Act.158 巣立ち | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

Act.158 巣立ち


砥上花鳥園、地下通路。
女性職員用トイレの個室に、可恋は隠れている。

(……ふと思ったけど、ドア閉めなかったのは…正解だったかも)

3人の能力者が迫るという危機的状況だったが、彼女は少しだけ冷静になっていた。

このトイレには彼女しかおらず、個室のドアはすべて開いている。
もし可恋がドアを閉めてしまっていれば、敵がこのトイレに来た時にそこを狙い撃ちされてしまうだろう。

それ以前に、ドアを動かす音を聞かれてしまっていたかもしれない。
結果論ではあるが、内向きに開放されたままのドアに隠れたのは正解だと彼女は思った。

(めちゃくちゃこわいけどね…!)

ドアという盾を捨てていることに関する恐怖は、どうしても拭えない。
しかし盾はなくとも、敵はトイレの入口から可恋のいる個室内部を見ることはできないし、手洗い場にある鏡からもそれは同じだった。

しかも敵は、彼女がここにいるという確証を持っておらず、手分けして探している最中である。
入ってくるのは間違いなくひとりであり、そのひとりはトイレ中をおそるおそる調べることになるだろう。

そこに、わずかながら勝機がある。

(あたしにこんな怖い思いさせてんだから、ちょっとは驚いてもらわないと…!)

どんな能力を持っていようとも、驚かされれば行動が一瞬遅れる。
その隙を物理的に突いてやれば、ひとりは倒せるはずだと彼女は考えていた。

(できれば、変身したいとこなんだけどね…?)

恐怖と怒りと期待が混ざった眼差しで、可恋は左肩のスプレッダ『ククールス』を見る。
だが『ククールス』は彼女から目をそらすと、ただ体をそわそわと動かすばかりだった。

この行動を見た彼女は、変身して戦うという可能性をひとまず捨てる。
得物の槍に目をやった。

ステンレス製のそれは1.5メートルほどの長さで、筋力が低い彼女でも両手であれば持ち歩くことができる。
元の持ち主である『ケツアルカトル』は、片手で取り回しやすいように短く軽く作ったようだ。

(槍って、もっと長いイメージあったけど…短いおかげで、枠にぶつけないですんだわ)

可恋はそう思いつつ、ドアの枠を見る。
個室の仕切り壁は天井ギリギリの高さを持っていたが、枠の上部はそれよりも低い位置にあった。

もし槍の長さが彼女のイメージ通りであったなら、個室にあわてて入った時に槍が枠にぶつかって大きな音を立てていただろう。

(それに…確か、おばあちゃんの特性から脱出する時にも、この槍がどうとかって…)

可恋が、悟の説明を思い出そうとしたその時。

「『ククールス』! いるなら出てこい!」

彼女を探している3人のうち、ひとりの声が聞こえた。
だが少し遠い。

どうやら男子用トイレの入口にいるようだ。
彼女が考えている間に、敵はそこまで来ていた。

(び、びっくりした…!)

可恋は現実に引き戻される。

(驚かせようとしてるあたしが、逆に驚かされてどーすんのよ!)

自身を叱咤した彼女は、相手の気配を感じ取ろうと集中する。
直後、足音が聞こえて男が移動を開始したのがわかった。

反響から判断するに、男性用トイレの中に入ったらしい。

(『ククールス』があたしってこと、もしかして知らない…?)

