音感には絶対音感と相対音感というのがある。音感がなければ作曲はできない。つまり,音感のない当職は作曲ができないのである。
作曲家は,しばしば「曲が降ってきた(曲が浮かんできた)」という。当職は今まで一度たりとも曲が浮かんできたことはない。
つまり,感性や才覚がなければできない仕事があるということだ。これはスポーツ選手にも当てはまる。イチローがサッカーの選手であれば,
プロにはなれるかもしれないが,野球程の実績は残せなかったであろう。つまり,野球のセンスや才覚が飛びぬけていたからである。
最近,気づいたことであるが,筆跡鑑定人にも最低限の感性や才覚が必要であるということである。
前の章にも書いている通り,目立つ特徴や,簡単に模倣ができる箇所,標準の書き方などを指摘し,同筆要素と判断する鑑定人がやたらと多いことを,繰り返し書いている。このような箇所の一致が,同筆要素でないことはすぐに分かってもよいはずだが,分からないのはなぜかということがずっと分からずにいた。
ところがある時,「多くの鑑定人は人の筆跡跡を瓜二つに真似て書けない」ことに気付いたのである。
一般の方の数十人に聞いてみたら,筆跡を見比べるときに無意識に似ている箇所を探そうとするそうだ。要するに,自分が人のなりすましの筆跡を巧妙に書けないから,他人も上手に書けるわけがないと思い込んでいるのである。このような感性であれば,一致する特徴ばかりが目につき,そこを指摘するから上記のように一致する特徴ばかりを指摘することになるということである。
一方,当職は容易になりすましの筆跡を瓜二つに書くことができる。つまり,当職は似せて書くことが容易なので,偽造すれば似るでしょという潜在意識があることから,似ている箇所を無意識に探すことはしないし想像すらできない。
むしろ,一般の方とは真逆の,相違している箇所に自然と目が行くのである。
だから,彼らの指摘箇所を見て「アホか」と思う訳である。多くの鑑定人は,一般の方と同じ感覚なので,同一箇所を無意識に探し「自分がそこまで一致して書けない」という潜在意識から指摘箇所がおかしいという感覚にならないということである。
即ち,鑑定人は最低限,「なりすましの筆跡を巧妙に書ける」という素養が必要ということになる。