Act.152 通路の謎 | 魔人の記

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ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

Act.152 通路の謎


5歩、進む。
左へ曲がる。

8歩、進む。
さらに左へ曲がる。

曲がった先の通路を見た時、悟はこんな言葉を口にした。

「…渦巻きになってる?」

「どうやらそのようです」

すかさず『ヴァルチャー』が返答した。
可恋も何か言いかけていたが、機を逃して黙り込む。

3人は通路を進み始めていた。

角を曲がる度に、次の角までの距離が伸びる。
曲がる方向は左のみ。

悟たちが屋上から飛ばされてきた場所は、渦巻き状になっているエリアの中心地であるらしかった。
そこから外周へ向かっている格好である。

通路に窓はない。
壁や床には硬い内装材が使われており、色は白かった。

内装材には緑色の欠片が模様としてあしらわれていたが、小さく密度も低いためにあまり目立たない。
地の白色が、3人の視界をほぼ完全に埋め尽くしていた。

「…なんか、目が回ってくるわね」

10回目に左折したところで、可恋が呆れたように言った。
雨の心配がなくなったためか変身は解除しており、槍を胸の前で持っている。

「ああ…」

悟はぼんやりと返答しつつ、状況の変化に気を配っている。
しかし特に異常はなく、静かなものだった。

彼の目が、ふと足下へ向かう。

(能力者反応も…動いてない)

”ぐるぐる回ってるのに動いてねーってことは、結構深いとこにあるんだろうな…だがまあ、深いとこが存在するってことはエレベーターもあるってことだぜ”

(そうだな。それを見つければ…っと)

もう何度目かわからないほどの曲がり角が近づいてくる。
悟はそれを左折した。

次も、その次も。
左方向への曲がり角は現れ、3人は左折を余儀なくされる。

さらにしばらく時間が経った頃、『ヴァルチャー』が立ち止まった。

「ちょっと、いいですか」

「…?」

彼女が立ち止まったので、悟と可恋も止まる。
ふたりが不思議そうに見ると、『ヴァルチャー』はこんなことを言ってきた。

「体感ですが…私たちはもう、20分くらいここを進んでいます。探りながら歩いてきましたから、間違いなく早歩きではないでしょう」

「…? ああ」

「普通に歩く速度を時速4.5キロだとして、20分歩き続けてきたと考えると…これまで、私たちは1.5キロ進んできたことになります」

「それがどうかしたの?」

可恋が問うと、『ヴァルチャー』は彼女をじっと見つめながらこう尋ねた。

「おかしいとは思いませんか?」

「おかしいって…何が?」

「ここは…ワープという普通ではありえない現象を経てやってきた場所とはいえ、砥上花鳥園の施設内であるはずです。階層の移動もなしに1.5キロも歩き続けたというのに、通路に変化がまったくありません。別方向への曲がり角が現れる気配さえもない」

「地下…なんじゃないのか?」

悟は、きょとんとした様子で言う。
それから声の調子を元に戻し、自身の考えを語った。

「建物の1階部分にこれだけ長い通路が入ってるって言われたら、おれもさすがにちょっと待てよって思う。でも地下なら有り得る。それに…」

彼の声が、にわかに真剣味を増す。

「ここは特別な場所だ」

「特別な場所なのは、私もわかっています。それを踏まえた上で、ここが地下通路だとしてもあまりに同じ風景ばかりじゃないですか? と言っているんです」

『ヴァルチャー』もそう簡単には折れなかった。
というのも、彼女には疑問を提示するだけの根拠がある。

「曲がり角までの距離がある程度の長さになってから、私は歩数を数えていました。ここが本当に渦巻き状の通路であるなら、先へ進むごとにその数が大きくならなければおかしくなります」

「中心から外へ向かってぐるぐる歩いてるなら……そうだよな」

「しかし先ほど曲がった時、『数えていた歩数が減りました』」

「…えっ?」

悟と可恋は同時に声をあげる。
一度互いに見合った後で、『ヴァルチャー』に視線を戻した。

これを見た『ヴァルチャー』は、「むっ」と不満げな声を漏らす。
しかしすぐに気を取り直し、あらためて説明し始めた。

「私たちはこれまでずっと、真っ直ぐ歩いて左折してきました。それしかルートがなかったからです」

通路が示すルートは、直進と左折のみ。
曲がる度に、たったひとつの変化が起こり続けた。

その変化が、角までの距離である。
進めば進むほど、それは伸びた。

「私たちはこの通路が渦巻き状だと判断しました。その上で、これまで歩いてきたわけですが…もし曲がり角までの歩数が減っていたら、その時点で『渦巻きが終わってしまいます』」