敵が男性用トイレに入ったことで、希望的観測が頭をよぎる。
が、可恋は首を横に振ってそれを捨てた。

(ダメよ。あいつらは『ククールスを探しに来てる』。あたしを見たら、まず『ククールスじゃないか?』って疑うはず。そうじゃなくても、自分から姿を見せるなんて…)

両手で槍を強く握りしめた。

(あたしには、無理)

恐怖はまだ消えない。
動悸も治まらない。

それでも彼女は、戦うつもりでいた。
ひざの震えが強まっても、座り込もうとはしなかった。

(無理って思うことはしない。そうよ…あたしはやっと、自分の人生を始めようとしてるんだから)

ぐっと歯を食いしばりつつも、呼吸を整えるように意識する。
体を冷静に操縦できているのを確認してから、可恋は少しだけ集中の度合いを下げた。

敵はまだ男性用トイレの中にいる。
今のうちに神経を疲弊させてしまうのは得策ではない。そう判断しての行動だった。

集中の度合いを下げたことで、考える余裕が生まれる。
彼女はその余裕を、これまでの自分を振り返ることに使い始めた。

どうやら、自ら思い浮かべた『自分の人生』という言葉に、気持ちが引っ張られたらしい。

(クソみたいな…いいえ、クソそのものよね。クソな父親にクソなことされ続けて、死にたいくらい悩んだ割には死ねない自分もクソでさ…!)

「……」

可恋の思いが伝わったのか、スプレッダ『ククールス』のそわそわした動きが止まる。
彼女の顔を見つめた。

本人は、通路のタイルを見つめながらさらに続ける。

(ネットでイケメンキャラを見つけてはダウンロードして、勝手に電話番号作ってスマホに登録しまくって…いろいろ妄想してはヘラヘラ笑ってた。ネクラの極みみたいな遊びやってるって、自分でも笑うしかなかった)

ここで可恋の目が、『ククールス』に向く。

(だけどそれが、あたしの人生だったの)

「……!」

(あんたもよく知ってるわよね)

「………」

『ククールス』は、ぷいっと顔をそらす。
またそわそわと体を動かし始めた。

可恋はそれを見て苦笑すると、視線を通路のタイルに戻す。

(そうね…『よく知ってる』じゃないわ。あんたが一番知ってる。あたしのことは、何もかも)

「……」

(だから、あたしが危ない目に遭うの…見てらんないのよね)

「………」

『ククールス』の動きが、ぴたりと止まる。
そこへ。

可恋はそっと、心でこう言った。

(でもね、もういいのよ『ククールス』)

「…?」

(あんたが親の真似ごとなんて、しなくても)

「……!」

『ククールス』の体がびくりと震え、羽毛がわずかに立つ。
どうやら可恋の思いに驚いたようだ。

ここで、男の足音が男性用トイレ前に戻る。
それに気づいた可恋は注意を出入口に向けながら、『ククールス』に続けて言った。

(托卵なんて、カッコウに限ったことじゃない…他の鳥だってやってる。なのに、カッコウだけが托卵をするみたいなイメージ持たれてさ)

「……」

(愛情がないから、他の鳥にヒナを育てさせるんじゃない。ただ、愛情の形がちがうだけ…他の鳥を利用してでもヒナを育てあげようとしてるだけ。あたしには、それがよくわかる)

「………」

スプレッダ『ククールス』は、じっと可恋を見つめた。
その時、女性用トイレに男の声が響き渡る。

「『ククールス』! いるのはわかってるぞ、早く出てこい!」

わかっていると男は言ったが、すぐに入ってくる様子はなかった。
男の言葉がはったりだと気づいた可恋は、相手がどう動くかを気にしながらも『ククールス』へ思いを告げる。

(あたしはもう、ヒナじゃない)

男の足音が聞こえてくる。
個室を探りながら進んでいるのか、接近してくる速度は遅い。

だが着実に、可恋がいる個室へ近づいてきている。

(今から…)

男の気配を、すぐ近くで感じる。
彼女は、息を止めた。

(…それを証明してあげる!)

心で言うが早いか、可恋は個室から飛び出す。
見開いた目は、全身タイツと甲冑のようなプロテクターをまとった姿『アナザーフェイス状態』を捉えていた。

「うおっ!?」

彼女の奇襲に驚いた男は、思わず両腕を開いて体をのけぞらせる。
がら空きの腹部が、可恋の目に留まった。

(そこっ!)

