朝が渡り初めしたと記されているそうです。
橋梁はこんな感じ。
発掘調査では当時の護岸工事の跡も見つかったそうです。
オリジナルの橋梁は傷みが激しかったので地下に保存して、現在見えているのは精巧に作ったレプリカ(模型)だそうです。
800年以上たっても遺る痕跡に、人間が強い想いを込めて作るものの力を感じました。
桜の名所ということで、花筏でも見たいと思っていたのですが、まごまごしている内に季節は過ぎてしまいました・・・
頼朝の落馬、その後の死を受けて、当時地元の橋建設に携わった人達が責任を感じて切腹したそうです。痛ましい話です。
さらに、頼朝の死に至っては弁慶の恨みの祟りだという噂まで出たそうで、弁慶塚なるものまで遺っていました。
当時には、死してもその忠義の厚さと威力が人々を怖れさせたのでしょうか。弁慶恐るべし。
途中の道のソメイヨシノは一斉に咲いて、一斉に散ってしまいましたが、八重の桜(山桜?)は今が満開。
同じ桜といっても品種が違えば、花もそれぞれに咲き方、咲く時期は違って当たり前。
咲いたときがその花の”咲くときあれば美しきかな”。花にも個性あり、生き方ありだなと。
帰ってみたら、ちょっと嬉しいプレゼントが届いていました。
送ってくれた方の気持ちの暖かさ、他人を思う気持ちの大きさがじんわり胸に広がりました。
ちょっと父にも世話になっています。
人にはこうするものですよ、とおしえられたような気がしました。
散歩前にちょっと心にさざ波立つことがあったのですが、自分の置き場所の憶え間違いだったことがわかって、心の小ささに馬鹿らしいやら情けないやら、恥ずかしくなりました。
疑心暗鬼する小さな心があれば、それを信頼というベールで包み込むような大きな心もあります。
何百年たっても遺る”想い”の形もあります。
人が人を思ってすることって、想いが強ければ遺るし、必ず通じる時がくると信じます。
今、熊本およびその周辺で地震の被害に遭われている方々に、日本全国の一人一人の想いが届きますように。小さな想いも繋がれば大きな形になります。
そして、熊本地震で被害に遭われている方々の安全と安心が一日も早く回復されますように心よりお祈りいたします。