とはいえ、彼女とて同じ距離を歩いた時に、歩幅や歩数が変動する可能性は理解している。
足を止めてまでふたりに疑問を提示したのは、そういった細かな誤差を気にしてのことではなかった。

「ある時点から、曲がり角までの歩数が増えたり減ったりする…つまり、大きく増えない」

増減というよりは、この『大きく増えない』ということ。
これを彼女は重要視していた。

ここに、似たような通路が続くという状況を加える。
そこから導き出されたのは、悟と可恋が想像もしない結論だった。

「もしかしたら、私たちは気づかない間に少しだけ戻されているんじゃないか…」

「えっ」

「そう思ったのです」

『ヴァルチャー』はここで右を向いた。
緑色の欠片が散りばめられた、白い壁を見つめる。

右手を伸ばすと、壁に爪を立てた。
しかし彼女の爪はただ表面を滑るだけで、傷ひとつ入れられない。

手を離すと、可恋に向き直った。

「『ククールス』、槍でここに傷を入れてもらえませんか。目印にしたい」

「わ、わかったわ」

可恋は戸惑いながらもうなずき、立てて持っていた槍を横向きにする。
『ヴァルチャー』が壁から離れると、切っ先で突こうとした。

しかしこの時、可恋の視野で変化が起こる。

「…えっ?」

彼女は思わず動きを止めていた。
壁から1歩分しか離れていなかったはずの『ヴァルチャー』が、突然姿を消したのだ。

可恋は視野ではなく、視界の中央をそちらに向ける。
すると『ヴァルチャー』は、彼女たちから3歩離れた位置に立っていた。

「これは…!」

驚きの声をあげる『ヴァルチャー』。
彼女の意志で、その場所に移動したというわけではない。

『ヴァルチャー』は壁から離れた際に、何らかの仕掛けを作動させてしまったようだ。
それが彼女の体を瞬間的に移動させてしまったらしい。

これにより、彼女の仮定は真実であると見事に証明された。

今までは全員が歩いており、全員が仕掛けを同時に作動させていた。
何もかもが一瞬で完了してしまうなら、視覚の変化に乏しいこの通路において、自分たちが戻されたとは気づけない。

だが今回は悟と可恋が動いておらず、『ヴァルチャー』だけが仕掛けによって戻された。
止まっている者が存在していたために、戻されるという動きがはっきりと全員に示された形である。

仕掛けの存在に気づくきっかけとなったのは、この静動の対比だった。
ただそれでも、謎が完全に解明されたわけではない。

「…でも変ね? あたしたちは戻されてないのに、『ヴァルチャー』だけが戻されてる…」

『ヴァルチャー』は、一番最初に足を止めた。
つまり、悟や可恋よりも後ろに立っていた。

壁から離れる時、『ヴァルチャー』は進んできた方向とは逆方向、つまり壁を正面として右方向へ移動した。
この時に仕掛けを作動させてしまい、さらに後退した。

だが、同じく仕掛けを作動させたであろう悟と可恋は後退していない。
ふたりは、仕掛けの『先に立っている』のだ。

「おかしいな…ただ戻されるってわけじゃないのか?」

「『ヴァルチャー』は壁を触ったから戻された? いやでも、あたしたちはずっと壁なんかさわってないし…だけど戻されてきたっぽいし」

「……」

考え込むふたりの声を聞いた『ヴァルチャー』は、足元に目をやる。
そのままの状態でゆっくりと歩き出した。

1歩。
2歩。

3歩。

「…!」

『ヴァルチャー』は再び戻される。
次に、彼女は3歩目に踏む場所を変えてみた。

「……なに…!」

なんと今度は、悟たちが立っている場所よりも先に移動していた。
『ヴァルチャー』はそれに驚いて声を漏らしたわけだが、聞いた悟たちも意外な位置からの声に驚きを隠せない。

「し、仕掛けって…戻るだけじゃないの?」

「どういう、ことだ…?」

気づかないうちに戻される、というだけでもかなりの仕掛けなのだが、進まされることもあるとは予想外だった。
一体何がきっかけなのか、ここを出るにはどうすればいいのか3人にはまったくわからなくなる。

