Act.30 相反する逆転の狼煙 | 魔人の記

Act.30 相反する逆転の狼煙

Act.30 相反する逆転の狼煙


「がぁああああ…!」

「ぬぅん…!」

両手をがっちり組み合わせる悟と『ハト』。
『スフィア』のほぼ中央で、ふたりは力比べの体勢をとっている。

どちらも押し、どちらも押されている。
しかし、余裕を失いつつあるのは『ハト』の方だった。

「…なぜ…なぜだ……!」

その声には、信じられないという響きが込もっている。

力比べによって筋肉にたまっていく疲労も、特性『ピジョンミルク』で打ち消している。
つまり今、『ハト』は疲れ知らずの状態だった。

にも関わらず、悟は互角以上の力で返してくる。
少しでも力を抜けば、『ハト』の方が押し切られてしまうだろう。

「『レイヴン』のパートナーが、オリンピック選手級のアスリートだとでもいうのか!? いや、そんなはずはない…そんな者が、パートナーとして選ばれるわけがない!」

”…なんだと?”

『ハト』の言葉に、レイヴンが疑問の声をあげる。
だが、スプレッダの言葉はパートナーにしか聞こえないため、レイヴンの声は『ハト』には届かない。

そして『ハト』もそれを説明するつもりがないのか、一度悟を強く押した後で手を離した。
素早く後退し、背中の翼を広げる。

「勝つのは私だ! 私こそが最強、この『ピジョン』こそが最強の存在になる!」

高らかに叫んだ『ハト』は、翼をはためかせると同時に地面を蹴る。
飛び上がるのではなく、低空飛行で悟に向かって突っ込んできた。

”…あの野郎、最初に成功した戦法でもう一度攻めてきやがっ…”

「ぬぅああああッ!」

”お、おい!?”

レイヴンが言っている途中で、悟は『ハト』に向かって走り出す。
先ほどは回避しようとして失敗し、捕まった上に連続攻撃を食らってしまった。

それとは真逆の行動だったので、レイヴンにも文句はない。
この場合の悪手は、『ハト』に背を見せることだった。

”まあ、いいか。ヘタに避けようとするよりゃいい!”

レイヴンはそう言った後で、悟の体内に残った酸素量をチェックする。
少なすぎても多すぎてもよくないのが酸素だが、現状ではその量に問題はなかった。

”オレもちょっとコツをつかんだぜ、酸素はまだイケる! 思いきりぶちかましてやれ!”

「ぬぅおおおあああああッ!」

悟は、レイヴンに呼応するように叫ぶ。

彼の声が聞こえているのかどうか判別できないが、少なくとも今は全力を出しても大丈夫だというのは理解できているようだ。

「むッ!? さすがに学習したか…!」

低空飛行の『ハト』は、悟が真っ直ぐ向かってくるのを確認する。
ただ、それでも速度を緩めるつもりはないようだ。

「だが学習したのなら学習したで構わん! キサマなどに、この私が負けるはずはない!」

両腕をぴったりと体の側面につけ、前を見ていた顔を下に向ける。
脳天から悟に直撃するような体勢をとった。

巨躯である『ハト』自身の質量に加え、飛行による運動エネルギーも加味される。
もし悟が蹴りで迎撃しようとすれば、逆にその脚が無事ではすまない。

「真っ向勝負なら吹き飛ばしてくれよう! からめ手であればひっ捕まえてくれよう! どちらにしても、キサマは我が力の前に屈するしかない!」

「あああああああああッ!」

「終わりにしてやるぞ、『レイヴン』!」

直進する『ハト』。
それに向かって突き進む悟。

ふたりは、力比べをした地点から、少しばかりずれた辺りで衝突する形になる。

「ぬぁッ!」

だがぶつかる直前、悟が体勢を低くした。
地面に生い茂る草を利用し、その上を滑る。

彼は、飛んでくる『ハト』の真下に潜り込んだ。
高速移動のさなかに、ふたりの視線が上下でぶつかる。

この時、ヘルメットからのぞく口元をニヤリと歪ませたのは『ハト』の方だった。

「それがキサマの答えか!」

『ハト』は、悟の姿を視認するが早いか、自身の両ひざを曲げた。
対して悟は、下から『ハト』を蹴り上げようと、右脚を振り上げる。

悟の脚が、『ハト』の左ひざにぶつかって止まった。
いや、止められた。

「!!」

ぶつかる感触を覚えた直後、悟は思わずそちらを見る。
つまり、顔が上がってしまった。

そこへ『ハト』の右ひざが直撃する。

「ぐごッ!?」

『ハト』の推進力と悟自身の全速力が合わさり、勢い良く悟の顔が後ろに跳ねる。
そのはずみで彼は後頭部を地面に打ち付けた。

「う…っ」

”…し、しまった!”

