Act.147 伸びる枝が示すもの | 魔人の記

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ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

Act.147 伸びる枝が示すもの


球状に編隊を組む大量のトンボ。
それが形作る塊がふたつ。

塊の間にいるのは、それを生み出した能力者『リベリュール』だった。
彼は右手で、トンボの頭部に変化した自身のあごを触りながら、悟たちにこう告げる。

「アニマとは魂…そしてトンボには、魂が成り代わったものという言い伝えがある」

自身の特性『魂の呼び声(コール・オブ・ジ・アニマ)』について、彼は隠すことなく語った。

「人間誰しも、もう二度と会いたくない者がおる。会いたくないから、心の奥底に封じておる。だが、そうしているからこそ…忘れることはできん」

特性を使う直前だけ激しくなっていた口調は、穏やかなものへと戻っていた。
だがその響きに含まれる不穏は、逆に増している。

「忘れたつもりでも、簡単なきっかけで思い出してしまうもんじゃ…わしの特性は、そういったものを形にする」

『リベリュール』がそこまで言った時、トンボの塊が球状から人型へ変化する。
悟側の塊は少しずつ高度を下げ始めるが、『ヴァルチャー』側の塊は位置を変えなかった。

「おや、こっちのは飛べんようじゃな」

ゆっくりと落ちていく塊を見て、『リベリュール』はそう言った。
だが慌てる様子はない。

これまでは3人全員に向けて話していたが、ここで悟のみに会話のターゲットを絞る。

「どうやらお前さんの相手は、一般人か…もしくは『レベル1』らしいのう」

「…なに?」

「要は飛べんということじゃ。放っておくのもお前さんの自由じゃが…ほれ」

『リベリュール』は地上に顔を向ける。
悟はそちらを見ずに、意識だけを向けた。

「……テレビ見たか? あれは…」

「一体、何が……」

「空に……いる…!」

薄く聞こえてくるのは、人々のざわめきだった。
これに気づいた悟は、『リベリュール』が何を言いたいのか察知する。

そして相手も、それを肯定した。

「そういうことじゃ。形になったものを放っておけば、それは一般人を殺して回るじゃろう。何しろ、お前さんが二度と会いたくないと思うような相手じゃからな」

「…ふふっ」

悟はなぜか小さく笑った。
『リベリュール』はその理由がわからず、不思議そうに尋ねる。

「何がおかしい?」

「いや…こっちの話だ」

詳細を語らないまま、悟は敵との会話を打ち切った。
それからすぐに『ヴァルチャー』へ顔を向ける。

「……」

彼女は何も語らず、ただうなずきを悟に返した。
それを見た悟は、視点をトンボたちへ移す。

塊はすでに、悟よりも低い位置にあった。
降下の速度はゆっくりで、地上に到達するまでにはまだ時間がある。

彼はそちらを見たまま、両腕で抱えている可恋へこう言った。

「上か下か、どっちがいい?」

「下よ」

彼女は即答する。
その理由も、すぐに添えられた。

「言ったでしょ、ひとりにしないって」

「……!」

悟の視線が、トンボたちから離れる。
思わず可恋を見た。

目が合うと、彼女は優しく微笑んでみせる。
それは、悟の中に熱を生んだ。

(可恋…!)

怒りでも憎悪でもなく、ただ激しいだけでもない熱さ。
彼はほんの少しだけ、可恋を持つ手に力を込めた。

「上か下か、訊いたりして悪かった」

そう言うと、悟は急降下を開始する。
『上』に設定していたビルの屋上を通り過ぎ、トンボの塊を追い抜いて、それが下り立つであろう地点に先回りした。

人々は、空から突然舞い降りた『レベル4レイヴン』と可恋を見て、驚きの声をあげる。

「な、なんだこいつら!?」

「カラスの…バケモノ?」

彼らの驚きは、ごく自然なものである。
しかし悟たちにとってそれはとても新鮮であり、

(ばあちゃんの特性、ほんとになくなってるんだな…!)

