今年の箱根駅伝は青山学院大学が2連覇。1977年の日体大以来,なんと39年ぶりの完全優勝とのこと。選手の皆さんに敬意を表したいと思います。
さて,1977年の日体大ですが,調べてみると私の中学時代の恩師であるK先生も走っておられました。中学生当時,そんな先生のすごさをあまり知りませんでしたが,教官室の先生の机上にはスクラップブックがあって,インターハイの800mや1500mで瀬古選手(現 DeNAランニングクラブ総監督)と激闘している写真も貼ってありました(いずれも瀬古選手の後塵を拝し、先生は2位だったと記憶しています)。
「先生、すごい選手だったんですね」
と言うと、当たり前だ!と怒られたものです。
記憶違いでなければ、当時の 2000mや3000mの中学県記録を持っておられたように思います。中距離ランナーなので、当然、短距離を走っても速い。
運動会で教員チームでリレーを走られた時は、異次元の走りだと思いました。
瀬古選手や、日体大の後輩に当たる中村孝生さん、新宅雅也さんはその後オリンピックや世界大会等で活躍されるのですが、K先生はアスリートとしての第一線からは退き、指導者としての道を選んでおられたように思います。先生の思いを知る由もないですが、世間知らずの中学生だった私たちは、福岡国際マラソンで活躍する瀬古選手を例にあげて、「先生はどうして(福岡国際を)走らないんですか~?」などと失礼なことを聞いたりしていました。
熱血漢で厳しい先生でしたが、怒ったりせず、「実力がないからです」と笑って答えていました。よりによってインターハイで苦い思いをさせられたライバルである瀬古選手を例に上げたりして、先生のお気持ちも考えず、後でバツの悪い思いをしたことを今でも覚えています。
そのK先生もご退職の年かなと思います。青山学院大学の優勝のニュースで、懐かしい先生を思い出す機会になりました。

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さて,1977年の日体大ですが,調べてみると私の中学時代の恩師であるK先生も走っておられました。中学生当時,そんな先生のすごさをあまり知りませんでしたが,教官室の先生の机上にはスクラップブックがあって,インターハイの800mや1500mで瀬古選手(現 DeNAランニングクラブ総監督)と激闘している写真も貼ってありました(いずれも瀬古選手の後塵を拝し、先生は2位だったと記憶しています)。
「先生、すごい選手だったんですね」
と言うと、当たり前だ!と怒られたものです。
記憶違いでなければ、当時の 2000mや3000mの中学県記録を持っておられたように思います。中距離ランナーなので、当然、短距離を走っても速い。
運動会で教員チームでリレーを走られた時は、異次元の走りだと思いました。
瀬古選手や、日体大の後輩に当たる中村孝生さん、新宅雅也さんはその後オリンピックや世界大会等で活躍されるのですが、K先生はアスリートとしての第一線からは退き、指導者としての道を選んでおられたように思います。先生の思いを知る由もないですが、世間知らずの中学生だった私たちは、福岡国際マラソンで活躍する瀬古選手を例にあげて、「先生はどうして(福岡国際を)走らないんですか~?」などと失礼なことを聞いたりしていました。
熱血漢で厳しい先生でしたが、怒ったりせず、「実力がないからです」と笑って答えていました。よりによってインターハイで苦い思いをさせられたライバルである瀬古選手を例に上げたりして、先生のお気持ちも考えず、後でバツの悪い思いをしたことを今でも覚えています。
そのK先生もご退職の年かなと思います。青山学院大学の優勝のニュースで、懐かしい先生を思い出す機会になりました。
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