両手で持った槍を、力の限りに突き出す。
尖ったステンレスの先端は、プロテクターで守られていない腹部中央より少し右側を刺し貫いた。

「ぐぶっ!」

男は、ヘルメット下部からのぞく口を鮮血で汚す。
両手を傷口に近づけて、槍をつかもうとした。

これを見た可恋は、強引に槍を引き抜く。
先端にある小さなかえしが、傷の内部をズタズタに裂いた。

「がああっ!」

激痛に男はたまらず悲鳴をあげる。
両手は虚しく宙をかき、そのままタイルの上に倒れ込んだ。

赤黒い血が、周囲を派手に汚していく。

「うっ…ふっ、はああっ…!」

可恋は、男が動かなくなってから呼吸を再開させた。
意識しなければそれができないほど、集中していた。

(あっ)

そのために気づくのが遅れる。
返り血を浴びた彼女の体もまた、『アナザーフェイス状態』に変化していた。

(『ククールス』…これは、認めてくれたと思っていいの?)

少しばかりおどけた思念を送り込んでみるが、スプレッダ『ククールス』からの反応はない。
無言の抗議かと思い、可恋が苦笑しかけたその時。

彼女の体に変化が起きる。

(うぇっ!?)

背中がぞわりとした。
思わず顔を横に向けると、視野に翼が見える。

男を倒したことで、可恋は『レベル2』になった。
スプレッダを象った彫像が現れないまま、力の移動は完了した。

(これで、あたしも飛べる…!)

翼を視認した彼女は、前を向く。

(少なくとも、毎回お姫さま抱っこされなくてもよくなったわけね)

自分の意志で自由に飛べることは、喜ばしいことだった。
だが、それによるデメリットがないわけではない。

(あの子の前で、堂々とお姫さま抱っこされる理由がなくなったのは…正直、惜しいけど)

それから可恋は、出入口に近づく。
だが外には出ない。

(えっと…)

通路からトイレに入るには、出入口前で左折しなければならない。
つまり入ってすぐ右側にある個室は、ドアが開いていれば通路からも中が見える可能性がある。

(…こっちか)

可恋はその逆、左側の個室に入った。

翼を使って天井付近まで上がると、槍を右手だけで持つ。
左手と両足を伸ばし、突っ張り棒の要領で体を固定する。

ドアの枠上部にある壁が、個室間の通路からも彼女を見えなくした。

外通路からも見えず、内通路からも見えない。
二重の死角は、彼女を敵の視覚から守った。

(そうよ、あたしは自分の人生を始めるの…! 強欲に生きるんだから)

「おい、何だ今の声!」

「何があった!」

残るふたりの男が、女性用トイレに駆け込んでくる。
変わり果てた仲間の姿を見ると、驚愕して声をあげた。

「うおおおおおっ!?」

「おいマジか! なんだよこれっ!」

悲鳴を聞いてやってきてみれば、血まみれの死体とそこら中に飛び散った鮮血を見る羽目になったのである。
彼らが驚くのも無理はなかった。

「……」

その犯人は息を潜めて、男たちがどう動くかをうかがっている。
眼差しの奥に息づく強欲さが、彼女自身の感情を書き換えようとしていた。

(あの子に彼は渡さない。あの子がいくら強くても、頭がよくても…彼を手に入れるのは、あたし)

男たちがいつ個室に入ってきてもいいように、右手に意識を集めていく。

(そう思えば、なんにも怖くない…! 相手が誰だろうと、何人いようと)

この時、腰を抜かした男がふらふらと個室に入ってきた。
洋式便器にぶつかって、タイルの上に座り込む。

それを見た可恋の目が、バイザーの下でギラリと輝いた。

(あたしが勝つ!)

体を支えていた左手と両足から力を抜く。
彼女は槍に全体重をかけて、真上からふたり目に襲いかかるのだった。


>Act.159へ続く

→目次へ