ring.57 クフイカ
ring.57 クフイカ
青空に歓声が響き渡る。
小学校の校庭で、何人もの子どもたちが走り回っている。
「そっちいった!」
「ちょっ、やばあっ!」
彼らはドッジボールをしていた。
ドッジボールとは、敵味方1チームずつに別れ、四角く区切られた中にいる相手チームのメンバーに、ボールを当てる遊びである。
ボールを当てられた者は、四角く区切られた外に出なければならない。
外に出た者は外野と呼ばれ、中にいる者と協力して相手チームメンバーの数を減らす役割を担う。
「まわせまわせ!」
「がいや、いけーっ!」
この遊びの特性上、中にいる者はボールの行方を目で追いつつ、後ろ向きに移動することが多い。
相手チームに背中を見せればボールをキャッチできなくなるだけでなく、当てられる危険が大幅に増すからだ。
ドッジという言葉には『身をかわす』という意味がある。
決着がつくまでボールをかわし続けるというのは、相当な運動量である。
そんなドッジボールを、子どもたちは心から愛した。
昼休みだけでなく、2時間目と3時間目の間に15分ほど設けられた中休みでも、彼らはドッジボールをするためにわざわざ校庭へ出るのだった。
ただ、ボールを使った遊びには得てして危険がつきまとう。
そして後ろ向きに移動することが多いドッジボールには、他の球技にはない危険があった。
「あっ!?」
ひとりの子どもが、後ろ向きに転ぶ。
かかとを地面につっかけてしまったのだ。
夢中でボールの行方を追う中、受け身など取れるわけもない。
転んだ子どもは地面で後頭部を打ち、仰向けに倒れたまま動かなくなった。
倒れる前まで、この子どもの目にはボールや同じチームの仲間、相手チームなどが映っていた。
しかし今は、青い空しかない。
かと思うと他の子どもたちが顔を見せた。
「お、おい…?」
「だいじょぶか?」
彼らは倒れた子どもを心配している。
その顔はぼやけていた。
(こいつら…誰だっけ……?)
今の今まで一緒に遊んでいたというのに、誰が誰かわからない。
よくよく考えてみると、声も判別できないことに気づく。
やがて青い空が黒くなった。
倒れた子どもが意識を失ったのではなく、空が黒く塗りつぶされたのだ。
空の色が変わるとともに、ぼやけた顔の子どもたちは消える。
代わりに別の顔が現れた。
「こりゃ、早く起きんか」
古風な口調で語りかけてきたのは、おかっぱ髪の少女だった。
続いて青銅色の顔が現れる。
さらに人体模型の顔、青白く光る顔、しまいには額縁に入った音楽家の顔まで出てきた。
(小花に銀三郎、ゴンベエ、ワタナベくん、ベントーベン…)
名前がすらすらと心に浮かぶ。
最後に、顔の左半分が女性的で右半分が男性的な人物の顔が現れた。
彼とも彼女とも言い切れないその顔は、見るからに心配そうな表情をしている。
その口元が動くのと同時に、ふと声が出た。
「…メギ…」
瞬間、何もかもが消えて目が覚める。
まぶたを開いた時に飛び込んできたのは、青い空でも黒く塗りつぶされた空でもなく、美しく整った天井だった。
(…夢…?)
正文は夢を見ていた。
そして現実に目覚めたことを認識した。
その後で現在地を思い出した。
ここは高級タワーマンション『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』の30階フロア内通路だった。
(えっと…)
正文は目だけを動かし、周囲の状況を探る。
甲03と戦った位置から全く動いていなかった。
(そうか、俺…なん、とか……勝ったんだ、な)
彼は現状を把握する。
把握し終えるまでに4回、意識が飛んだ。
正文は極度の疲労により動けなくなっていた。
それだけでなく、彼自身もわからないうちに何度も意識を失っては目を覚ましていた。
ドッジボールの夢も、ひとつづきに見たわけではない。
断片的に見たものを正文の脳が自動的につないで、あたかも連続した記憶のように見せていた。
彼がそのことに気づいたのは、体を起こせるほど体力が回復した後だった。
(…俺は…どのくらい寝てたんだ?)