『アナザーフェイス状態』の頑強さがなければ、そのまま意識を失っていただろう。
だがその頑強さを盾にしても、悟は起き上がることができない。

ごく軽くではあるが、脳しんとうの症状が出てしまったのだ。

”おい、おい! しっかりしろ!”

レイヴンは必死に呼びかける。
だが、悟は草の上でぼんやりと『スフィア』の天頂を見ている。

天頂部には、現在この『スフィア』で戦っている能力者のスプレッダが象られた彫像が鎮座している。
悟の目は、その彫像を見ていた。

一方、『ハト』は悟の上を通り過ぎ、『スフィア』の壁面近くにまで飛んでから軌道を変える。
まず上へ向かい、それから大きく宙返りする。

「どれだけ力が強かろうが、意識を失えば赤子も同じ! 私が先にやられたことだ、十二分にオマケをつけて返してやろう!」

『ハト』は地面に向かっている。
倒れた悟へと、突進を開始している。

その標的である悟は、まだ動けずにいた。

「…………」

”起きろ!! 『ハト』の野郎がこっちに向かってきてる! 起きろォォオオ!”

レイヴンは叫ぶが、彼は反応しない。
先ほどまでのように聞こえていないというわけではなく、単純に反応できない。

「………」

”起きろ起きろバカ野郎! あの野郎、今度は重力も味方につけて攻撃してきやがるぞ! さっきよりヤバいんだ、とにかく寝返りだけでも打てるようになれ! 戻ってこい!!”

「……………」

(…あ、あれ……?)

小刻みに揺れる視界の中、悟は『戻ってくる』。

彼は意識を失ったわけではない。
ただ、顔面を強打した直後に後頭部にも衝撃を受けたせいで、脳を揺さぶられていた。

『アナザーフェイス状態』による保護があるおかげで、意識は保ったままだった。
だが衝撃は、つい先ほどまで悟を支配していた凶暴性を吹き飛ばしてしまう。

(レイヴン…の、声?)

”とにかく横に転がれェェェエエエエエエエエエエッ!!!”

(えぇ!?)

レイヴンの絶叫が流れ込み、悟はわけもわからず右に転がる。
直後、彼がいた場所に何かが落ちてきた。

「!?」

思わずさらに転がり、立ち上がる。
振り返ると、彼が今まで倒れていた場所に、50センチほどの穴が開いていた。

その穴を作ったのは、自ら地面にめり込んでいる『ハト』である。
『ハト』は激突直前に、脚が前を向くように体勢を変えていた。

「なに……!?」

悟が避けたことは、『ハト』にとって予想外だった。
それだけの手応えがあり、もはや勝利は目前だと思った。

だが、実際に悟は必殺の攻撃を避けた。
しかも脚で蹴り込む直前に避けられたので、『ハト』も方向転換ができなかった。

「バカな、あれだけ頭を強打しておきながら動けるだと! いかに『アナザーフェイス状態』の加護があるとはいえ…!」

「………えっと…?」

悟は状況が飲み込めない。
彼はすぐに、レイヴンにこう尋ねた。

(なにが…なにがどうなってる? おれ、確かあそこにいたよな?)

”…なに?”

レイヴンは驚く。
悟が見た方向は、『ハト』に初撃で押し付けられた『スフィア』の壁だった。

そこからレイヴンは、ある仮説を立てる。
悟にその仮説を投げかけた。

”オマエ、まさか記憶が飛んでんのか?”

(えっ? おれ、記憶が飛んでるのか?)

”バカ野郎、訊いてんのはオレだ! だがまあ…今はいい。とにかく、よく避けた!”

