Ch.235 因果応報 | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

Ch.235 因果応報


魔物とひと口に言っても、その形態には差がある。

裏界の暗闇を走る電車に潜む『赤黒いもの』のような、完全なる異形。
ラ・クィンレやミオラといった、人間ではないが異形よりは人間に近い肉体を持つもの。

そして現在の相良市に多数存在する、肉体は完全に人間だが頭部のみ動物に変化した亜人種タイプである。
三女こと三ツ矢女子高等学校のグラウンドに集まっている魔物とは、この亜人種タイプだった。

(みんなあたしに気づいてない…)

あかりは不思議に思った。
魔物たちの楽園となった三女において、明らかに異質な自分の存在を誰も察知していないと感じた。

頭部も含め全身が普通の人間に見える彼女は、ただでさえ目立つ存在である。
言うなれば、帽子をかぶった100人の中でひとりだけ帽子をかぶっていないようなものなのだ。

しかも機装隊を騙る何者かがデマ動画を拡散させたことで、いつあかりが来るのか、一体どういうことなのか問いただしてやると魔物たちが目を光らせていてもおかしくはなかった。

にも関わらず、誰も彼女が来たと騒いだりはしない。

(あ)

理由を探そうとしたあかりは、グラウンドに集まった魔物たちの顔がある一点に向いているのに気づく。
それは彼女自身も一度立ったことのある朝礼台だった。

(…誰か来てる?)

朝礼台の上には、マイクやマイクスタンドといった機材が置かれている。
まだ時間ではないのか、登壇者はいない。

あかりが心で「誰か来てる?」と言ったのは、これから登壇者が現れてイベントが始まるのだろうか? という意味だった。
静かではあるが強い驚きが、彼女をずいぶんと言葉足らずにしてしまっていた。

(誰だろう…)

今の相良市で、自分以上に有名な人物とは一体何者なのか。
魔物たちが形作る集団を遠巻きに眺めながら、あかりは考える。

集団の形は、以前あかりが来た時のU字ではなく、円とも四角ともいえないものになっていた。
当時からかなり時間が経ったということもあるだろうが、原因はそれだけではなかった。

「なんか偉い人が来るって言ってたけど…」

「今までやってたイベントとは違うっぽいよな」

ざわめきに紛れて、そんな声があかりの耳に届く。

魔物たちは、純粋な興味に心を突き動かされて集まったのではなく、疑問と戸惑いにひかれるままやってきたようだ。
図らずも、集団の形の違いはそこに集まる者たちの心情の違いを表していた。

(偉い人…市長さんでも来るのかな? いや、でも…)

あかりは首をかしげる。

自治体の長がリーダーシップを発揮するのは大事なことだろう。
政治のことなど理解していない彼女でも、それくらいはわかる。

しかし、魔物は獣じみた残虐さで人を殺すという情報が、相良市中をすでに駆け巡っていた。
デマ動画など拡散される前から、市内にいる誰もがそのことを知っていた。

だというのに、市長が魔物の集まる場所に顔を出したりするだろうか。

(うーん……)

疑問よりも先に、否定という答えがあかりの中に充満する。
市長だけでなく市議会議員なども含めた『政治的に偉い人』が、この場に現れるとはどうしても思えなかった。

では一体誰が朝礼台に上がるのか?
あかりがこの疑問に立ち返った時、魔物たちの間を何やら黄緑色のものが移動していくのが見えた。

(ん?)

彼女はそれを注視する。
黄緑色のものは魔物だかりの向こうにいるようだが、魔物たちが着ている色とりどりの普段着に阻まれて正体まではわからない。

やがて黄緑色のものは朝礼台の近くで一度止まった。
それから少しずつ空に向かって、まるで階段でも上っているように段階を分けて急激に上がっていった。

(え…)

黄緑色のものが上がっていく度に、あかりの表情が変わる。
単なる疑問からまさかという疑いへ、そして最後には怒りを含んだ驚愕へと移っていく。

正体が判明した瞬間、彼女は心で叫んでいた。

(マスク!)

