Act.28 嘲りの葉は怒髪のトリガー | 魔人の記

Act.28 嘲りの葉は怒髪のトリガー

Act.28 嘲りの葉は怒髪のトリガー


”決闘者同士の了承を確認。これより『スフィア』を生成…周囲の認識は遮断される”
”決闘者同士の了承を確認。これより『スフィア』を生成…周囲の認識は遮断される”

機械的な声が響く。
そこに、感情の類は感じられない。

(…これ、何度聞いても慣れない…)

悟はそう思った。
半分飛んでいた意識は、彼の手元に戻ってきていた。

レイヴン、そして『ハト』のスプレッダが発した機械的な声。
それは、薄青のドーム型決闘場『スフィア』を作り出す合図だった。

『スフィア』は、悟と『ハト』が対峙している中間地点から膨張を開始していた。
その縁はふたりの体を透過し、包み込んだ時点で外からは見えなくなる。

ふたりを飲み込んでもその拡大は止まらない。
決闘に充分な広さを確保するためか、『スフィア』はさらに膨らみ続けた。

その範囲は、可恋がいる場所にまで及ぶ。

「え? わ、きゃああ!?」

足首を負傷していた彼女は、支えにしていた木から5メートルほど離れた場所まで押しのけられた。
思わずドームに手をかけるが、それはガラスのように固く冷たく、中の様子は見えない。

「アイツ…!」

彼女は声をあげる。
その声を自分で聞いた時、彼女は我ながら小さな声だと思った。

それを認識した直後、自嘲の笑みを浮かべる。

「はは…あたし、よかった…って、思っちゃってる」

『スフィア』にはりついた彼女は、その状態のままゆっくりと地面に向かって滑り落ちていく。
小さな尻が草の上に落ちた瞬間、内部に向けられていた視線が落ちた。

「自分が助かってよかった、って…あたし…! こんなだから、あのクソ男を殺せないんだわ…!」

そうつぶやいた後で、強く唇を噛む。
やがて『スフィア』は内包した者たちごとその姿を消し、後にはうなだれた彼女だけが残った。

一方、その内部にいる悟は、自身の鼓動が速くなっているのを感じている。
視線の先には、腕組みの体勢に戻った『ハト』がいた。

(…片山のことがあって、それで…やるしかないって思う部分があったけど、それ以前にもう…この場所は近すぎる)

今、彼が問題にしているのは自分たちがいる場所だった。
細心寺は、彼の家からそれほど離れていない。

つまり、『ハト』がすでに悟の生活圏に入ってきてしまっている。
このことが、もはや逃げることができない状況だったのだと彼に知らせている。

意識が半分飛んでいようと、冷静に戻ろうと。
戦う以外の選択肢が、そもそもなかった。

しかも、撃退では足りない。

(ここで、今ここで…『ハト』を倒すしかない)

”その通りだ。よくわかってんじゃねーか”

現状をあらためて認識した悟に、レイヴンが声をかける。
『スフィア』生成の作業は完了したようだ。

”『ハト』相手に、なかなか派手にタンカを切ったのもほめてやる。頭が半分ぶっ飛んでたのがちょっと心配だったが…それも直ったみてーだな”

(ああ。レイヴンのあの声聞いて、ちょっと冷静になったっていうか…あの声、やっぱり慣れないからさ)

”オレもオマエの甘ったるさには慣れねーから、お互いサマだ”

(ごめん)

”バカ、そこで謝るんじゃねーよ。オマエがここに来るって判断したからこそ、あの野郎に家を知られずにすんでるんだぜ”

レイヴンは穏やかな声で言う。
やがて、穏やかな中にうっすらと激しさが宿る。

”それにさっきも言ったろ、これは運命ってヤツだ…ここで決着をつけなきゃならねぇっていう、巡り合わせなんだよ”

(めぐりあわせ…)

”運命だとか、そういう言葉はあんまし使いたくねーんだが…ここまでお膳立てされりゃ、イヤでも思い知るぜ。やるなら今で、今やるしかねぇってことをな”

(…ああ、そうだな)

やるしかないという言葉とその気持ちは、悟にもよくわかった。
それが自然と、うなずくという動作に現れる。

それを見た『ハト』が、悟に向かってこう言った。

「処理される覚悟はできたか?」

直後、『ハト』は腕組みをしたままその場から飛び立つ。
背の翼を大きくはためかせ、急速に突進してきた。

「…!」

”おっと、もう来やがったかよォ!”

