Ch.193 おもい拳 | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

Ch.193 おもい拳


火が木を焼き、煙を作る。
煙は空に立ち上り、やがて風に崩され消えていく。

これだけなら、表側の世界と何も変わらない。
だが裏界の、しかも『如駅』のはるか下に広がるこの領域では、いささか事情が違っていた。

遠くにあるものは粗く見え、近くにあるものは表側の世界と同じように見える。
上空の階段にいる刀磨たちの目には、森の向こうで立ち上り消えていく煙がドット絵のように映っていた。

「ミオラとリーエイルって人がいる場所に行くには」

刀磨が、地上を眺めながら言う。

「階段を下りてからぐるっと回って、森をど真ん中から突っ切らなきゃいけない。つまり、僕たちはこれから争いの真っ只中に入っていくことになる」

「わざわざ真っ只中に入る必要はないだろう。森の向こう側に行けばいいというのなら、周りを歩いていけばいい」

勇治郎が反論すると、刀磨は彼に顔を向けた。

「表側ならそうなんだけどね…残念ながらここは裏界なんだ。表側みたいに世界がしっかりできあがってないんだよ。だからこそ、僕たちは正確な動きを要求される」

「世界がしっかりしてるかどうかはどうでもいい。わかりやすく言え」

「さっき言った通りだよ。森のど真ん中を突っ切るしかない」

「別のルートはないということか」

「そうだね。森の周りを進もうとしても、全然違う場所に飛ばされる…『如駅』がある層で、線路の外に出るとわけわかんないとこに飛ばされるって言ったけど、それと似たようなものだね」

刀磨はそう言ってから、再び地上を見る。
魔刀8N4の切っ先で煙を指し示した。

「ここは見え方もおかしいから君たちの目じゃわかんないだろうけど、森を抜けた先…ちょうどあの煙の向こうには村があって、その広場には井戸がある。そこに飛び込めば、この領域を抜けることができるよ」