推測が実感に変化した瞬間だった。

人々はもはや、『バタフライエフェクト』に支配されてはいない。
このまま戦いが始まれば、彼らはパニックに陥ってしまうだろう。

しかし悟は、そんなことは起こらないとすでに理解していた。

「一般人は、あたしに任せて」

「わかった」

地面に下ろされた可恋が、特性『托卵』で周囲の人々を支配する。
数が多いため負担が大きいのか、少しだけ彼女の顔が歪んだ。

「……」

だが悟は、心配げに声をかけるようなことはしない。
自分たちに遅れて下りてきた、トンボの塊へと顔を向けた。

(可恋は任せろと言った。おれはわかったと言った…だから、任せる)

彼女から助けてほしいと言われたり、差し迫った状況になるまでは自分から手を差し伸べたりはしない。
悟はそう決めて、塊の出方を待った。

そこへ、これまで黙っていたレイヴンの声が聞こえてくる。

”気持ちが燃えてるトコに水を差すようで悪ィんだがよ”

(なんだ?)

”オマエ、性格変わっちまってねーか?”

(そうなのかな。自分じゃわからない…ただ、おれは今とても気が立ってる)

”ああ、そりゃビンビンに感じてるぜ。だが、気が立ってるって割にはバカ女の気持ちを考えてやったり、どっか冷静じゃねーか”

(…それも、自分じゃわからない)

”なるほど…まあいい、そこらへんの話は後だ”

レイヴンが話を後回しにしたのは、トンボの塊に変化が見られたためだった。
それまでは人型に集まっているだけだったのが、人そのものの姿になる。

だがそれは、一般人とはちがう存在だった。

「な…」

悟は小さく声をあげる。
目の前に現れたのは、全身タイツに包まれ甲冑に似たプロテクターを頭部や関節部分に装着した、『アナザーフェイス状態』の能力者だった。

背中に翼がない時点で、『レベル1』であるのがわかる。
しかし悟は、翼よりももっと特徴的な部分から、相手が何者なのかを知ることとなった。

それは、頭部ヘルメットに刻み込まれた意匠。
ここに現れるのは、能力者の相棒たるスプレッダの顔である。

(『スパロウ』…!)

意匠が示す相手のスプレッダは、スズメ。
つまり『リベリュール』の特性で呼び出された者とは、死んだはずの『スパロウ』だった。

彼女の姿を見た瞬間、悟の奥底から苦い記憶が噴出する。

群戦の終盤、『ファルコン』に囚われた彼女を助けるため、悟はとっさの判断で『彼女に決闘を申し込んだ』。
これにより『スフィア』が生成され、『ファルコン』が用意していたらしい罠を回避することができた。

しかし悟の失言により『スパロウ』は豹変し、彼を瀕死へと追いやってしまう。
その上レイヴンを人質にとられてしまい、負けを認めざるを得なくなった。

”く、くそったれ…! 確かに二度と会いたくねえ野郎だ…!”