正文は疑問を抱きつつ、絨毯に手をついて立ち上がろうとする。
しかし力が入らず、それはかなわない。
彼は再び横になった。
(本当に無茶な戦いだったんだな…ああそうか、『鉄球』をあまりにたくさん出しすぎたせいかもしれない…)
正文にとって、甲03との戦いは極限という文字がふさわしかった。
それ以外の何物でもなかった。
なんとしても白猫を守る。
そのことだけを考えて、自分の中にある全てを惜しみなく解き放った。
解き放った結果が今である。
(……それにしても…まさか、白猫も俺の能力だったなんて、なあ…)
正文は苦笑した。
(俺は、俺を守るために必死になってた…ってことなんだろうか? まあ、俺にはそれがわかってなかったんだけど……なんなんだろうな、これ……)
顔に笑みを浮かべられるほど体力は回復したが、今も思考と思考の間で彼は意識を失い続ける。
意識を失っている時間がどれほどの長さなのかは判然としない。
1秒以下かもしれないし、10分以上かもしれない。
わからないまま正文は、どうにか生きている。
(なんなん……だ…?)
甲03との戦いで、正文の命は限界まで張り詰めた。
戦いに勝利したことにより、緊張が解けてゆるんだ。
今は、命がゆるんだ状態といってもいいのかもしれない。
いつも通りに動けるほど回復するにはある程度の張りが必要で、張りを取り戻すには時間が必要だった。
立ち上がれるほどに回復した後で、正文は30階フロア内から非常階段へ出た。
(…やっぱりいないか)
予想はしていたが、白猫はいなかった。
確認を終えると再びフロア内に戻る。
(俺は『人間としての死』を食い尽くした。完全に人間じゃなくなった。だから、人間みたいには死ねなくなった…)
やわらかな絨毯の上を歩く。
(そのことが、あの白猫…『ナイン・ライヴズ』として現れたんだろう)
正文の表情がにわかに曇った。
(みんなは……3000回以上も殺されてきた…)
彼は、メギたちのことを思い返していた。
キルメーカー運営のエージェントCF21が語ったところによると、メギたちは3627回もの殺処分を受けたらしい。
そして正文をかくまったがために、3628回目の殺処分が行われたのだという。
(俺はここに来て何回か『死に戻り』をした。そのうちの2回は甲03にやられた…それからというもの、俺は甲03のことが怖くて怖くてしょうがなかった。たった2回でもそうなんだから、3000回以上だなんて……想像もできない…!)
メギたちがどれほどつらい目にあわされてきたのか。
それを思うと、正文の胸は激しく痛む。
彼は自然と歯を食いしばった。
(ここでの仕事を早く終わらせて、みんなのところに帰ろう。帰って楽しく遊ぼう。みんなのつらさが少しはわかったけど、そんなことは全然言わずにただ楽しく…楽しく遊ぼう)
決意とも願いともつかない気持ちが、正文の胸を満たす。
幼い頃に遊んだ他の子どもたちについては、夢の中で顔がぼやけていたことさえ思い出さなかった。
繊細な性格を持つ彼のこと、思い出せば間違いなく憂愁に沈んでいただろう。
だがもはや考えることすらない。
正文はただ前へと進んでいった。
歩みは遅いものの、甲03がいなくなったため進行はスムーズだった。
正文はエレベーターで31階に到達する。
エレベーターの扉が開いてすぐに、彼の左目が異常を感知した。
(ケモノ臭い…?)
21階から29階までは濃い血の臭いを感じた。
それとは全く異なる獣臭が、ここ31階にはあった。
鼻ではなく左目のみで感じたことから、獣臭は血の臭いほど濃くないことがわかる。
壁や絨毯といった場所からにおっているわけではなかった。
(何かケモノっぽいものがいる、ってことなのか?)
