Act.173 想い | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

Act.173 想い


外へ向かった『ヴァルチャー』と『パピヨン』を見送った後で、可恋はブラウスの裾から青紫のブローチを外した。

ポケットから同じ色のヒモを取り出すと、セラメディカを操作している職員のひとりに声をかける。

「これ、持っててくれる?」

「はい」

今もまだ可恋の特性『托卵』に操られている職員は、ためらうことなくそれらを受け取った。

ブローチは能力者反応を隠蔽する効果を持ち、ヒモは能力者の変身を解除した上で拘束することができる。
生身のままでも戦える防御と攻撃の手段から、可恋は同時に手を離したのだ。

(あたしも…ううん、あたしたちも)

彼女は、左肩に乗っているスプレッダ『ククールス』を見つめた。

(自分たちの力で、戦わなきゃね)

心で言葉をかける。
だが『ククールス』は、とぼけたように首をかしげてみせるばかりだった。

そんな相棒に苦笑を見せた後で、可恋は悟に近づく。
すぐそばまで来るとしゃがみ込み、彼の顔を見上げた。

「…あれ?」

先ほど見た時には気づかなかったが、悟の左目の周囲に赤い拭き筋が薄く残っている。
可恋は、近くで作業しているもうひとりの職員に顔を向けて尋ねた。

「これ、なに?」

「…? ああ、それは出血のあとです」

「それはわかるわよ。あたしが訊いてるのは…」

そう言ったところで、可恋の言葉が止まった。

先ほどブローチとヒモを手渡した職員だけでなく、今話している職員にも『托卵』は効いている。
なのに、職員は可恋の意図をくむことなく目に見える事実だけを口にした。

それが主に気づかせる。

「それ以外はわからない…ってこと?」

「はい」

職員はうなずいた。
セラメディカに接続された医療機器のひとつ、そのモニター画面を指差す。

「あれを見てもらえればわかるように、能力者『レイヴン』の出血は突然起こりました」

「………」

可恋の目が、モニター画面に向く。
だが彼女には、おびただしい量の文字やグラフを読み解くことができない。

そこへ、職員の説明が続いた。

「出血した分は、本来なら能力者『レイヴン』のひざか、もしくは床に落ちているはずなのですが…」

「それだけの血が出たのに、そうはなってない…ってこと?」

「はい。出血は突然起こり、突然終わりました」

「…そう…」

可恋はモニター画面から目を離し、悟を再び見つめる。
彼の左頬に手を添えると、優しく微笑んだ。

(きっと、あたしが知らない間に…がんばってたのね)

悟とハナの会話は、『ガウモード』と『バタフライエフェクト』のぶつかり合いでもあった。
家族という関係性と能力が持つ特性、そのふたつの意味で、他人が介在できない状態だった。

可恋は、突然出血して突然止まったという悟の左目から、なんとなくではあるもののをそれを感じ取る。
意識を失っていたはずの悟が土壇場で目覚め、ハナを説得したのだと実感することができた。

その実感が、彼女を笑顔にさせている。

(すごいって、素直に思えるわ)

手を添えている頬を、そっとなでた。

(あたしが言っても…ううん。ほんとならあんたが言ったって、聞きゃしなかったと思う。おばあちゃんからは、それだけの意志を感じた)

「……」

悟はまだ目覚めない。
彼女の冷たい手になでられても、身じろぎひとつしなかった。

やがて可恋は手を下ろす。

(でも、あんたはやり遂げた)

潤んだ瞳で、悟を見つめる。

(あんたはいつもそう…不可能を可能にしてきた。それがあたしに、希望を見せてくれる)

可恋は知らない。
悟がどれほど苦しみ、絶望してきたのかを。

それと同じように、悟も知らなかった。
可恋にどれほどの希望を、与えてきたのかを。

(あたしだけじゃない。あの子も、おばあちゃんも同じ…だからあたしたちはみんな、あんたのことを大事に思ってる……あんたがいなくなったら、希望が見えなくなる。それは、イヤだから)

ここで、可恋はいたずらな笑顔を見せた。

(要は、みんな強欲なのよね)