レイヴンは苦い感情を言葉にする。
悟の記憶にさらされるまでもなく、『スパロウ』の姿を見ただけで当時を思い出させられた。

一方『スパロウ』は、『レベル4レイヴン』になっている悟の姿を見て、わざとらしく驚いてみせる。

「『レイヴン』さん、なんだかすごい格好になっちゃってますね? とても強そうです」

直後、ヘルメット下部からのぞく口元が笑みに変わった。

「でも、あなたは私に負けたんですよ。ウフフッ」

笑い声には、悟の首を折った時に見せた狂気がある。
もともとあった気弱さは、完全に消えているようだ。

『スパロウ』はとても楽しそうに、当時のことを悟に語って聞かせる。

「私はスパちゃんと一緒だから、ここまで生きてこられた。なのに、あなたが軽い気持ちで…スパちゃんが消えるのは『しょうがないっていうか』なんて言うから。フフッ」

軽く蹴る仕草をする。

「私、ついカッとしちゃって…思わずあなたの首を折っちゃいました。アハハハッ」

「……」

「あなたはとても強そうですけど、私に負けたんです。泣いてましたよ? とってもブサイクでした…ぷっ、くくくっ…アハハハハハハハハハハハッ!」

『スパロウ』は、体をのけぞらせて笑う。
ひとしきり笑った後で体勢を戻し、さらに嘲りを続けようとした。

「かわいそうすぎて、キモかわいく見えたりも…ん?」

ここで『スパロウ』は気づく。
悟の視線が、自分に合っていない。

不思議に思った彼女は、彼が見ている先に目を向ける。

それは彼女の右後方に建つオフィスビルだった。
周囲には草木が植えられているが、特別な何かがあるわけではない。誰もいない。

あらためて悟を見るが、彼はまだその方向から目を離していなかった。
不思議に思った『スパロウ』は、思わず尋ねる。

「…なに見てるんですか?」

「不思議だと思ってさ」

「は?」

「枝が、真っ直ぐに伸びてない」

「…何の話ですか?」

『スパロウ』には、悟が何を言っているのかがわからない。
何より、渾身の嘲りにまったく反応しない理由がわからなかった。

悟は、相手が驚いているのを放って話を続ける。

「真っ直ぐ伸ばした方が、絶対にラクで効率的なはずなんだ。それだけじゃない、枝を作る材料の節約にもなる…だけど、あの枝は真っ直ぐに伸びてない」

「……?」

『スパロウ』は軽く首をかしげてから、もう一度右後方を見た。
確かに、ビルそばにある木の枝は、真っ直ぐには伸びていない。

しかしそれがどうしたというのか。
奇妙な話をして不意打ちを狙っているのかとも思ったが、もしそうであるなら最初にしていたはずである。

だが悟は今も動かない。
ただ木を見つめたまま、語るばかりだった。

「枝を作る材料の節約…それって、木にとっては死活問題だと思うんだ。それこそ、必死になって摂った栄養を使って枝を作ってる…無駄になんかできるわけない」

「だからァ…何の話をしてるんですか?」

『スパロウ』の声に、いら立ちが混ざり始めた。

「木が必死だろうとなんだろうと、私の知ったことじゃないんですよ。あなたにはもっと、私を見て驚いたり怖がったりしてもらわないと」

「無駄になんかできるわけないのに、あの枝は真っ直ぐに伸びてない」

「もうたくさんです」

『スパロウ』はそう言うと、軽く両手を広げてみせた。

「久しぶりに会ったから、ちょっとだけ話を聞いてあげてもいいかなって思ったのに…そんな話をされても楽しくありません」

広げた手を、腰を回すことで前後に配置する。
拳を作ると同時に、足も手の位置に合わせて開く。

それは戦いの構えだった。

「楽しくないから、あの時と同じように首を折ってあげます。またブサイクに泣かしてあげますよ…それでも枝がどうとか言ってられたら、また少しだけ話を聞いてあげてもいい…」

『スパロウ』が動く。
目にも留まらぬ素早いステップは、能力者としての彼女の特性だった。

瞬時に距離を詰めると、勢いよく足を振り上げる。
そうしながら、途中で切った言葉の続きを叫んだ。

「…かなって思いましたけど、やっぱりウザいから殺すッ!」

狙うは悟の頭部。
蹴りの軌道は、あの時と同じだった。

「……」

悟は動かない。
防御のために、手を挙げたりすることもない。

やがて『スパロウ』の蹴りは、見事にその頭部を捉えた。
会心の手応えが、彼女の口元を再び笑みに歪ませる。

直後、こんな声が聞こえた。

「失敗、なんだ」

「…!?」

「あれは、失敗の証なんだよ」

声は悟のものだった。
彼は『スパロウ』の蹴りをまともに受けても微動だにせず、口調すら変えずにそう言った。

視線も木に向かったままである。
これが『スパロウ』を激高させた。

「バカにするなぁああああっ!」

足を戻し、もう一度蹴りを放つ。
今度は頭ではなく、みぞおちを突くように蹴った。

だが、足は彼に届かない。
漆黒の体は突然、視界から消えてしまった。

「え…!」

「本当は、真っ直ぐ伸ばしたかった」

声は下から聞こえた。
悟は、その場にしゃがむことで『スパロウ』の視界から消えていた。

彼は足先を左手でつかむと、右ひじの反対側に彼女のひざ裏を乗せる。

「でも、失敗したんだ」

一本背負いの要領で、悟は『スパロウ』の体を抱え上げた。
蹴る勢いを利用された彼女は、それに抗うことができない。

気がつけば、宙を舞っていた。
そして直後に襲う、強烈な衝撃。

「ぐぁうっ!?」

コンクリートの地面に叩きつけられた『スパロウ』は、この時点で動きを止める。
その耳に、悟の静かな声が聞こえた。

「だけどそれでも、あの木は…枝を伸ばした」

「ひ…!」

静かさが逆に恐ろしく思われて、『スパロウ』はあわてて頭を起こし彼を見る。
そこには、拳を振り上げる黒い影があった。

「やめ…げっ!」

言葉の途中で、拳が叩き込まれる。
殴られたことで強制的に動かされた頭は、地面に叩きつけられた。

直後、『スパロウ』の体がトンボの塊へと戻る。
それは悟から離れて球を形作るが、再び人型に変わることはなかった。

これを見たレイヴンが、悟の中に声を流し込んでくる。

”…とりあえず、クソ女はぶっ倒せたようだが…”

(ああ。本体を倒さないと、完全には消えてくれないみたいだ…でも!)