(ど、どうも…)

悟には状況が見えない。
だが、何がどうなって現状に至ったのか、今はゆっくり紐解いている時間がなかった。

「ぬぅんッ!」

『ハト』が、落下地点から力強く飛び立つ。
悟に向かって、今度は大きくカーブを描きながら突っ込んでくる。

「まさか私の知らない何かを得たというのか? いや、そうだとしても私は負けん! キサマになど、絶対に負けん!」

「う、うわ!」

『ハト』の気迫に押され、悟は思わず後退する。
だがそれを逃さず、わずかな軌道修正で『ハト』は獲物を追いつめる。

「くっ!」

悟も逃げるばかりというわけにはいかなかった。
再度、ふたりは力比べの体勢になる。

「ぬぅおおおおおおッ!」

「う、くぅ…!」

『ハト』は、何がなんでも悟を屈服させようと全力で押してくる。
対して、悟はそれに抗う力が出せない。

”…おい? どうした、なんで力負けしてる!”

(そ、そんなこと言ったって…! あの巨体だぞ、力比べで勝負になるわけ…)

”お、オマエ…!”

レイヴンは気づいた。
そして、『ハト』も何かに気づく。

「なんだ…? キサマ、先ほどまでの力強さがまったくないな?」

「…え?」

「エネルギーが切れたか! そうか、やはりキサマがこの私に勝つ可能性など、万に一つもないということなのだな!」

「な、にを言って…うおお!?」

悟は、『ハト』のパワーに一気に押される。
相手の握力に手をつぶされそうになる。

さらに腕を大きく広げられ、『ハト』の脚が上がるのが見えた。
これから何が起こるのか、悟にも理解できてしまう。

(あっヤバい、腹蹴られるこれ)

”わかってんなら離れろバカ野郎!”

(いや、だって手が)

「悶えろ!」

レイヴンと話している間に、『ハト』は悟の予測通りに前蹴りを放った。
同時に手を離し、悟の体を前方へ蹴り飛ばす形にする。

「うぐっ!?」

「ハハハハハハッ! バカめ、この私を目の前にしてエネルギー切れだと! 最も愚かな行為だぞそれはッ!」

『ハト』は楽しげに笑い、蹴り飛ばした反動で下げた足を踏ん張る。
すぐに地面を蹴って、前へ飛び出した。

「この私の特性は『ピジョンミルク』! 無限の筋力、無限の体力! キサマなど、小虫のごとくひねりつぶしてくれる!」

「うっ…ぐ」

「そうだ、油断さえしなければ私がキサマなどに苦戦するなどあり得ない! そしてキサマはエネルギーを使い切った! ここですべて終わらせてくれる!」

『ハト』は、右手を大きく引いた状態で、悟に向かって突っ込んでくる。
その勢いは悟の中に、強い危機感を生み出す。

(ヤバい…な、これは…!)

”いろいろ訊きてぇことはあるが、今は置いといてやる”

レイヴンは、静かにそう言った。
口調があまりに静かなので、悟はそちらに意識が向く。

(…レイヴン?)

”とにかく、あの一撃をどうにかやりすごさねぇとマズい”

(ああ…そうだな)

レイヴンにも疑問があるように、悟にも疑問がある。
だが、今はそれを気にしている場合ではない。

向かってくる『ハト』の勢いは、否応なしに恐怖を湧き起こさせる。
それは、戦闘の類に慣れていない悟にとっては自然なことだった。

恐怖を感じることなく、立ち向かうことができる悟は強かった。
だがそれは、本来の彼ではない。

(なにがなんだかわかんないけど…やるしかないのは、同じなんだ)

彼には、『ハト』を超える勢いで戦っていた間の記憶がなかった。
右脇腹への強い一撃を食らった時、一瞬だけ意識が飛んで『何か別のもの』へ切り替わった。

それが、脳しんとうによってさらに切り替わり、元の彼へと戻っていた。
迷いも容赦もなく戦う彼ではなくなり、勢いも失う。

『ハト』にとってはそれが、エネルギー切れに見えた。
無限のエネルギーを誇る『ハト』にとって、絶好の機会に映った。

そして悟にとっては、今が最大の危機だと言えた。

「うぅ…」

向かってくる『ハト』を見て、悟の手足が震える。
それは武者震いではない。

彼自身もそれがわかっている。
我に返った彼は、恐怖にまみれて震えているのだ。

(怖い…怖いなあ、くそ…めちゃくちゃ怖い)

