ring.10+○○○○ 過来シ方 | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

ring.10+○○○○ 過来シ方


阿久津 正文は、一坂郡で生まれた。
10歳まで同地域で過ごしたが、小学5年へ上がるのに合わせて県外へ引っ越した。

県外で成人した後に彼は母親と決別し、一坂郡のある県、しかし別の市に移る。
そこで大家からベーシックインカムの話を聞き、一坂郡に帰ってきたのである。

”お前、アクツってのか? なんかアクニンみたいな名前だな!”

正文の多感な時代に、いい思い出はほとんどない。

”一坂はいなかで、お前はいなかからきた。ってことは、お前がしいくがかりのとーばんやれ! ずっと!”

”そうだそうだ! くっせーニワトリはお前が世話しろ!”

小学5年の春、正文は転入のあいさつをしてすぐに飼育係を押しつけられた。
それは卒業まで続いた。

本来であれば、係を担当する児童は学期ごとに変わる。
しかし、誰も鶏の世話をやりたがらなかったのと担任教師の黙認が重なり、さらに5年から6年はクラスがそのまま持ち上がったため、正文は2年もの間同じ係をやらされる羽目になった。

それだけならまだいい。

”あーっ! アクツがニワトリ殺した!”

飼育小屋で飼われていた鶏が、何者かによって殺されていたのだ。

”お前やっぱりアクニンだったのか!”

”とりさんころすなんてサイテー!”

正文は、クラス中の児童に責められた。
味方はいなかった。

鶏の世話をしてきた彼が、殺すはずはない。
そう思う者はどこにもいなかった。

この話はやがて学年中に広がった。
正文はただ廊下を歩いているだけで、にらまれたり悪口を言われたり、紙クズを投げつけられたりした。

もし、転校してきたのが都会育ちの美男子や美少女であったなら、こういう目に遭っただろうか。
太った引っ込み思案の田舎少年は、悪者にされて当然だったのだろうか。

”阿久津ってのはテメーか”

”ニワトリぶっ殺したらしいなあ? 弱いものイジメのクズがよ”

鶏殺しの汚名は、正文の中学生活にも影を落とした。
ヤンキーと呼ばれる不良生徒たちに目をつけられ、彼は毎日殴る蹴るの暴行を受けた。

”テメーみてえなアクニンは、オレらがぶん殴ってやんねーとなあ!”

不良生徒たちにとって、正文は『心が痛まない相手』だった。

みんなで育てていた鶏を殺すような異常者には、正義の鉄槌を下してもいい。
そういった共通認識が、彼らの中には存在していた。

何年も続くいじめに対し、正文も手をこまねいていたわけではない。
彼は母親が信奉する宗教を頼みにし、『本像さま』と呼ばれる信仰対象を熱心に拝んだ。

それだけでなく、太ったみすぼらしい見た目を改善しようとトレーニングにも励んだ。
殴られ蹴られ痛む体をかばいながら、必死に自身を鍛えた。

だが、結果は出ない。

”お前ちったァやせてみろよクソデブがよ!”

”デブって、そこにいるだけでくさい…どっか行って”

正文の体は、筋肉ではなく脂肪で大きくなっていった。

他の生徒たちはみるみるうちに強くしなやかな体へ変わっていくのに、自分はただ太るばかり。
彼は鍛えれば鍛えるほど、ただつらく悲しい気持ちになった。

それならばと、正文は勉強に打ち込む。
中学2年の2学期あたりから、不良生徒たちが彼を痛めつけるのに飽きたこともあり、次第に集中できる環境が整っていった。

やがて鶏殺しの汚名が忘れ去られる頃、正文は高校生になる。
勉強の甲斐あって、彼は同じ小中学校の生徒がほとんどいない、中の上レベルの高校に進学できた。

高校生活で身体的に痛めつけられることはなかったが、今度は勉強の才能がないことを思い知らされる。
結局いつの時代も、彼は誰かに踏みつけられてきた。

(いつもだよ)

”おい阿久津ぅ! 来月の社外プレゼン、プランBでいくとか行ってたけどマジでなに言ってんの? 社長からプランAでいけって言われてただろ!”

(『お前たち』は、いつもそうだ)

”次の社外プレゼンはプランBでいくが、ちゃんと確認とれてるな?”

”もちろんです社長! あ、でも阿久津はプランAでいくつもりだったみたいですよ”

(頭も要領もいいのに、俺なんか足元にも及ばないのに…わざわざ俺をハメようとする)

正文の脳裏に、つい半年ほど前の記憶が走る。
いつの時代も踏みつけにされてきたとはつまり、学生時代だけでなく社会人になってからもそうだったということを意味する。

”阿久津、事故はお前が起こしたことにしてくれ。どうせ家族とかいないんだろ?”

(できが悪いヤツは、できがいいヤツの代わりに捕まらなきゃいけないのか?)

”なんかもうめんどくせえな、お前ぶっ殺してやるよ”

(お前がめんどくさくなったら、俺は殺されなきゃいけないのか?)