ともあれ、合流することはできた。
進まされた『ヴァルチャー』がふたりの元へ戻るまでに、新たな仕掛けが発動することはなかった。

彼女はあらためて、壁に傷をつける必要性を語る。

「とにかく目印をつけましょう。この先が新しい道なのか、それとも同じ道なのかだけでも、まずははっきりさせなければ」

「そうね…まずはそこからよね」

可恋は、槍の切っ先で横一文字の傷を入れる。
そして3人は次の角を左折した。

右手の壁を見ながら、ゆっくりと進む。

「……」

3人が3人とも右を向いて進む様子は、どこかコミカルでもあった。
しかし本人たちにとっては笑い事ではない。

壁を凝視する眼差しは真剣そのものだった。
加えて、この場所は戦いの首謀者である笹倉 万葉ことエンディクワラ・テリオスの本拠地でもあり、敵の襲来にも備えなければならなかった。

謎と緊張感が、3人の体力と集中力を少しずつ削る。
解答への手がかりが見つからないことと、このような状況で襲われるとしたら一体どういう形になるのかという別の謎が、着実に彼らを蝕んでいった。

「…あっ」

しかも、望まぬ発見がそれを加速させる。

再び現れた横一文字は、先ほど可恋がつけた目印で間違いなかった。
わずかな傾きやよれまで、全て同じだった。

「どこかで戻されてるのは、間違いない感じか…」

「もしかしたら、床を踏まなければいいのかもしれません。飛んでみましょう」

『ヴァルチャー』の提案を受けて、3人は浮遊状態で進んだ。
砥上花鳥園に来るまでと同じように、悟が可恋を抱えて飛んだ。

しかし。

「…ダメか」

壁の横一文字は、またしても現れた。
これにより、謎の解明は暗礁に乗り上げてしまう。

「床を踏む位置で、戻ったり先に進んだり…何もなかったりするのかと思ったけど」

「そういうわけではないようですね…」

間違いないことといえば、スタート地点でも途中の短い通路でもなく、今いる通路でだけ仕掛けが発動するということである。

しかし、それ以上のこととなると。

「どうにも、わかんないな」

目印近くの床を踏むと、進んだり戻ったりする。
踏む場所によって、進退どちらかが決まるわけではなかった。

それに加えて、移動が起こらないこともある。
歩いていても浮遊していても、確率に明確なちがいは感じられなかった。

「下ろして」

歩いていても同じなら、抱えられている理由もない。
下ろしてほしいという可恋の頼みを、悟が断る理由もなかった。

「うーん…」

3人は、目印の前で考え込む。
悟は心で、レイヴンに助言を求めた。

(レイヴン、ずっと黙ってるけど…何かわかんないか?)

”さァてな…ちょっとオレにもどう考えたもんかわかんねえ。が”

(が?)

”押してもダメなら引いてみな、とはよく言うよな”

(押してもダメなら…)

その言葉を聞いた悟は、なんとなく目印から1歩退いてみる。
後ろにさがるというこの行動が、彼に新たなアイデアをもたらした。

「一度、戻ってみるか?」

これまで進むことしか考えられなかった可恋たちは、そのアイデアに乗った。
目印から離れて角まで行き、右折してさらに進む。

だが結果は同じだった。
通路のほぼ中間地点に、横一文字の目印を見つけてしまう。

「ダメか…」

暗礁から脱出しかけた船は、大波によって再び同じ位置へと戻されてしまった。
謎に気づいてからどれだけの時間が過ぎたのか、もう『ヴァルチャー』にもわからない。

「…はあ……」

3人は途方に暮れた。
目印の前でうつむき、あるいは天井を見上げ、あるいは目印を見つめていた。

(うーん…)

悟は天井を見上げながら、どうしたものか考えている。
視線の先には照明器具があるが、等間隔に備えつけられたそれにおかしな部分はない。

進行方向と、逆側の角を交互に見る。
照明器具は手前に設置されているため、角の天井には何もない。

(監視カメラもない、か…)

心でそうつぶやくと、小さな違和感が生まれるのを感じた。
悟は、胸の前で腕を組む。

(こういう通路に監視カメラがないの、ちょっとおかしいけど…だからって脱出につながるとは思えないしなあ)

”そうだな…スプリンクラーの類もねえようだ。でかい火事が起こりゃ、完全に終わるな”

(やめろよ、縁起でもない…!)

半ば怒りの感情をレイヴンにぶつけた後で、悟は右手人差し指を動かし始めた。
左腕を叩く速い動きは、彼のいら立ちを表している。

この時、ふと。

「……!」

悟は何かに気づいて、指を止める。
左腕に顔を向けた。

その体勢のまま相棒に尋ねる。

(レイヴン…おれさ、どのくらいダウンしてた?)