”ああ、そうだろうぜ。あの野郎は…正直オレも怖ェ”

ふたりがそんな会話を交わした時、『ハト』がすぐそこまで迫ってきた。
勝ち誇った『ハト』は、悠然と言い放つ。

「もはや雌雄は決した! 大人しく私にひざまずくがいい!」

突進とともに、殴りかかってくる『ハト』。
悟は、その拳が風を切るのを聞く。

それを聞いてすぐに、震えていた脚のうち、左脚から力を抜いた。

(怖いけど、それはイヤだ)

脚から力を抜いたことで、悟の体勢が低くなる。
しかも左脚だけ力を抜いたので、彼はその場に自身の左手をつく格好になった。

「なに!?」

『ハト』は驚き、そちらを見る。
直後、何かに視界を塞がれた。

「!?」

黒く、ふわりとしたもの。
かと思えば、その中には固い芯のようなものがある。

それを振り払おうとする『ハト』だったが、手はただ宙をかいた。
そして気がつくと、悟の姿はそこにはなかった。

「な…!」

『ハト』は驚き、彼の姿を探す。
やがて、自分の左方向にいるのを発見した。

「そこか!」

いら立ちの声をあげ、『ハト』は再度突進を開始する。
悟はその姿を見て、また自身の手足が震えるのを感じた。

(どうにか避けられた…でも、アイツまた来るんだな。怖いな…)

”ああ、怖ェな。だがオマエ、翼を目くらましに使うなんざ、なかなかやるじゃねーか”

『ハト』の視界を塞いだものは、悟の背中から生えた黒い翼だった。
翼についた羽根はふわりとしているが、その芯には骨がある。

もちろん『ハト』も翼を持っているのだが、それを目くらましに使おうという発想はなかった。
そのため、一体何が自分の視界を塞いだのかはわからなかった。

そして悟の姿を見つけさえすれば、わからなくても構わないと思っていた。
そこには勝利を確信した者の余裕がある。

対して、我に返った悟に余裕などはなかった。

(ただ、必死なだけなんだ。震えるから、脚に力を入れてもうまく動かない…だったら逆に、力を抜いてみようって)

”なるほど、逆にな。体勢が変われば翼が一緒に動く…それを利用して目くらましに使ったってわけだ”

(そこまで考えてないよ。ただ『そうなった』ってだけだ)

悟は、向かってくる『ハト』に対して攻撃をしない。
ギリギリまで引きつけたところで、今度は右脚から力を抜く。

だが『ハト』も、そう何度も同じ手は食わない。

「バカめ!」

殴りかかろうとした右手を引き、左手を突き出した。
それは悟を殴るのではなく、低くなっていく彼の首をつかもうとしている。

(うわ)

それを見た悟はさらに、左脚からも力を抜いた。
彼の体が落ちる向きが変わり、『ハト』の左手が空を切る。

「な…!」

(こっちだ)

地面にへたり込む形になった悟は、そこから翼と脚を使って『ハト』の下を抜ける。
ここまではさすがに予測できず、『ハト』は悟をまたも取り逃がしてしまった。

「おのれ…! ちょこまかと逃げ回りおって!」

回避というよりは、逃げることに特化した悟を『ハト』は捕まえられずにいる。
ただ、それで悟に有利な状況へ向かうわけではない。

”戦ってる間に、体の使い方に慣れてきたか?”

(…わかんないけど、動けないっていうのはなくなってきたと思う)

”だろうな。そうじゃなきゃ今ごろボッコボコだ”

(ボコボコにされるのはイヤだな…そうだな、その気持ちで逃げ回ってるだけだ)

悟は小さく笑った。
そこには、自嘲も含まれている。

やがて彼は、笑みから自嘲だけを捨てた。

(怖くてこわくて…だけど、ここに来るのを決めたのはおれなんだ)

この場所に来るきっかけとなったのは、可恋からのメールだった。
レイヴンは明らかに来るのを渋っていたにも関わらず、悟がそれを押し切ったのである。

彼の顔から笑みが消える。
手足の震えが、少しだけ強まった。

(今も怖い。『ハト』は『ラニウス』よりでかいし、オレたちより先に『レベル2』になってたし、雰囲気からして怖いし、そりゃもう怖い)

”………”

(でもここに来るって決めたのは、おれだ)

”…そうだな”

(怖くて震えて、力が入るかどうかもわかんないけど…)

悟は、意識を自らの足へ飛ばす。
足の親指に、しっかりと力を入れる。

『アナザーフェイス状態』で足を守るプロテクターの中。
彼は力強く、踏みしめた。

彼は自らの意志で、『力を入れた』。

(今戦わなきゃ、おれはあの頃に戻ってしまう…それは、それだけはイヤだ!)

