ring.17 ハッピーエンド | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

ring.17 ハッピーエンド


メギに謝れ。
そう言われた当初、正文の中には疑問と反発があった。

(なんで俺が謝らなきゃいけないんだ…そもそもメギは寝てたんだぞ。それを叩き起こしてマジメな話でもすればよかったのか?)

反発とは、言ってきた小花に対するものである。
それは疑問よりも大きく心を占めていた。

(俺が何を考えてたって自由だろ)

しかし、メギを探して校内を歩き回っているうちに頭が冷える。

(…いや)

正文の顔から、疑問と反発の表情が消えた。

(ここはメギたちの場所だ。『合わせ鏡』を使えるもんだから勘違いしてたけど、俺は勝手に転がり込んできたよそ者なんだ。我が物顔で寝てていいわけじゃない)

体育館裏でうなだれているメギを見つける頃には、神妙な面持ちになっていた。

(俺は、ちゃんとしなきゃいけない)

正文はそっとメギに近づく。
メギも気配で気づいたのか、ハッと顔を上げて彼の方を向いた。

「メギ」

正文とメギの声が重なる。
前者は相手を呼ぶ声であり、後者は正文に対する何らかの反応だった。

言った言葉は同じでも、その意味は異なる。
メギだけが気おくれしてうつむいた。

これが正文にとって話を切り出す好機となる。

「メギ、俺が悪かった」

彼はそう言うと、深く頭を下げた。
それからゆっくり姿勢を戻し、相手が驚いているのも構わず言葉をつぐ。

「ここは俺の家じゃない。俺の場所じゃない。メギたちはきっと、ここによそ者を入れたくないはずだ。だから最初に俺が入ってきた時、俺を追い出した」

正文は丁寧な説明を心がけた。
自分の言いたいことをメギに受け止めてもらうため、話す速度にも気をつかった。

「なのに俺は、『合わせ鏡』が使えるからってここを自分の場所だと勘違いしてた。君たちに助けてもらったっていうのに、君が起きてるかどうか気にもしないで、自分の身に起こったことを考えるばかりだった」

「…!」

メギは、正文が何を言わんとしているか理解する。
驚きでこわばっていた表情が、少しずつやわらかくなり始めた。

正文もそれを感じ取る。
しかし、相手がわかってくれたなどと安心したりはしない。

「本当に、ごめんなさい」

彼はあらためて頭を下げた。
そして今度は顔を上げないまま、心を込めてこう続けた。

「助けてくれて、ありがとう」

「メギ…」

「もちろんみんなにも謝るし、ありがとうって言いに行く。でもまずは君に言わなきゃいけないって思った。ここの主は、君みたいだから」

「……メギ…!」

メギは正文の言葉に感極まった様子を見せる。
女性的な線の細さを持つ左手をぎゅっと握りしめ、自身の胸部中央に押し当てた。

「……」

メギは、頭を下げたままの正文に一歩近づいては遠ざかる。
まるで触れてはいけない壊れ物を前にしているかのように、ためらう。

ふたりの間には、静かで繊細な時間があった。
互いの心音が伝わりそうなほど澄んだ空気が、ふたりを包み込んでいた。

「えーい、じれったい!」

突然の叫びが場の空気を裂く。
それは小花の声であり、正文の背後から聞こえた。

正文とメギが何事かとそちらを向く。
すると木の陰から、小花をはじめとする七不思議たちがなだれ出てきた。

「な、なんだ!?」

「お主らさっさとくっつかんか!」

小花が鼻息荒く、正文とメギを交互に指差して怒鳴る。
彼女は折り重なった仲間たちの上に乗り、映画監督ばりの熱血指導をふたりに行った。

「なーにをいつまでもラブコメ空間もやもやフインキ(変換できない)を維持しとるんじゃ! お主らふたりの気持ちは通じ合った! 通じ合ったんなら即ぎゅ~じゃ! ぎゅ~してちゅ~してすきすき~でハッピーエンドじゃろうが!」