正文の中で、勤めていた会社の社長と加害者の男が重なる。
過去の記憶とつい先ほど起こった出来事が、混ざって濁る。

彼のまぶたは限界まで開かれたまま、閉じない。
ナイフではなく男の顔を見ているのに、恐れる様子はない。

「…ほーう? 息づかいが変わったな」

加害者の男が正文の変化に気づいた。

「さっきまではズブの素人、オマケにクソデブって感じだったが…今はやけに落ち着いてやがる。キレてちったあ腹がすわったか?」

軽く問いかけた後で苦笑いをしてみせる。

「だがなあ、素人がキレたくらいでビビってちゃ、こっちは商売上がったりなんだよ」

男はそう言うと、正文に近づいて胸ぐらをつかんだ。
彼を立たせてすぐに、右手を突き出す。

大型のナイフ。
その刃の半分を、正文の腹に沈めた。

「うぐ…!」

「はい死んだ」

「う、う」

正文は激痛に震えながらも、まばたきをせずに男を見ている。
開ききった目で、男を見ている。

これに男は顔をしかめた。

「もっと深いのがお望みか? しょうがねえな」

男は力を込めてナイフを前進させる。
刃の全てを、正文の腹に押し込んだ。

「これでもうお前は絶対に助からねえ」

男がナイフを抜く。

「どんだけ腹の脂肪が分厚かろうと、コイツを全部ぶっ刺したんだ…はらわたもズタズタよ」

軽く笑うと、正文から離れようとした。

「う、うぅ…ぎぎ」

正文は倒れない。
苦悶の声を漏らしてはいるが、目を閉じることなく踏ん張っている。

「なんか気に入らねえな」

男がいらだち始めた。
離れようとするのをやめ、ナイフで続けて二度刺す。

「ぐっ、がっ」

「火事場のくそ力ってヤツか? さっさと死ねよ、めんどくせえなあ」

「強い、クセに…」

「あァ?」

「…人を…殺しても、生きてて……許されて…!」

「なに言ってんだお前」

男は、唇の左端を引きつらせて笑う。

「ってか、腹ぶっ刺されてよくしゃべれんな。アドレナリンで痛覚トんでんのか?」

「恵まれてる……クセに……!」

正文は男に、怨霊じみた恨み言を返した。
まぶたが開きっぱなしになってからすでに2分以上経過したにも関わらず、彼はここまで一度たりともまばたきをしていない。

刺されて激痛を訴えるばかりだった腹の底に、燃えるような熱さが渦巻く。
この熱さが、激痛に由来する震えもしくは痙攣を、焼き焦がす。

「あの人を殺しても、お前はなんとも思わない。弱い人を傷つけて楽しんでる」

「だからなんだっつーんだよ! クソが、まだ刺され足りねーか!」

男は怒鳴り散らすが早いか、まずは二度刺して刺しっぱなしのナイフを正文の腹から抜こうとした。
しかしナイフは動かない。

いつの間にか、手に何かが巻きついていた。

「なんだ? 暗くてよく見えねえ!」

「恵まれてるクセにッ!」

正文が鋭く叫ぶ。
その直後、夜が消し飛んだ。

「ぬおっ!?」

白い光が何もかもを塗りつぶす。
かと思うとそれは弱まり、昼過ぎの明るさになった。

「…あ? え?」

男は状況をつかめず、きょろきょろと辺りを見回す。
すると土手の近くにふたりの少年を見つけた。

少年たちは、1冊の本を前に興奮の面持ちである。

”う…うわ……!”

”すっご”

「エロ本読んでんのか。しょーがねえガキどもだな」

男は苦笑し、自分にもそんな頃があったと懐かしむ。
一瞬にして夜から昼過ぎへと時間が飛んだことに、何の疑いも抱かない。

やがて、棒でページをめくっていた少年が、本の異常に気づいた。

”なんか、つぎのページがやけにオモイ……”

”もっとすげえヒミツってのが、かくされてんじゃねーか…!?”

「いやそうじゃねえ。そいつは…」

”ボクがページもっとくから、りょうてでペリペリって”

「はがすつもりか? やめとけって」

男は制止するが、その声は届かない。
棒を持っていない少年の手が、本に触れた。

少年は両手で、くっついていたページを開く。

”……? なんだこれ?”

開かれたページには、女性の裸が大きく載っている。
その上に、白く濁った液体が付着していた。

少年ふたりはその液体が何なのかわからなかったが、しばらくするとある刺激に反応する。

”くっせ!”

”変なにおい…”

「ははっ、まだわかんねーか」

少年たちの反応に、男はオスの先輩として笑みを浮かべる。

「お前らもいずれ毎日しぼり出すことになる。サルみてーにな」

やがて少年たちは、液体に気味の悪さを感じ本を捨てて逃げ出した。
彼らの姿が消えると、男の視界に夜が戻ってくる。

それに加え、鈍色に輝く塊が空に浮かんでいるのが見えた。

「…なんだこれ?」

ページを開いた少年と同じ言葉を、男はきょとんとした表情で口にする。
それに答えたのは、男の前に立つ正文だった。

「俺の右手だッ!」

正文が言い終わると同時に、鈍色の塊が空から男に向かって落ちる。
それは鎖が幾重にも巻きついて4倍もの大きさになった、正文の右拳だった。


→ring.15へ続く

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