どんなに熱心に、真面目に就職活動をしても、存在を認めてもらえず理不尽に追い出される。
人と同じスタートラインにすら立てずに、悔しい思いをする日々。

今戦わなければ、そんな日々に自分が戻らされてしまう。
悟はそう思った。

レイヴンと『ハト』の様子から、自分の身に何かが起こっていたことはなんとなく感じている。
そして、今はその時より弱くなっていることも、理解している。

彼自身にとって、今は不利な状況である。
不利な状況だと思うことで余計に、体は恐怖に支配されかかる。

しかし悟は、それでも戦いから逃げることはしなかった。
そこには正義の心も、使命感もない。

(泣いてばかりの毎日に戻るなんて、それだけはイヤなんだよ…!)

恐怖はある。
振り払うことなどできない。

痛みもある。
気を抜けば泣き出してしまうだろう。

彼は弱い。
正義を愛し、弱きを助け強きをくじくような存在ではない。

相棒をバカにされれば怒りもするが、その怒りだけで相手を叩きのめせるような強さも、本来は持っていない。

”ああ…そうだ。オマエは、それでいいんだ”

レイヴンは静かに言う。

”誇れるものなんか、なくたっていい。カッコいい言葉だって、言わなくていい。オマエはオマエだ…怖いってんなら、怖いままでいいんだ”

(レイヴン…)

”『スフィア』がなけりゃ、ビビッて逃げ出したっていいんだ。生物ってのは生きたモン勝ちなんだからな…だが”

(ああ。怖い、めちゃくちゃ怖いけど…おれは決めたんだ)

悟は、踏みしめた足にさらなる力を入れる。
翼を使いつつ、地面を蹴った。

(戦うって…この戦いには勝たなきゃいけないって、おれは決めたんだ!)

悟は心で叫んだ。
『ハト』に真っ向から突っ込む。

だが、足には力が入っていても、ひざがまだ震えていた。
地面を蹴った力がうまく伝わらず、飛び立つ速度は遅い。

しかも、体勢がぐらついてしまう。
それを見た『ハト』が笑った。

「フハハハハッ! 回避は少しばかりできるようだが、なんだその飛び方は! キサマ、それでも『レベル2』か!」

そして『ハト』がその場から飛び立った。
素早く真上に飛び、鋭角にカーブを切る。

前方へと飛ぶ悟の背中に、照準を合わせた。

「今度は逃さん! どう逃げようとも、追尾して捕獲してやる! それでキサマは終わりだ!」

『ハト』はそう言った後で、体幹を軸に横方向へ回転を始めた。
まるで電動ドライバーのようにきりもみ状態で飛行し、悟へと襲いかかる。

(来る…!)

悟の中に、強い恐怖感が生まれる。
それは一気に彼の中を侵食しようと、急速に増殖する。

だが彼は、あと少しで恐慌状態に陥るというところで、それを防いだ。

(おれは決めた…おれは決めたんだ……!)

呪文のように、自分自身に言い聞かせる言葉。
それが、彼の正気をつなぎとめる。

正気を失えばまた、レイヴンや『ハト』が驚くような状況になるのかもしれない。
もしかしたら、強くなれるのかもしれない。

悟はそう思ったが、それでも自分自身から手を離さなかった。

(おれは、この戦いに勝つって……決めたんだ…!)

”オマエの決意、オレが見届けてやる”

レイヴンはそう言った。
静かだが、その奥には力強さがある。

”酸素は充分、エネルギーもまだ残ってる。オマエが、オマエ自身から手を離さねぇってんなら、オレもしっかり見といてやる”

(ああ、頼むよ…)

悟は、レイヴンに返答した。
その気持ちは、恐怖に染められながらも、どこか穏やかなものだった。

直後、その心は激しい感情へと変わる。

(おれの悪あがき、見といてくれ!)