正文は、メギたち仲間への思いをひとまず置いておき、現状の把握に努める。
においの元になっているであろう存在を、体温から探すことにした。
(…いる)
いくつかの壁を隔てた向こうに、何かがいる。
人間に近い形をしてはいるものの、ある箇所が明らかに異なっていた。
(爪が長すぎる)
10センチ近くあるその爪に、正文は見覚えがあった。
(そういえば、30階に上がるまでになんか落ちてるのを見たぞ…指とか手とか腕とか。まさかそれの『完成版』か?)
彼は27階から29階にかけて、緑色をした指、手、腕が落ちているのを発見していた。
そのどれもが10センチ近くある鋭い爪を持っていたのだ。
(できれば戦いたくないな…)
正文は顔をしかめる。
(爪が長くてケモノ臭いとくれば、おそらく獣人とかそういう感じのヤツだろう。きっと動きが速い…『鉄球』を当てられるかどうか……あっ)
彼はふと思い出した。
(そういえば包丁と銃!)
愕然とした表情で両手を見る。
どちらの手にも、武器はなかった。
(最後に『死に戻り』をした後、包丁も銃も手元になかった…! 一緒に持ってこれなかったんだ! ここに来るまで見かけなかったってことは、俺が寝てる間に誰かが持ってったってこと……)
拳銃を持っていれば、この階にいる何かがいかに素早くとも対応できたかもしれない。
だが正文自身が今まで忘れていたように、30階で拳銃を見つけることはなかった。
甲03を狙撃した地点を通り過ぎたにも関わらず、である。
つまり正文の考える通り、正文が体力を回復させている間に誰かが持ち去ったとみて間違いなかった。
ただ希望もある。
32階へ行くまでに、この階にいる何かと遭遇しなければいいのだ。
搬入用エレベーターが使えれば、遭遇せずに上へ行ける。
「く、くそ…」
現実は甘くなかった。
搬入用エレベーターまでのルートは、破壊された家具でふさがれていた。
(もうしょうがない、なるようになれだ)
正文は非常階段に向かって進む。
戦わずにすむよう祈りつつも、戦う覚悟を決めるのだった。
→ring.58へ続く
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青空に歓声が響き渡る。
小学校の校庭で、何人もの子どもたちが走り回っている。
「そっちいった!」
「ちょっ、やばあっ!」
彼らはドッジボールをしていた。
ドッジボールとは、敵味方1チームずつに別れ、四角く区切られた中にいる相手チームのメンバーに、ボールを当てる遊びである。
ボールを当てられた者は、四角く区切られた外に出なければならない。
外に出た者は外野と呼ばれ、中にいる者と協力して相手チームメンバーの数を減らす役割を担う。
「まわせまわせ!」
「がいや、いけーっ!」
この遊びの特性上、中にいる者はボールの行方を目で追いつつ、後ろ向きに移動することが多い。
相手チームに背中を見せればボールをキャッチできなくなるだけでなく、当てられる危険が大幅に増すからだ。
ドッジという言葉には『身をかわす』という意味がある。
決着がつくまでボールをかわし続けるというのは、相当な運動量である。
そんなドッジボールを、子どもたちは心から愛した。
昼休みだけでなく、2時間目と3時間目の間に15分ほど設けられた中休みでも、彼らはドッジボールをするためにわざわざ校庭へ出るのだった。
ただ、ボールを使った遊びには得てして危険がつきまとう。
そして後ろ向きに移動することが多いドッジボールには、他の球技にはない危険があった。
「あっ!?」
ひとりの子どもが、後ろ向きに転ぶ。
かかとを地面につっかけてしまったのだ。
夢中でボールの行方を追う中、受け身など取れるわけもない。
転んだ子どもは地面で後頭部を打ち、仰向けに倒れたまま動かなくなった。
倒れる前まで、この子どもの目にはボールや同じチームの仲間、相手チームなどが映っていた。
しかし今は、青い空しかない。
かと思うと他の子どもたちが顔を見せた。
「お、おい…?」
「だいじょぶか?」
彼らは倒れた子どもを心配している。
その顔はぼやけていた。
(こいつら…誰だっけ……?)