「…ちょっと、待っ…てくれ……みんな、見てたのか?」

「そもそも主演男優がなっとらん!」

監督の矛先が正文に向く。

「わらわは確かに、謝ってこいとお主に言った。言ったが、本当に謝るだけとはどういうことじゃ!?」

「ええ…?」

「気持ちのこもった謝罪じゃった。それはいい! じゃがわらわが言っておるのはそういうことではない! メギをちゃんと見てやらんか! あんなにときめいてキュンキュンなっとるのに、下を向いたままで全く見んとは一体どういう了見なんじゃ!?」

「い、いや、そんなこと言われても」

「お主はなにか? 了見ではなく猟犬か? 字が違ったのか? わらわはわおーんと鳴くべきじゃったか? しかし残念、わらわはそう簡単には鳴いてやらん! お主がすぐにメギをぎゅ~ってしておれば、もしかしたらお望み通り鳴いたかもしれぬがな!」

小花は次に、人差し指の先端をメギに向けた。

「メギもメギじゃ!」

「メギ!?」

「なーにをいつまでもモジモジしとる? せっかくわらわがたきつけてやったというのに、肝心のお主が何もせぬのではどうしようもないじゃろが!」

「……」

メギはそっぽを向いて口をとがらせる。
どうやら口笛を吹いているようだが、心得がないのか全く音が出ていない。

メギのとぼけた態度に、小花はますますヒートアップした。

「わらわが何も知らぬと思うてか? あやつが来てから急に、図書室で色恋の本ばかり読むようになったじゃろう!」

「…メ、メギっ!?」

「じゃからこうしてセッティングしてやったんじゃ! それなのに」

「メギ…メギメギメギ……」

メギは、鼻筋を対称軸に女性と男性が混ざったその顔を真っ赤にする。
最初は恥ずかしさばかりだった表情が、みるみるうちに怒りへ染まっていく。

「お主はいつまでも煮えきらん! わらわは腹が立って腹が立って…」

「メギメギメギメギメギーっ!」

ついにメギの感情が爆発した。
両手を振り上げ、小花に突っかかる。

「メギメギっ!」

「うおっ!? なんじゃあ、やるか!?」

「メギーっ! メギメギメギっ!」

ふたりは取っ組み合いのケンカを始めた。
小花が七不思議たちの上にいるせいで、彼らも自然と巻き込まれる。

「!」

「!?」

七不思議たちはほとんどがしゃべれないため、悲鳴などはない。
ただ小花に次ぐ言語能力を持つベントーベンだけが、ケンカによって巻き起こる砂ぼこりの中からぼやくようにこう言った。

「あーららららァ」

「は、はは…あららー」

正文も、砂ぼこりから離れた場所でぼやきに乗る。
彼を置き去りにしたドタバタな時間は、しばらく続いた。


小花の暴走によって雰囲気はぶち壊しになったが、正文の謝罪がもたらしたものは大きかった。
彼は正式に、メギや七不思議たちに仲間として迎えられた。

「よ、よろしくお願いしま…うわっ?」

「久しぶりにアレをやるぞ!」

正文が一言あいさつを言い終わるか終わらないかのうちに、小花が彼を押しのけて皆の前に立った。

「鬼ごっこじゃ!」

「!」

七不思議たちの意気が上がる。
彼らは期待の眼差しで小花を見つめ、小花もまた彼らの期待を受けて声を弾ませた。

「我らは長らく、かわりばえのないメンツで同じ遊びばかりしておった! 飽きに飽きて小難しいルールを付け加えても、楽しめるのはほんの一瞬! しかもそのルールについていける者といけない者が現れ、双方の間に溝が生まれたりもした!」

