光秀が築いた「幻の城」 坂本城に行ってきました。 | チャッピーのぶらり旅

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 青春18きっぷのつづきです。

 京都府立植物園の帰り、琵琶湖西岸の「坂本城」跡に行ってみることにしました。京都からJR湖西線に乗り、約15分。JR唐崎駅で下車し、徒歩30分くらいで到着です。


 坂本城址公園に向かう途中の琵琶湖の景色です。オオバンなどの鴨たちが、湖面に漂っています。あ~、落ち着くんですね。この景色。

 琵琶湖の東岸には、近江富士と呼ばれる「三上山」が見えます。滋賀県野洲市ですね。

 南方面は、大津市です。

 資料によると、坂本城は、平城なんですね。坂本城は、1571年の比叡山焼き討ち後、延暦寺の監視などを目的に、織田信長が明智光秀に築城を命じて、光秀の居城になりました。また、京都へのルート確保や琵琶湖水運の拠点となった重要なお城だったようです。


 2023年11月25日の中日新聞の記事によると、琵琶湖の水位が下がって、湖岸に坂本城の石垣が現れたとの記事です。


 実際に行って見ると、こんな感じでした。

 城址公園には、明智光秀の石像がありました。この像、顔が大きく、足が短い感じがします。

 その横に「光秀(おとこ)の意地」の歌碑が、ありました。なんと、鳥羽一郎さんの唄なんですね。よかったら、YouTubeで検索してみてください。鳥羽一郎さんの立派な歌いっぷりが見事です。

 光秀「わしは、主を間違えたようじゃ:::」の歌詞が印象に残ります。

 織田信長は、強大な寺院勢力を挫く為に、比叡山焼き討ちを光秀に命じました。この暴挙に対して、光秀は反対しましたが、信長の部下であるため、その命令に従わざるを得ませんでした。

 光秀は、部下としての主君に対する忠義を示すとともに、だんだんと信長に対して、反逆へと向かう心情を表しているのではないでしょうか?

 この坂本城址公園の西側、国道を挟んで、坂本城「三の丸の石垣」が発見されたとの中日新聞の記事がありました。2024年2月8日付。

 こちらは、実際に行って見ると、住宅開発が盛んで周辺には、新築の住宅がたくさんありました。

 大津市は、この遺構を保存するために、宅地開発中止を業者に働きかけ、業者もこれを了承したとの報道です。おそらくブルーシートで覆われた部分が、三の丸の石垣だと思われます。

 国道から一本奥の、なかなか風情ある街道を歩くこと30分。

 17:25 JR唐崎駅から、青春18きっぷで岐阜県に帰ります。鉄分補給と歴史探訪の旅。なかなか有意義な一日でした。

 坂本城は、築城の11年後の1582年。本能寺の変の後、焼け落ち、一時再建されますが、1586年廃城になりました。


 車内で、缶チューハイを呑みながら:::。
自宅到着は、20:12。片道約3時間の鉄分補給の旅。また、大津方面には、桜の季節にでも出かけることにしましょうかねぇ:::。

 今日も、ボチボチと:::。