今の今まで一緒に遊んでいたというのに、誰が誰かわからない。
よくよく考えてみると、声も判別できないことに気づく。
やがて青い空が黒くなった。
倒れた子どもが意識を失ったのではなく、空が黒く塗りつぶされたのだ。
空の色が変わるとともに、ぼやけた顔の子どもたちは消える。
代わりに別の顔が現れた。
「こりゃ、早く起きんか」
古風な口調で語りかけてきたのは、おかっぱ髪の少女だった。
続いて青銅色の顔が現れる。
さらに人体模型の顔、青白く光る顔、しまいには額縁に入った音楽家の顔まで出てきた。
(小花に銀三郎、ゴンベエ、ワタナベくん、ベントーベン…)
名前がすらすらと心に浮かぶ。
最後に、顔の左半分が女性的で右半分が男性的な人物の顔が現れた。
彼とも彼女とも言い切れないその顔は、見るからに心配そうな表情をしている。
その口元が動くのと同時に、ふと声が出た。
「…メギ…」
瞬間、何もかもが消えて目が覚める。
まぶたを開いた時に飛び込んできたのは、青い空でも黒く塗りつぶされた空でもなく、美しく整った天井だった。
(…夢…?)
正文は夢を見ていた。
そして現実に目覚めたことを認識した。
その後で現在地を思い出した。
ここは高級タワーマンション『グランタワー・ウーノ・ペンディオ』の30階フロア内通路だった。
(えっと…)
正文は目だけを動かし、周囲の状況を探る。
甲03と戦った位置から全く動いていなかった。
(そうか、俺…なん、とか……勝ったんだ、な)
彼は現状を把握する。
把握し終えるまでに4回、意識が飛んだ。
正文は極度の疲労により動けなくなっていた。
それだけでなく、彼自身もわからないうちに何度も意識を失っては目を覚ましていた。
ドッジボールの夢も、ひとつづきに見たわけではない。
断片的に見たものを正文の脳が自動的につないで、あたかも連続した記憶のように見せていた。
彼がそのことに気づいたのは、体を起こせるほど体力が回復した後だった。
(…俺は…どのくらい寝てたんだ?)
正文は疑問を抱きつつ、絨毯に手をついて立ち上がろうとする。
しかし力が入らず、それはかなわない。
彼は再び横になった。
(本当に無茶な戦いだったんだな…ああそうか、『鉄球』をあまりにたくさん出しすぎたせいかもしれない…)
正文にとって、甲03との戦いは極限という文字がふさわしかった。
それ以外の何物でもなかった。
なんとしても白猫を守る。
そのことだけを考えて、自分の中にある全てを惜しみなく解き放った。
解き放った結果が今である。
(……それにしても…まさか、白猫も俺の能力だったなんて、なあ…)
正文は苦笑した。
(俺は、俺を守るために必死になってた…ってことなんだろうか? まあ、俺にはそれがわかってなかったんだけど……なんなんだろうな、これ……)
顔に笑みを浮かべられるほど体力は回復したが、今も思考と思考の間で彼は意識を失い続ける。
意識を失っている時間がどれほどの長さなのかは判然としない。
1秒以下かもしれないし、10分以上かもしれない。
わからないまま正文は、どうにか生きている。
(なんなん……だ…?)
甲03との戦いで、正文の命は限界まで張り詰めた。
戦いに勝利したことにより、緊張が解けてゆるんだ。
今は、命がゆるんだ状態といってもいいのかもしれない。
いつも通りに動けるほど回復するにはある程度の張りが必要で、張りを取り戻すには時間が必要だった。
立ち上がれるほどに回復した後で、正文は30階フロア内から非常階段へ出た。
(…やっぱりいないか)
予想はしていたが、白猫はいなかった。
確認を終えると再びフロア内に戻る。
(俺は『人間としての死』を食い尽くした。完全に人間じゃなくなった。だから、人間みたいには死ねなくなった…)
やわらかな絨毯の上を歩く。
(そのことが、あの白猫…『ナイン・ライヴズ』として現れたんだろう)
正文の表情がにわかに曇った。
(みんなは……3000回以上も殺されてきた…)
彼は、メギたちのことを思い返していた。
キルメーカー運営のエージェントCF21が語ったところによると、メギたちは3627回もの殺処分を受けたらしい。
そして正文をかくまったがために、3628回目の殺処分が行われたのだという。
(俺はここに来て何回か『死に戻り』をした。そのうちの2回は甲03にやられた…それからというもの、俺は甲03のことが怖くて怖くてしょうがなかった。たった2回でもそうなんだから、3000回以上だなんて……想像もできない…!)
