日本市場のシュリンクが半ば常識化し、海外進出の案件相談が引切り無しだ。
こういった常識を疑うことこそコンサルの仕事と考えているが、果たしてそんなに素直に新興国が外国投資を受け入れるのかという疑問が湧く。

日本は高度経済成長期は徹底的に国益を追求した過去がある。つまり国内企業の成長のために、通産省を中心として外資規制を敷いてきたわけだ。

中国はここ数年でようやく外資単独出資も可能になってきたが、それでも一部の中国企業の生産性拡大につながる産業に限定されている。今後の成長センターと言われる東南アジアであるが、やはりというべきか、ベトナム以外は外資規制が多く、参入余地は限られ、現地法人との合弁出資が前提となっている国が多い。

そうなると、意思決定さえすれば、すぐにでも海外進出は可能という前提は誤解と言わざるを得ない。
日本をアナロジーとすると、そんな簡単に海外で成長を果たすということは相当な困難を伴いそうである。ここは一考し、国内の強豪を打ち負かしつつ、産業保護政策としての少子高齢化対策(移民/定年制延長/人口増加)をロビー活動することの方が現実的では、との仮説も検証すべきではないだろうか。

他国の立場で物事を考えると、その国の振興産業で無い限り、容易な参入は認めないと考えたほうが自然ではないだろうか。
コンサルの現場でどうしても受け付けられない言葉がある。1つは「総論賛成」。もう一つは「違和感」。

この言葉をクライアントやチームメンバーから発せられるたびに嫌悪感すら覚えるのだが、なぜかと考えてみたところ両方の共通点として、当事者意識が欠如していることとの結論に行き着いた。

傍観的であり、評論的であり、無責任なのだ。対案がなく、言い訳なので、誰でも言えるから価値が無いだけならまだしも価値毀損しており、それでいて聞こえはもっともらしいため、一層タチが悪い。

これまでは、屈するのも癪であるため、二の手、三の手の代替案を出して来たが、結局評論したいだけという精神構造であるため、完全納得は難しいと感じている。

最近は専ら、ではどうすればいいと思いますか?対案は?と当事者意識を持ってもらうために、あえて尋ねるようにしている。

現状を把握し、問題点を深堀り、原因を突き止めて、その原因を解消する方法を提案する。コンサルティングのセオリーだが、これは戦略とは言い難い。あくまで改善施策であり、問題点を平均点に引き上げる手段に過ぎず、競争力を付ける施策ではないからだ。

では、競争力をつける手段、つまり戦略とは、競合との同質化の罠を避けるため、クライアントからすると想定外施策となる。この想定外施策が様々な面で難儀する。

最初の壁は、成功確率。当たり前だが、競合と違うことをやろうとするので、本当に上手くいくかどうかはやってみないとわからない。二つ目の壁は、実現性。これまた想定外施策なので、自社のケイパビリティで対処出来るのかという問題。三つ目は、社内合意。クライアントアカウントである経営企画やマーケティング部門が納得しても、現場で合意が得られるかどうかという問題。

想定外施策はこの3つのイシューをクリアせねばならない。実現性と社内合意は、プロジェクト過程で現場意見の吸い上げと、ケイパビリティを高める施策も織り込んで策定すれば、クリアできるが、成功確率は如何ともしがたい箇所がある。

アナロジーを使うことで一定の保証を見せることは可能なケースもあるが、これでは完全なオリジナルではない。完全なオリジナル(そうそうあるものではないが)の場合どうするか。テストマーケティング以外で、見通せる手段を日々追い求めている状況だ。