Act.218 変わりゆく認識
紫色の雷壁が、目前に出現した。
すでに離脱を開始していたのが功を奏し、悟は接触を免れる。
直後、シロの声が意識に響いた。
”情報を読み取られました!”
悟の能力が『スサノオ』だと、なぜ魔人エンディクワラ・テリオスにバレてしまったのか。
シロが伝えてきたのはその理由だった。
”能力には魔人の細胞が使われており、受けた影響を記憶しています。それを読み取られました!”
血液の中には当然、それを流した者の細胞が含まれている。
人間の血液中には人間の細胞があるのと同じように、魔人の血液中には魔人の細胞がある。
魔人エンディクワラとは、たったひとつの細胞であっても魔人の意思と力を持つ、という存在だった。
自らを完全な魔人と称するエンディクワラ・テリオスは、悟に与えられた深手を手痛い損害で終わらせなかった。
その強靭な意志で、魔人の細胞、つまり彼女の言う『我が同体』を体外へ放つ契機に変えた。
血液中の細胞が『スサノオ』の鎧に付着し、そこに含まれる魔人の細胞から情報を読み取る。
その後、出血とは逆方向に動いて傷口から魔人の体内に戻り、本体に情報を伝える。
これにより、魔人は悟の能力を特定するに至ったのだ。
”しかし、読み取ったのはこちらも同じです!”
シロが力強く言うと、悟の視界にいくつかの直線と文字が現れる。
それらは組み合わさって、つい先ほど避けた雷壁が『雷電障壁(ダイ・ザグド)』という魔法であることを彼に示した。
(これは…!)
まるでプレゼンテーションソフトで作られたかのような図形と文字による説明が、悟の理解を瞬時に深める。
そこへシロの言葉が続いた。
”『スサノオ』の鎧に付着した魔人の細胞から、魔法のデータを得ました! 完全ではないようですが、8割以上は把握できたはずです!”
”クソ魔人は細胞ひと粒でも意思を持つ。だからこそここまで読み取れたってわけか! やるじゃねーか!”
レイヴンがシロの功績を称える。
負けてはいられないと、今度は彼が悟にこう伝えてきた。
”コイツが記憶したデータがありゃ、クソ魔人がいつどんな魔法を使うのかある程度予測できる! いちいち『次は何をしてくるんだ?』なんて、ビクビクする必要はなくなるぜ!”
(ありがとう、ふたりとも!)
心強いサポートに、悟の胸は熱くなる。
それに呼応してか集中力も上がり、後退する動きに急旋回が加わった。
雷壁の側面から回り込む。
上半身しかない魔人の姿が、雷壁が持つ紫のカラーフィルターなしで見えるようになった。
「ぬうっ!」
『雷電障壁(ダイ・ザグド)』を悟に当てられなかったことで、魔人は忌々しげな声を放つ。
体を包む炎は消えてしまっていたが、それでも戦意を失った様子はない。
それどころか炎の触手を放ってきた。
これに悟は舌を巻く。
(まだ折れないのか!)
下半身を失ったというのに、魔人の心は折れていない。
これまでと変わらぬ勢いで攻めてくる。
触手の数は7。
『天羽々斬』の特別な効果から逃れるために、8本から数を減らしたようだ。
しかしただ減らしたわけではないようで、触手の直径は太くなっている。
悟の目には、触手たちが蛇というより龍に見えた。
魔人は、重傷を感じさせない朗々とした声で宣言する。
「お前が『スサノオ』…神になったというのなら、私はそれを心から冒涜しよう!」
炎によって構成された触手でしかなかったそれらに、彼女は名前をつけた。
「『黙示録の獣』!」
「グアアオッ!」
名呼びは号令となり、獣に雄叫びをあげさせる。
数を減らして再構成されたことで、『天羽々斬』で斬られた傷は完全に消滅していた。
意味と認識が能力に力を与える。
先ほど悟がやったことを、今度は魔人がやってのけていた。
「ぬあっ!」
悟は、左手に持った『天羽々斬』で斬りつつ回避する。
しかし先ほどのような手応えがない。
7本の龍たち、その体を構成する炎を切断することができない。
(やっぱりダメか!)
魔人の目論見通り、『天羽々斬』が持つ特別な効果は『黙示録の獣』に対して発揮されなかった。
しかし、それで攻撃の手が失われたわけではない。
(剣はもう1本ある!)
『天羽々斬』がだめならと、『天叢雲』で獣を斬る。
すると、斬った箇所から水蒸気が立ち上った。
これは、魔人が突き刺してきた炎の剣を消滅させた時と似ている。
しかし獣の体が大きすぎるためか、水蒸気は炎に飲み込まれてしまった。
(なんか…ちがうな)
触手が8本の時に『天羽々斬』で斬った時ほどの変化はない。
『天叢雲』では炎の体を切断することができず、獣が苦しむこともない。
触手の速度は8本の時と変わらないため、悟は魔人に近づくことができなくなる。
距離が徐々に開いていく中で、魔人の切断面から出ていた血が止まっているのが見えた。
”回復魔法だ…!”