七不思議たちがうんうんとうなずく。
小花とあまり仲がいいわけではないベントーベンも、立派な額を何度も前後に揺らした。

「じゃが今回は、小難しいルールを付け加えずともフレッシュな刺激を味わえる! なんといっても、新たな仲間が加わったんじゃからな!」

「…!」

「これ以上なく新鮮な気持ちで、学校中を思いっきり駆けずり回れるぞ! こんな嬉しいことがあろうか! もちろん鬼は正文じゃ!」

「!!」

七不思議たち全員が同時に正文を見る。
見られた正文は、じゃんけんもなしに鬼と決められ、自身を指差しながら目を丸くする。

「え、俺?」

「でははじめ!」

「あっ、ちょ…!」

正文は反論のひとつもさせてもらえない。
小花の主催する鬼ごっこが始まった。

七不思議たちは楽しげに笑いながら、思い思いの方向へ逃げていく。
それを見ているうちに、正文の表情は困惑から苦笑へと変わった。

「…しょうがないな」

正文はそうつぶやき、ゆっくりと走り出す。
目で追うのは、中庭の方へ仲良く向かっていく小花とベントーベンだった。

(ここならきっと、真っ直ぐな気持ちでいていいんだよな。誰かの顔色をうかがったり、ひどいことをされてつらいなんて悩む必要もない…)

本音と本音がぶつかるだけの、シンプルな世界がここにはある。

大人になるにつれて消えていった、いや消さなければならなかった、素直な気持ちを思い出してもいい。
素直でありさえすれば、関係がこじれたとしてもちょっとしたきっかけで仲直りできる。

正文はそう信じられるようになりつつあった。

おかげで心は軽い。
走ることで体は息切れを起こすものの、会社へ走っていた頃のようなつらさは全く感じなかった。


メギや七不思議たちの仲間になってから、正文は何度となく走り回って遊んだ。
先の鬼ごっこだけでなくかけっこや缶蹴りなど、彼が子どもの頃に飽きるほどやった遊びをあらためて楽しんだ。

(もう何十年とこんな遊びやらなかったけど…おもしろいもんだな)

ゲーム機で遊ぶゲームにも、昔の遊びにもそれぞれ特有の良さがある。
どちらが上でどちらが下ということはないと正文も頭ではわかっていたが、やってみて初めて実感した。

否、そもそも昔の遊びなどここに来るまで思い出しもしなかった。
苦い過去は簡単かつ鮮明に思い出せるというのに、昔の楽しい遊びはなぜそうでないのか正文は不思議に思った。

(そういえば、小花は俺が死んだと言って俺はそれを受け入れられなかったけど…)

彼はかくれんぼの最中、自身の腹に左手を当てる。

(今なら、意味がわかる)

ここに来てから、正文は空腹感を覚えなかった。
のどがかわくこともなかった。

それは、人間としての営みからは外れている。

(普通の人間ではなくなったという意味なら…俺は、『死んだ』のかもしれない)

正文の中に恐怖はなかった。
抗おうという気にもならなかった。

彼はただ、この黒く塗りつぶされた空の一坂小学校で、メギや七不思議たちとともに遊んで暮らせればそれでいいと考えていた。

もはや現実に戻ろうと考えることもなく、人間として生きなければという義務感に縛られることもない。

(体と心が健康で、毎日が楽しいなら…別に人間じゃなくたっていい。どうせ俺の人生に、楽しいことなんてなかったんだから……まあ、この考え方は現金で人間らしいし、そういう意味ではまだ人間のままなのかもしれないけど)

正文はひとり微笑む。
左手を腹から離し、表情を変えないままじっと見つめた。

(俺も七不思議の一員…ってことは、俺はさしづめ『体から鎖が出るおじさんの怪異』ってとこかな?)

彼は鎖を出そうと、左手に意識を集中させる。
しかし、望みはかなわない。

左手から鎖が出てこない。

(あれ?)

”ピンポンパンポーン”

一坂小学校の敷地中に、鉄琴の小気味よい音がスピーカーに乗って響いた。
それを聞いた正文は、かくれんぼで誰が見つかったか知らせてくれるのかと思い、そちらに意識を向ける。

スピーカーからの声が、その名を告げた。

”阿久津 正文”

(…え?)

”これは、あなたのせいですよ”

聞こえてきたのは、CF21の声だった。
正文は状況を理解できず、頭の中が真っ白になった。


→ring.18へ続く

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