朝礼台に上がったのはマスクだった。
黄緑色の何かとは、その色に染められ逆立てられた彼の髪だったのだ。

マスクはマイクスタンドからむしるようにマイクを取ると、集まっている魔物たちにこう声をかけた。

”おーおー、集まってんなァ。バカどもがガン首そろえてよォ”

この第一声を受けて、集団の雰囲気が一変する。

「なんじゃあいつは」

「何がバカどもだよ、ざけんな」

「あんたの方がバカみたいな頭してんじゃない」

老若男女、全ての魔物がマスクに対し敵意を抱いた。
仕掛けた本人は、その様子を見ても動じない。

”お前ら、偉いヤツが来るってんで集まったんだろ? オレがその偉いヤツだ。名前は、まあ…マスクとでも呼べ”

自己紹介を終えたマスクは、せせら笑いながら魔物たちに言い放つ。

”早速だが、お前らには死んでもらう”

「な、なんだと!?」

魔物たちは騒然とする。
だが、マイクに乗ったマスクの声がその音量を上回った。

”動画見たよなァ? 見てねーヤツがいても知ったこっちゃねーがよ。お前らは相良市をこんな状態にした悪い魔物たちだ。西山 あかりってヤバいヤツが、どっかから連れてきた先発隊でもある”

「一体何の話よ!? 私たちがなにしたっていうの? いきなり顔がこんなになってわけわかんないのに!」

”あーあー聞こえねえ。三女は『機装隊』が囲んでっからよ、お前らはもう逃げらんねーぜ。おとなしくここで死にやがれ”

「そんなこと言われて納得できるわけがなかろう! 大体、お前のような怪しいヤツが偉い人間なわけがない!」

老人の叫びが、魔物たちの心を瞬時に結びつける。
ざわめきは怒りの声へと変化した。

「そうだそうだ!」

「何がマスクよ! 口裂け女みたいな絵描いて!」

「俺たちをこんな顔にしたのもお前か! いつか報いを受けるぞ!」

”あァ? 今なんつった?”

マスクの顔が、ラクダ頭の男性に向く。

”報いっつったか? 因果応報ってヤツか? まさかお前、そんなもん信じてやがんのか?”

そう言ったかと思うと、けたたましく笑い出した。

”ゲヒャハハハハハハッ! こいつァいい! テメェの正体もわからねーヤツにはお似合いのバカさ加減だぜ!”

「な、何がおかしい!」

大勢の前で侮辱され、ラクダ頭の男性は憤慨する。
彼に対し、マスクはその理由を口にした。

”おかしいに決まってんだろ! じゃあ何か? お前は今まで毎日、植物と動物に『食われてきた』ってのか?”

「く、食われ……? なんだと?」

”バケモンになった今は知らねーが、人間だった時はメシ食ってたろォ! メシってのは植物と動物だぜ! お前は植物と動物を、食って食って食いまくって生きてきたんだ”

「それのどこが悪い? みんな同じだろう!」

”別に悪ィとは言ってねーぜ。だがよ、お前はこのオレに向かって『報いを受ける』って言ったんだ。つまり『やったらやり返される』ってことだろ? じゃあ、食ったら食い返されるってことじゃねーのかよ?”

「……!?」

ラクダ頭の男性は絶句する。

やったらやり返される。
食ったら食い返される。

確かに同じことである。

しかしラクダ頭の男性は、今までそんなことを考えたことがなかった。
単に、悪いことをすればそれがそのまま返ってくるという意味でしか、報いという言葉をとらえていなかった。

そしてそれは、周囲にいる他の魔物たちも同じだったのだ。
因果応報の意味を知る者全てが、反論できずに黙り込んだ。

”ギャハハッ!”

マスクは楽しげに笑う。

”ぐうの音も出ねーじゃねーかバケモンどもがよォ! 矛盾してるよなあ? 気づいちまったよなあ? 毎日植物と動物を食ってるヤツ全員、だーれも食い返されてねーんだよ! なのに何が『報いを受ける』だ? バカ言ってんじゃねえクソバカどもが!”

「……っ!」

”報いなんてのはな、人間が自分の手で受けさせるもんなんだ! オレがお前らをぶっ殺すのもそうなんだぜ! この国で生まれたお前らこそ、報いを受けるべきクソども…おっ?”

マスクは話の途中で、集団から離れているあかりを発見した。

”なんだよ来てたのかァ? 西山 あかり!”

フルネームで彼女の名を呼んだ上で、指を差す。

”バケモンどもを引き連れて好き勝手しようとしたらしいが、残念だったなァ! もう終わりだぜ! お前もここでぶっ殺されろ!”