悟は翼を使って体を反転させる。
体勢は地面に平行なままで、上から襲ってくる『ハト』に対して体の前面を向けた。

「むっ!?」

『ハト』も悟が動いたことに気づき、回避への警戒心を高める。
きりもみ状態でも、視界はある程度確保できていた。

悟は、『ハト』に体の前面を向けた状態から、体を地面と垂直に変えていく。
そうしながら、位置を背後の方向へずらしていく。

このままいけば、彼の背中を狙った『ハト』は地面に激突する形になる。

だが『ハト』も、その程度のことは予測していた。
悟が向かう方向へ軌道修正する。

「バカめ、すぐに逃げていればもう少しマシな回避ができたものを!」

そう言って『ハト』は笑った。
照準は、体を立てた悟の胸部へと変わる。

「すべての力を込めてキサマを倒す! もう二度と立ち上がることのないようになッ!」

きりもみ状態の『ハト』は、すでに悟のすぐ近くまで来ていた。
ここから逃げ出そうとしても、翼での飛行は初速が遅いために捕まってしまう。

そうなれば『ハト』の回転に巻き込まれて、そのまま地面に叩きつけられてしまうだろう。

いかに『アナザーフェイス状態』の防御力があっても、立て続けに『ハト』の強力な攻撃を叩き込まれれば無事ではすまない。

「これで終わりだぁああああああッ!」

『ハト』の一撃は、ついに悟の胸部へ到達する。
彼の口から、鮮血が飛んだ。

その血が、『ハト』のヘルメットに付着する。
『ハト』自身はきりもみ状態だったが、体幹を軸にした横回転であるため、頭部は動いていない。

「うっ!?」

動いていない頭部は、血を吹き飛ばすことができない。
『ハト』はその一瞬、悟の姿を見失った。

思わぬことに『ハト』は驚き、きりもみ状態の回転が少しだけ弱まる。

胸部に打撃を受けた悟は、勢いを利用しつつ翼を使い、その場で縦回転する。
『ハト』と同じく地面に頭を向けたところで、相手の体を両側からつかんだ。

「おれは勝つって決めたんだぁああああああああッ!」

悟は叫んだ。
口の端から血を飛ばしながら、力の限り叫んだ。

『ハト』の体をつかみ、
飛んできた勢いを利用し、

「あああああああああああああああッ!!」

相手もろとも地面に突っ込んだ。

その瞬間、爆弾が落ちたかのような衝撃が、周囲に広がる。
『スフィア』の壁面に当たったところで消滅し、それから外へ広がることはない。

さらに土煙も『スフィア』内に充満した。
もともと外からは見えないこの決闘場だが、見えたとしても今は土煙で何も判別できないだろう。

それだけ強烈なエネルギーが、地面に叩きつけられた。

「………」

「……………」

土煙の中、悟と『ハト』は倒れている。
彼らは、直径2メートルほどの穴を作り上げていた。

落下しただけでこれほどの穴を作るのは、尋常の質量では不可能である。
ふたりの体が動くことはなく、動いていたのはゆっくりと舞う土煙だけだった。

だが、動く者はなくとも勝敗は決する。

”…オマエの勝ちだ”

勝者の相棒はそう言った。
その直後、巨躯と無限の体力を誇った能力者は変身を解かれる。

変身が解除された相手を見て、勝者の相棒…レイヴンは声をあげた。

”な、なに…!?”

『アナザーフェイス状態』から変身を解かれたのは『ハト』だった。
『ハト』が倒れた場所にいたのは、鳩の姿をしたスプレッダ『ピジョン』と細い体の老人だった。

老人は脂肪どころか筋肉もなく、見えている肌にはしわが無数に刻まれていた。
筋骨隆々だった『ハト』の面影は、どこを探しても見当たらない。

”このジジイがパートナーだったってのか…力強い体に憧れてたとか、そういうことか…?”

レイヴンは悟の心配をすることも忘れ、老人を見つめた。
土煙は今だ舞い続け、彼らの周囲が晴れることはなかった。


>Act.31へ続く

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