レイヴンが、止血の理由を悟に告げる。
”クソ魔人の野郎が魔力を溜めてたのは、『雷電怒涛(ダイ・オット)』みてーなド派手な魔法を使うためじゃなかったんだ!”
(どういうことだ?)
悟がさらに後退しながら尋ねると、レイヴンは順を追って説明する。
”魔法のデータがきたおかげでわかったんだが、オレらを閉じ込めた『雷獄(ダ・グェシド)』やさっきの『雷電障壁(ダイ・ザグド)』は、どっちかっつーと低ランクの魔法なんだ。クソ魔人がわざわざ魔力を溜める必要なんかねーんだよ”
(低ランク…魔力を溜めなくてもいい? でも溜めてたよな)
”ああ。魔力を溜めるとなりゃてっきり『雷電怒涛(ダイ・オット)』を使ってくるもんだと思ってた。でもほんとはそうじゃねえ、クソ魔人は回復魔法を使いたかったんだ。そのために魔力を溜めてたんだよ”
”回復魔法は、攻撃魔法よりも多くの魔力を必要とします”
レイヴンの説明に、シロが補足を入れる。
”肉体にもともと備わっている自然治癒力を引き上げるだけでは、傷を瞬時に癒やすことはできません。回復魔法には時を巻き戻す効果が大なり小なり備わっているようです。そのためか、中ランクの回復魔法を使う場合、高ランクの攻撃魔法に匹敵する魔力が必要になります”
(ってことは、さっきおれが閉じ込められなかったら…)
”もしかしたらその時点で、私たちの勝利が確定していたかもしれません。が…その時はまだ『雷獄(ダ・グェシド)』という魔法が存在することさえ、私たちは知りませんでした。不可抗力と言っていいと思います”
悟が、黒い太陽から炎を放って魔人の火炎魔法を吹き飛ばした時。
炎で炎を吹き飛ばしたということが、魔人の逆鱗に触れた。
魔人は激情を口にするとともに魔力を溜め始め、その言動が悟たちに『雷電怒涛(ダイ・オット)』級の強力な魔法を使うのではないかと思わせた。
悟はそれを阻止すべく、触手たちをかいくぐって魔人に攻撃を仕掛けようとした。
その時に魔人が使った魔法こそ、悟を閉じ込めた『雷獄(ダ・グェシド)』である。
飛べなくなった悟が雷の床で苦しんでいる間に、彼女は回復魔法を使って欠けていた体をもとに戻した。
つまり逆鱗に触れたように見えたのは、悟たちに魔力を溜める目的を誤認させるための芝居だった。
最初から魔法に関するデータを持っていれば、悟が閉じ込められることも、魔人が体をもとに戻すこともなかっただろう。
”こちらの無知につけ込む、恐るべき悪辣ではないかと…”
(…いや、それはちょっとちがう気がする)
悟は、『黙示録の獣』の攻撃が届かない位置で動きを止めた。
構えは解かないものの、じっと魔人を見つめる。
血の止まった切断面が、ゆっくりと盛り上がり始めていた。
魔人は獣に自身を守らせながら、少しずつ下半身を再生させていく。
悟はそれを止めようとしない。
シロに向けてそっとこう言った。
(多分、アイツも必死なだけなんだ)
”…え?”
(アイツは…魔人は、目的のために手段を選ばずいろんなことをやってきた。おかげでたくさんの人たちが傷ついて、レイヴンもつらい目に遭った…だからおれは謝らせたいと思った)
”……はい”
(でも、体が半分になっても心が折れないって相当なもんだと思う。いくら細胞ひとつでも魔人として生きていけるからって、それとこれとは話が別…必死になって生きてるって部分では、きっとおれたちと同じなんだ)
悟の中で、魔人に対する認識が変わり始めている。
それを感じてか、レイヴンが彼に尋ねた。
”同じだって思ったから…オマエはどうすんだ? もう戦いはしまいにするのか?”
(いや)
悟は上体をわずかに倒す。
空気抵抗を低めたその体勢から、前へと飛び出した。
(だからこそ、ここで倒す!)
「ガアアッ!」
彼の接近を感じ、『黙示録の獣』が迎撃態勢をとる。
しかし悟は、回避のために動き回るということをしない。
(ただ謝らせるんじゃない! 同じ『必死に生きる者』として、敬意をもってアイツを倒す!)
心で叫ぶと同時に、右手の『天叢雲』を大きく薙ぎ払った。
その斬り筋から刃のような水が現れ、7つある獣の頭部のうち3つを斬り飛ばす。
「なに!?」
魔人は思わず目を見開き、回復の手を止める。
だらしなく垂れて動かなくなった獣の首に、驚愕の眼差しを向けるのだった。
>Act.219へ続く
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