「その先にミオラとリーエイルがいるのか?」

「ふたりの『歪み』まではまだちょっと距離があるね。この領域を抜ければすぐに会える、って感じにはならないんじゃないかな」

「そうか…」

勇治郎は静かに言いつつ、刀磨が示した方向へ顔を向けた。

上空の階段から煙まではあまりに遠い。
煙が灰色ドットの集合体になっているのはもちろん、その周りにある木々も緑ドットの集合体になっていた。

加えて煙の向こうには茶色ドットの集合体があり、先の2色と混ざり合ってモザイク模様を形成している。

茶色ドットはおそらく村の建物だろう。
事前に刀磨から説明を受けていなければ、そこに村があるとは想像することもかなわない。

「森の先にある村の井戸、か。まずはそこを目指すというわけだな」

この領域における目的地ははっきりした。
話は直近の問題に移る。

勇治郎は姫に向き直り、問いかけた。

「姫、どうだ?」

「あ…えっと」

姫は困惑の一歩手前といった声を返す。
今もうずくまったままの隆をチラリと見た。

何に対する問いかけなのかはすでにわかっている。
彼女は沈んだ表情で勇治郎に報告した。

「隆さん、まだ動けそうにないですね…さっきの爆発でもっと怖くなっちゃったみたいで」

「そうか。だがいつまでもここに留まっているわけにはいかん」

「えっ?」

「どくんだ、姫」

勇治郎は有無を言わさず、姫を押しのける。
隆のそばにしゃがみ込んだ。

「隆」

「……」

隆は返答しない。
勇治郎は構わず続ける。

「さっきは冗談まじりだったが、今度は本気で言う。お前はここに残れ」

「…!」

隆の体がぴくりと震える。
それだけ、勇治郎の言葉は衝撃的だったようだ。

勇治郎はその反応にも言及しない。
淡々と話を進める。

「刀磨の話では、何やらわからん連中が下で争ってるらしい。だがこの階段は今も壊れずに残っている。つまりここは安全だ」

「……」

「それにお前には、切符や定期を作り出す力がある。いざとなったらそれでアジトに戻ればいい。刀磨の世話なら心配するな、ヤツは殺しても死ぬようなタマじゃない」

この言葉を聞いた刀磨が「ほめてるのかけなしてるのかわかんないねそれ」と呆れた様子でつぶやく。

姫は思わず苦笑したが、勇治郎は自身と隆の他を意識から切り離していた。
話の腰が折られることはない。

勇治郎は、口から発する声にますます力を込める。

「お前はもともと、ミオラやリーエイルとは何の接点もない。言ってみれば、ここにいなきゃならない理由がないんだ。だからアジトで待っていても誰も責めやしないし、表側に帰ったって…」

「…いやだ」

隆が、うずくまったままそう言った。
臆病そのままといった体勢だが、その声には確固たる意志が乗っている。

「確かにオレは役に立たないし、みんなの足を引っ張ってるかもしれない。でも、だからってこのまま帰れないよ」

「じゃあここで待っていろ」

「それもいやだ…!」

隆は声を震わせる。
だがそれは、恐怖によるものばかりではなかった。

「ちゃんと追いつくから」

彼は悔しがっていた。
心の底から、悔しがっていた。

つい先ほどまで見せていた、滑稽かつ軽々しい態度ではない。
男としての悔しさが、恐怖と同じくらい、いやそれ以上の強さで隆の心を突き動かしていた。

「後でちゃんと追いつくから、みんなは先に行ってて…!」

「下は危険だ」

勇治郎は受け入れない。

「怖いからといって、今みたいに立ち止まってたら本当に死ぬぞ。俺や姫も毎回お前をかばいきれるわけじゃないんだ」

「もうこんなことはないから…! 今回限りだから!」

隆も折れない。
その態度に、勇治郎は小さく笑う。

「仕方がないな…」

そう言いながら、隆に向かって手を伸ばした。
直線的でありながら流麗なその動きは、見る者に『勇治郎が優しく立たせてやるのではないか』という予感を与える。

だが実際は決してそうではなかった。
勇治郎は隆の胸ぐらをつかみ、無理矢理に立たせた。

「歯を食いしばれ」

この言葉を聞いて姫は驚愕する。
止めなければという思いが、叫びとなって口から飛び出た。

「勇治郎さん!?」

制止を意味するその声は届かない。

「いくぞ」

勇治郎は前置きをした上で、隆の顔を殴った。
叱るために頭を殴ることはこれまでも何度かあったが、顔は初めてだった。

「うぐ…!」

隆の体が傾く。
だが胸ぐらをしっかりとつかまれていたため、決して足場がいいとはいえない階段上でもよろけることはなかった。

勇治郎は拳を下ろすと、冷静さを崩すことなく隆に告げる。

「痛いだろう。怖いだろう。だが、下で待ってるのはこんなものじゃない」

「……」

「俺はさっき『いくぞ』とわざわざ言ったが、死なんてものは突然やってくるんだ。何の前触れもなくな」

「………」

「理由もクソもない、死ぬから死ぬ…こっちが何を言ったって聞きゃしない。まさに問答無用というヤツだ」

「うぅ…」

「お前はそれでもついてくる気か? ミオラやリーエイルと接点がないということは、この戦いが終わってもお前には何のメリットもないということだ。それでも、お前はついてくる気なのか?」