「好き勝手しようなんて思ってない!」

あかりは大声で叫ぶ。
マスクの指差しも相まって、魔物たちの目が一斉に彼女へ向いた。

「…!」

急に注目を浴びたことであかりは一瞬だけひるむが、すぐに気持ちを切り替える。
言葉をなくした魔物たちに代わって、マスクに敢然と立ち向かった。

「それにこの人たちはバケモノなんかじゃない! あたしたちと同じ心を持つ人間だ!」

”ハハッ、バカ言ってんじゃねーよ西山 あかり! 頭が別モンになっちまってんだぜ? どう見たってバケモンだろーが!”

マスクはこれまで、あかりの名を呼ぶことなどほとんどなかった。
それが今になってフルネームを連呼している。

彼は魔物たちに、名前を憶え込ませようとしていた。
その結果はすぐに現れる。

「西山 あかり? あの子が?」

「動画の子だっけ、なんか吹雪出してた」

「いや動画だけじゃなくて、ちょっと前にもここ来てたろ」

「そうじゃったか…?」

マスクに対する鬱憤を晴らせないまま沈黙していたのが、再びざわめき出す。
魔物たちの足並みは乱れた。

しめしめとばかりにマスクが目を細める。

”こいつらがバケモンなのは見た目だけじゃねえ! そいつを今からたっぷりと教えてやるぜ!”

彼が言い終わるとすぐに、スピーカーから耳をつんざく甲高い音が発生した。
その場にいる誰もがハウリングかと思ったが、そう口にする間もなく音は消える。

だが完全に消えたわけではなかった。
甲高い音はボリュームを徐々に下げていきつつ、点滅するかのような断続性を維持している。

これこそがきっかけだった。

「グアアア…!?」

魔物たちの何人かが、突然頭を抱えて苦しみ始めた。
かと思うと両手を勢いよく振り下ろし、雄叫びをあげる。

「ガアアアアアッ!」

それは頭部と同じく獣じみたものだった。
体を動かす速度からも、人間味が失われる。

理性を失った魔物たちが、あかりに向かって走り出した。
マスクによって名前を憶え込まされたことが、照準を固定する役割を果たしたのだ。

「く…!」

あかりは迫り来る魔物たちを見ながら歯噛みする。
助けられない人を増やさないという理由でここまで来たというのに、このままではそれを自ら反故にしてしまう。

(ここはなんとかしのいで、マスクを…!)

朝礼台の上にいるマスクさえ倒せば、魔物たちは元通りになるはず。
あかりはそう信じて、まずは氷の防御壁を作り出そうとした。

しかしその間にも、理性を失う魔物たちは増える。

「グィヤアアアアアッ!」

「グホッ、グホォオオッ!」

「ギギギギィーッ!」

最初は数えるほどだったのが、一瞬にして数十体、気がつけば集団のほとんどが野性にかえっていた。
これを見たあかりは、事態の急変ぶりに愕然とする。

「な…!?」

”迷うことはねーんだぜ、西山 あかり! 相手はバケモンだ、遠慮なく冬眠させてやれェ!”

「くうっ!」

できるわけがない。
言い返したいが、あかりにはもうそんな余裕すらなかった。

生半可な壁でしのぐことは不可能である。
なにしろ魔物1体でも人間の体を引き裂き、建物に傷をつけるほどの力を持っているのだ。

だが強固な防御壁を作ってしまえば、攻撃をしのぎつつ反撃するというわけにはいかなくなる。

防戦一方ではいずれジリ貧になるだろう。
かといって、数十を超える強力な攻撃に対して防御を削るのは自殺行為といえた。

右手から吹雪を放てば、今なら魔物全員を氷漬けにすることができる。
しかし。

(できるわけがない!)

一体何のためにここへ来たのか。
それを考えると、あかりは魔物たちを攻撃することなどできなかった。

(とにかく今はなんとかして、みんなが元に戻るのを待つしか…)

「あかりちゃん!」

誰かの声がした。
聞き覚えのある声だった。

一体誰なのかとあかりが思う間もなく、左手を引っ張られる。

「こっちだ!」

「えっ、ちょ…」

彼女は戸惑いながら、左手の先にいる誰かを見た。
直後、目を見開いて相手の名前を口にする。

「晴人くん!?」

「ずいぶんと久しぶりだね。でも今は走って! ここから出るんだ!」

「う、うん!」

あかりはうなずき、ただ引っ張られるだけでなく自分でも意識して足を動かす。
彼女が見つめる晴人の背中には、トレードマークともいえる大剣・塊王ゲシュタルトが見当たらなかった。


>Ch.236へ続く

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