笑顔になった拍子に、可恋の目尻から涙が落ちた。
雫が頬を伝う感触が彼女から笑顔を消し、うつむかせる。

(でも、一番強欲なのは…あたし)

涙を拭うこともせず、心で思いを綴る。

(だって、あたしが一番……あんたに希望を見せてもらってる。だからあたしが一番、あんたにいなくなってほしくない…ううん)

顔を上げた時、彼女の顔には柔らかな笑みがあった。

(そばに、いてほしいの)

この時、可恋の脳裏に忌まわしい存在が現れる。
だが彼女は笑顔を消すことなく、悟に心で語り続けた。

(あんたがいたから、あたしは戦おうって思えた…あんたが守ってくれたから、あたしは今も生きていられる。あんたのおかげで、あたしはアイツに勝てたの)

忌まわしい存在。
それは彼女の体を、人生を踏みつけてきた存在。

横嶋 雪斗。
可恋の父親だった。

(おばあちゃんが自分ひとりで戦うつもりだって知った時、あたしと同じことしようとしてるって思った。もちろん、あたしとおばあちゃんじゃいろいろちがうのはわかってる…でも、少しだけ似てる部分もあるような気がしたの)

大切だからこそ、大切な人から離れて。
あるいは突き放して。

自分ひとりで決着をつけようと考える。
その思いが似ていると、可恋はハナの言動から感じ取っていた。

(だからあたしは、失礼っていうのを承知であそこまで言った…まあ、本気で怒ってた部分もあるけど)

ふふふっ、と声を小さくあげる。
忌まわしい存在は、声が空気に溶けるとともに彼女の脳裏から消えた。

その後でため息をつくと、可恋は目元を指で拭う。

(なに言ってるか、わかんなくなってきちゃった)

ゆっくりと立ち上がる。

(とにかく…あたしは、あんたが好き。いなくなってほしくないし、そばにいてほしい。だから)

悟の頭を、そっとなでた。

(あの夜はキスとハグ止まりだったけど…この戦いが終わったら、もうちょっとだけ勇気を出すわ)

なでている手を止めて、軽くぽんぽんと叩く。
それから彼に背を向けた。

左肩に乗っている『ククールス』が翼を広げる。
灰色と濃い茶色が混ざったそれは、瞬時に大きくなって可恋の全身を包み込んだ。

『アナザーフェイス状態』に変身する直前、彼女は自嘲気味に笑う。

(でもまずは、あんたの名前をちゃんと呼んであげないとね。なにげに一番恥ずかしいけど)

やがて、変身は完了する。
可恋は悟を背後に残し、破壊された可動壁へと歩いていった。

通路と部屋とを隔てる壁の役割を失った可動壁のそばで、彼女は立ち止まる。
治療中の悟を守るため、敵の襲来に備えた。

彼女がいる場所からは、青紫色の血液をまき散らして絶命している獣の姿が見える。
体を貫いた槍の切っ先も見えているのだが、それを再び武器とするのはためらわれた。

青紫色は彼女にとって、変身の強制解除と拘束、さらにはスプレッダ『ククールス』を危機的状況に追いやった苦い記憶を思い出させる色である。
その色にまみれた槍を、わざわざ獣の体から引きずり出して使おうとは思わなかった。

一方そのころ。
悟の左肩にいるレイヴンは、驚きの目で可恋の後ろ姿を見つめ、

”しゃべってもいねえバカ女の……声が、聞こえた…!?”

『ヴァルチャー』と『パピヨン』は地上に近づき、

「もうすぐ、でしょうか」

「そうだね。覚悟は…聞くまでもないか」

「ええ。失礼ですが、愚問です」

「若者は、そうじゃないとねェ」

見えない巨大な存在『邪黒冥王』を連れたエンディクワラ・テリオスは、視界の果てに砥上花鳥園を捉えていた。

「さて、どれだけの抵抗を見せてくれるか…楽しみだ。フフフッ」

大きな戦いが、始まろうとしている。
戦端が開かれるのは、もはや時間の問題だった。


>Act.174へ続く

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