「…オレは…」

「別に答えを言う必要はない。俺たちはお前を待たずに先へ行く、それだけのことだ」

勇治郎は、隆の胸ぐらから手を離す。
彼に背を向けた。

そこへ、隆が訴えかける。

「勇治郎さん、オレは」

「ついて来たければ勝手にしろ。だがもう、お前をかばってやる余裕はない。大ケガをすれば野垂れ死にだ。お前は親も友人もいないこんな世界で人生を終えることになる」

「……」

「その意味を、よく考えるんだな」

勇治郎は階段を下り始めた。
そこに迷いは全くなかった。

「……」

彼の気迫に、姫は言葉を失う。

隆を心配そうに見つめはするものの、勇治郎とあまり離れるわけにもいかない。
彼を追い、階段を下りていった。

刀磨も無言でそれに続く。
後には、隆ひとりが残された。

「うぅ…ううぅ」

隆はうめき声をあげながらその場にしゃがみ込む。
確固たる意志もどこへやら、階段の方を向いてうずくまるのだった。


3人は、それから10分以上も階段を下り続けた。
しかしその間、勇治郎と姫が口を開くことはなかった。

口を開くという行為をしないのは同じだが、表情はそれぞれ全く異なっている。
勇治郎は真顔であり、姫は悲しさと寂しさがないまぜになった顔をしていた。

「……」

姫は何か言いたげに、勇治郎の背中を見つめる。
だがそのみずみずしい唇が、言葉を紡ぎ出すことはない。

勇治郎とて、やりたくてやったわけではない。
そう思うとため息をつくことしかできなかった。

そんな中、刀磨は先ほどまでと変わらぬ態度を維持している。
勇治郎や姫の後ろ姿を眺めたり、地上を観測したりと忙しい。

「…ん?」

ふと何かに気づく。
気づいた時、顔は地上に向いていたが両目は別の方向に向いていた。

刀磨は観測をやめ、すぐ前にいる姫に近づく。
彼女だけでなく、さらに先を進む勇治郎にも聞こえる声でこう言った。

「ちょっと待ってもらえるかな」

「…?」

「なんだ?」

ふたりが足を止めて振り向いた。
しかし、刀磨はそれっきり何も言わない。

「……おい?」

勇治郎が不審の声をあげると、刀磨はニヤリと笑ってみせた。
いたずらなその笑みに、勇治郎はいらだつ。

「何の真似だ」

「ちょっとしたお遊びだよ」

「俺は今、虫の居所が悪い」

勇治郎は胸の前で両手を組むと、指の骨を派手に鳴らした。

「お遊びじゃすまんぞ…覚悟しろ」

「そんなにカリカリしてちゃ、戦場で生き残れないよ」

「残念だったな、俺はもう死んでる」

「おおっと。その話、自分で蒸し返すんだ? これはまたいちから説明してあげなきゃいけないねえ」

「この…!」

堪忍袋の緒が切れた。
勇治郎は、刀磨に殴りかかろうとする。

その時、姫が大声をあげた。

「勇治郎さん!」

「止めるな姫。こいつは一度、きちんとしつけてやる必要が…」

「そうじゃなくて! 上見てください!」

「上?」

自分たちはすでに、上空何百メートルという高さにある階段の上にいる。
これ以上見上げてどうするつもりかと勇治郎は疑問に思い、姫を見た。

すると彼女は階段の上を指差している。

「上というのはそっちか」

勇治郎は姫の意図を理解し、階段の上へと顔を向けた。
直後、誰かの声が聞こえてくる。

「…ぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

それは隆の声だった。
彼はまるではしごを下りるように、後ろ向きの四つん這いで階段を進んでいた。

先ほど刀磨の両目が向いていた別の方向とは、階段の上だったのである。
彼は隆の接近にいち早く気づき、勇治郎と姫を引き止めるために声をかけたのだ。

「オレも行く! オレも行くんだ! だから残れとか帰れとか言わないでくれぇええっ!」

隆は必死に訴えながら階段を這い下りる。
それは決して格好のいい姿ではなかったが、だからこそついていきたいという思いを如実に表していた。

「……ふっ」

勇治郎は思わず笑う。
そこへ刀磨が、いたずらな笑みを浮かべたまま尋ねた。

「さっき、彼に向かって『ついて来たければ勝手にしろ』って言ったよね?」

「…言ったな」

「じゃあ、置いていく置いていかないって話は、もう終わりってことでいいかな?」

「ああ、終わりだ」

勇治郎をいらだたせていた虫は、どこかへ飛び立ったようだ。
彼は拳を下ろすと、隆を真正面から迎えるのだった。


>Ch.194へ続く

目次へ→