メギたちがどれほどつらい目にあわされてきたのか。
それを思うと、正文の胸は激しく痛む。
彼は自然と歯を食いしばった。
(ここでの仕事を早く終わらせて、みんなのところに帰ろう。帰って楽しく遊ぼう。みんなのつらさが少しはわかったけど、そんなことは全然言わずにただ楽しく…楽しく遊ぼう)
決意とも願いともつかない気持ちが、正文の胸を満たす。
幼い頃に遊んだ他の子どもたちについては、夢の中で顔がぼやけていたことさえ思い出さなかった。
繊細な性格を持つ彼のこと、思い出せば間違いなく憂愁に沈んでいただろう。
だがもはや考えることすらない。
正文はただ前へと進んでいった。
歩みは遅いものの、甲03がいなくなったため進行はスムーズだった。
正文はエレベーターで31階に到達する。
エレベーターの扉が開いてすぐに、彼の左目が異常を感知した。
(ケモノ臭い…?)
21階から29階までは濃い血の臭いを感じた。
それとは全く異なる獣臭が、ここ31階にはあった。
鼻ではなく左目のみで感じたことから、獣臭は血の臭いほど濃くないことがわかる。
壁や絨毯といった場所からにおっているわけではなかった。
(何かケモノっぽいものがいる、ってことなのか?)
正文は、メギたち仲間への思いをひとまず置いておき、現状の把握に努める。
においの元になっているであろう存在を、体温から探すことにした。
(…いる)
いくつかの壁を隔てた向こうに、何かがいる。
人間に近い形をしてはいるものの、ある箇所が明らかに異なっていた。
(爪が長すぎる)
10センチ近くあるその爪に、正文は見覚えがあった。
(そういえば、30階に上がるまでになんか落ちてるのを見たぞ…指とか手とか腕とか。まさかそれの『完成版』か?)
彼は27階から29階にかけて、緑色をした指、手、腕が落ちているのを発見していた。
そのどれもが10センチ近くある鋭い爪を持っていたのだ。
(できれば戦いたくないな…)
正文は顔をしかめる。
(爪が長くてケモノ臭いとくれば、おそらく獣人とかそういう感じのヤツだろう。きっと動きが速い…『鉄球』を当てられるかどうか……あっ)
彼はふと思い出した。
(そういえば包丁と銃!)
愕然とした表情で両手を見る。
どちらの手にも、武器はなかった。
(最後に『死に戻り』をした後、包丁も銃も手元になかった…! 一緒に持ってこれなかったんだ! ここに来るまで見かけなかったってことは、俺が寝てる間に誰かが持ってったってこと……)
拳銃を持っていれば、この階にいる何かがいかに素早くとも対応できたかもしれない。
だが正文自身が今まで忘れていたように、30階で拳銃を見つけることはなかった。
甲03を狙撃した地点を通り過ぎたにも関わらず、である。
つまり正文の考える通り、正文が体力を回復させている間に誰かが持ち去ったとみて間違いなかった。
ただ希望もある。
32階へ行くまでに、この階にいる何かと遭遇しなければいいのだ。
搬入用エレベーターが使えれば、遭遇せずに上へ行ける。
「く、くそ…」
現実は甘くなかった。
搬入用エレベーターまでのルートは、破壊された家具でふさがれていた。
(もうしょうがない、なるようになれだ)
正文は非常階段に向かって進む。
戦わずにすむよう祈りつつも、戦う覚悟を決めるのだった。
→ring.58へ続く
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