悟は地面を蹴り、トンボたちにつかみかかる。
フックの軌道で拳を放っては、塊に手を突っ込んでトンボを握りつぶした。

これに驚いたトンボは塊を維持できなくなり、ばらけながら空へと逃げる。
悟は翼を使ってそれを追い、さらに数匹を仕留めた。

だがすべてを倒すには至らず、ほとんどが『リベリュール』本体のもとへと戻る。

(もう、いいか)

悟はあっさりと追撃をやめた。
そのまま『ヴァルチャー』のそばに向かうこともせず、彼は地面に立つ。

それから数秒後、何かが空から落ちてきた。

「うごぉっ!」

激突と同時に悲鳴をあげたもの。
それは、体のそこかしこが腐敗して溶けた『リベリュール』だった。

羽が腐敗してしまったために滞空状態を維持できず、墜落してしまったのだ。

「な、んじゃ…これ、は……!」

指が2本になってしまった自身の手を見ながら、『リベリュール』は声を震わせる。
そのそばに、『ヴァルチャー』が静かに下り立った。

「私の名を知っていながら、特性を知らないとは…不勉強にもほどがある」

「お、まえ…!」

『リベリュール』は、恨みがましく『ヴァルチャー』を見上げた。

「二度と、会いたくない者を見た…というのに……! なぜ、そこまで…平然と………!」

「私は『ヴァルチャー』、死を喰らう者だ。死んだ相手を恐れる理由などない。それに…」

『ヴァルチャー』は、ちらりと可恋を見る。
すぐに視線を『リベリュール』に戻すと、どこか素っ気なくこう言った。

「無様な姿を見せられない理由もある」

「く、うぅ……!」

『リベリュール』は悔しげに声をあげた。
落下のためか、それとも腐敗した部位が動かないためか、立ち上がることもできない。

その周囲には、同じく腐って体が崩れたトンボたちの死骸があった。
特性そのものが封じられ、『リベリュール』は死を待つばかりとなる。

しかしなぜか、ここで彼は笑い始めた。

「ククククッ…なるほど、時間稼ぎが精一杯……女神さまが言った通りに、なった…!」

灰色に溶けた複眼が、何かを見ることはもはやない。
だがその口調は満足げだった。

「できれば……わしが精霊魔法を手に入れて…お役に立ちたかったが……! それは……若いもんに任せると…しよう………」

そこまで言うと、『リベリュール』の頭部がすべて崩れる。
生の躍動はその体から消えた。

それを確認した悟は、小さくつぶやく。

「他にも…いるってことか」

「急ぎましょう」

「ああ」

『ヴァルチャー』はそのまま空へ、悟は可恋を抱き上げてから飛び立つ。
可恋は、腐敗の現場を目の当たりにしたせいで、吐き気に見舞われていた。

「うっ、ううっ…」

(無理もない。まともに見ちゃうと、さすがにな…)

『ベルゼブブ』との戦いでは何が起ころうとも平然としていた可恋だが、それは相手が『ベルゼブブ』だったからである。
彼女はいわば、対『ベルゼブブ』超特化型の能力者だった。

それ以外では人並みの感覚しか持っておらず、その人並みの感覚こそが今、彼女を苦しめている。
数多の死を踏み越えてきた悟や『ヴァルチャー』に比べて、根本的に劣っている部分があった。

しかしそれを責めるのは、あまりに酷というものである。
悟にも、彼女の反応こそが正常であるとよくわかっていた。

それが彼に禁を破らせ、心配げな声を彼女にかけさせる。

「…大丈夫か?」

「だい…じょうぶ……ううっ」

(ダメだな、これは)

彼は即座にそう判断し、『ヴァルチャー』にその旨を告げた。
それから3人は休憩をとるという名目で、足下に見えたスーパーへと下りていくのだった。


>Act.148へ続く

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