”どのくらいって…オマエがダウンするわワープにびっくらこくわで大変だったからな、正確な時間はわかんねえ。30分くらいじゃねーか?”

(30分…!)

悟は右手人差し指と中指で、左腕にある羽毛をつまむ。
それからおもむろに口を開いた。

「おかしい」

「え?」

彼の声に、可恋と『ヴァルチャー』が振り返った。
ふたりが何事かと尋ねようとしたその時、悟は腕組みを解きながら語り始める。

「おれたち、ここに来るまでは雨に濡れっぱなしだった。おれがダウンする直前なんて、可恋が変身しなきゃいけなくなるくらい降ってた」

「う、うん…?」

「……!」

可恋は不思議がるだけだったが、『ヴァルチャー』は悟が言いたいことに気づく。
それを感じ取ってか、悟は『ヴァルチャー』に視線を固定しながら続けた。

「なのに、もう乾いてるんだよ」

「はい…! 確かに私の体も、もう乾いています」

「…あ!」

可恋もここで気づいた。
ふたりの羽毛が、完全に乾いている。

それはまるで、もともと濡れていないかのような乾きぶりだった。

気づきの時間差は、変身を解除した者と変身したままでいる者の差だった。
それを感じた可恋は一瞬だけ悔しげな表情を見せたが、すぐにそれを消して会話に切り込んでいく。

「ずぶ濡れの割に、乾くの早すぎじゃない? ってことよね! そういえば、最初にいた場所も濡れてなかった…ような」

これを聞いて、悟は視線の固定を解除した。
彼の顔が、可恋にも向くようになる。

「だとしたら余計におかしい! ここの床は水分を吸収するような感じじゃないし、風通しだってよくない…濡れたとこがすぐに乾くはず、ないんだ」

そう考えてみると、音が響かないことも奇妙なことのように思えてくる。

壁と床は弾力のない硬さで、天井に消音用の穴もない。
普通に考えれば、音が反響して当然なのだ。

「そうだ、そうだよ…!」

解決の糸口とはよくいったもので、ひとつの気づきがみるみるうちに謎をほどいていく。
それはついに、どうやってこの場所に来たのかという、根本的な疑問を紐解くところにまできた。

「そもそも、ワープとか一瞬で戻されるとか進まされるとか、そういうのが現実にあるのか? って話でもあるんだ。『ファルコン』の特性はそういうのに近かったけど、それだって完全なワープとはちがう」

「移動させられたのに、全く気づけないというのもおかしな話です。私たちのうちひとりならまだしも、3人同時に動かされて誰も気づけない…わずかな風さえも起きないし感じ取れないなんて、どう考えても有り得ません!」

悟と『ヴァルチャー』の声は明るかった。
解明されそうな謎を前にして、ふたりは間違いなく興奮していた。

しかしそこへ、可恋の冷静な声が飛ぶ。

「…でも待って。確かにそういうことかもしれないけど、どうやってここを出るのかっていうのは…また別の話じゃない?」

「……あ」

ふたりはクチバシを開いたまま、可恋を見つめる。
それからすぐに、ため息をつきながらうつむいた。

謎を解いたところで、脱出できなければ意味はない。
逆に、解けなくとも脱出さえできれば全く問題はないのだ。

そこを履き違えていたふたりは、反論することもできなかった。

「くそ…」

悟は悔しげに頭をかく。
心の中に、こんな言葉が浮かんだ。

(謎そのものはもうわかってるんだ。ワープもこの通路も、全部…幻)

”だが、その幻からどうやって出ればいいか……”

(ああ。それが……わからな)

浮かんでいた言葉が、なぜか突然消える。
視界は暗転し、浮遊感が体を包んだ。

次にまぶたを開けた時、悟は自分が通路の端にいることに気づく。

「あっ…!」

「『レイヴン』!」

可恋と『ヴァルチャー』は思わず声をあげる。
直後、ふたりはほぼ同時に、自らの口もしくはクチバシを手でふさいだ。

その様子を見た悟は、体を起こしながらふたりに尋ねる。

「…近くに敵がいるのか?」

(……あれ?)

「いえ…そういうわけではないのですが」

『ヴァルチャー』は、そう言ってから手を下ろした。
はっきりしない物言いに、悟は首をわずかにかしげる。

と、彼は大事なことを言い忘れていることに気づいた。

「心配かけてごめん、ふたりとも」

(あれ…? なんかこれ、前にも……?)

謝りながら、悟は首をかしげる。
心に強い違和感を覚えるのだが、その正体が何なのかはわからなかった。


>Act.153へ続く

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