担当弁護士も,これはあまりにも酷いといっていた,当職の鑑定書についての判決文である。

 

当職は,高等裁判所において,相手方2件の鑑定結果を覆し,当鑑定書の内容を評価していただき逆転勝訴に貢献したことがある。

一方,内容の酷い判決文は後にも先にもこれだけであるが,下記抜粋の敗訴となった判決文も書かれたことがあるので解説してみたい。(敗訴となったが,鑑定人生命をかけても偽造筆跡であると確信できるものを真筆とされた)

 

「二瓶は,大学の法学部法律学科を卒業後,大手電機メーカーで営業企画に関する業務を行った後,生命保険会社で勤務したが,鑑定は趣味としていたというに過ぎない上に,二瓶は「鑑定人として初めて理論的背景のもと「伝統的筆跡鑑定法を否定し」たというが,どのような研究に基づいて,従来からある筆跡鑑定法を否定したというのか明らかではない(原文のまま)」

 

結局,鑑定など全くできないと思われる「警察OBに関係する肩書のある鑑定書」が「遺言書と対照資料とで共通する文字を抽出して特徴を比較するとともに,臨書や透写についても検討を加えており,これらは合理性を有する」と書かれており,この鑑定書を採用した。

 

当職は,誰よりも鑑定が大好きで一日中鑑定のことばかり考えている人間である。そんなことから,他の鑑定人に負ける気がしないのは,このブログを読んでいただいている方にはお分かりいただけると思う。また,研究成果も常にこのブログで公開している。鑑定書に,この研究成果をすべて書くことなどできるはずもない。

 

私が思うに,当該裁判官は

「どんなに才能や才覚があっても,また鑑定好きでいくら独学で日夜研究を重ねていても,所詮,筆跡鑑定とは関係のない職業に就いていたのであるから鑑定技術を評価することはできない」また、「現在いくら研究していても、認められる機関(警察や大学)で学ばなければ意味がない」ということなのではないのか。日本には筆跡鑑定を学べる機関などないから、独学で研究するしかないのである。

 

相手方については,筆跡鑑定の当たり前のことが書かれている。そもそも、異同判断に関係のない臨書か透写かなど5秒見ただけでわかるものであり、これを検討を加え合理性があると述べることは,いかがなものであろうかといことである。

 

肩書や権威主義がまかり通る裁判所で,公平な裁判が行うことができるのかという疑念さえ湧いてくる。

 

大好きな日本であったが,次第に嫌いになっていく自分がいる。悲しい現実である。

 

<ブログ300執筆記念として>