悟とレイヴンの会話はまだ途中だった。
しかし、『スフィア』が生成されたということは、決闘の舞台はもう整っているということである。

悟たちは、油断をしていたわけではない。
ただ、少しばかり気持ちが決闘から逸れていた。

先制攻撃を『ハト』に許したのは、彼らの失策だった。

「この私を愚弄した罪は、苦悶と後悔の叫びで贖うがいい!」

『ハト』は、悟たちのすぐそばまで来ても、腕組みを解くことがなかった。
そのまま頭から突っ込んでくる。

ただ、悟も突進をそのまま受け止めるつもりはなかった。

「くっ!」

左へステップし、『ハト』の突進を回避しようとする。
すかさずレイヴンが彼に言った。

”そんな動きじゃ捕まるぜ! あの野郎が翼を持ってることを忘れんな!”

(そ、そうか!)

悟も彼の言葉でそれに気づき、さらに大きく左へ動く。
だが『ハト』は、翼を少し動かすだけで、たやすく軌道修正する。

それを見た瞬間、悟はこう判断した。

(横じゃダメか!)

そして彼もまた背中の翼を使い、上へ跳躍した。
だが、『ハト』はそれにもすぐさま反応する。

(えっ!?)

「遅い!」

そこからさらに動くには、『ハト』との距離が近すぎた。
突進してきた巨躯に、悟は捕まってしまう。

「うぐっ!」

頭から突っ込んできた『ハト』が、悟の腹部に激突する。
本能的に両手でかばってはいたものの、大きな体がぶつかった衝撃は殺しきれない。

そのまま後ろに押され、『スフィア』の壁に背中を叩きつけられた。

「ぐはっ!?」

「あれだけ大口を叩いておいて、その程度か!」

『ハト』は唸るような声をあげ、ここで腕組みを解く。
悟の脇腹を、大きな左拳で打ち抜いた。

「ぬんッ!」

「ごぁっ!?」

さらに右。

「ふんッ!」

「うぐっ!」

左、右、左、右…と、『ハト』は交互に拳を繰り出す。
頭を悟の腹部につけたまま、徹底的に脇腹を攻め立てた。

重力と地面に対する踏ん張りがなくとも、翼が生み出す揚力を利用することで、地上で放つのに近い威力をキープすることができる。

つまり『ハト』の攻撃は、悟にとって充分に脅威となり得た。

「ぬぅおおおおおおおおッ!」

「ぐはっ、がっ、あぐぅ!」

『ハト』のラッシュを、悟はまともにくらい続ける。
たまらずレイヴンが叫んだ。

”おいなにやってやがる! ヤツからすぐに離れろ!”

「ううっ」

悟としても離れたいのは山々だった。
しかし、『ハト』によって『スフィア』の壁面に押し付けられている状態であり、重力に引かれて落下するということができない。

手を出そうにも、腹部前面をかばった状態のままだった。
『ハト』の頭部に押される形になり、力を入れても動かすことができない。

(う、動け…ない)

”動けないじゃねーんだよ動くんだよ!”

レイヴンは声を荒げる。
さらに早口でこう続けた。

”『アナザーフェイス状態』は、打撃にはある程度耐性がある! それに、『ハト』の野郎は『ラニウス』みてーなエグい特性は持ってねぇ! だがいつまでもくらいっぱなしでいいわけねーんだ、早くそこから逃げろっつーんだよ!”

(後ろの壁に押し付けられてるんだよ…! 手も動かせない!)

”手がダメなら足があんだろーが!”

(…あっ)

レイヴンの言葉に、悟もふと思い出す。
『ハト』に殴られる痛みで、足を動かすという意識が飛んでしまっていた。

(くっ!)

激しい痛みに感覚をもみくちゃにされながら、悟は必死になって足に力を入れる。
腹部に押し付けられた『ハト』の頭を、右ひざで蹴り上げようとした。

「フン!」

だがその動きは読まれている。
『ハト』は難なく、両手を下に向けて悟のひざを受け止めた。

そしてすぐにひざを下方向へ押し戻す。
それによって、悟の右側が伸びる。

体が伸びるということは、筋肉も伸びるということである。
つまり、厚かったものが薄くなる。

『ハト』は、悟の右ひざを下へ押し戻したことで、彼の右脇腹の強度をわずかだが下げた。
そしてそこを狙い、拳を放つ。

「悶えろ!」

「うごっ……!?」

これまでより、深く。
『ハト』の打撃が、悟の体内に入り込む。

血の味が、一瞬にして悟の口内を満たす。
赤く染まった唾液が舞うのを、悟は自らの視界で認識した。

それは、やけにゆったりとした動きに見える。

(なん…だ、これ……)

木漏れ日が当たって、きらきらと輝く小さな球体がいくつも飛んでいるのがわかる。
球体たちは、とても美しく見えた。

(キレ、イ…)

悟は思わず目を奪われる。
その一瞬だけは、苦痛から逃れることができた。

そんな彼の耳に、『ハト』の声が流れ込んでくる。

「まさか、これほど弱いとはな」

声には、呆れと失望があった。

「同じ『レベル2』…警戒する価値はあるかと思っていたが、少し買いかぶりすぎたようだ」

今の一撃は、『ハト』にとっても手応えのあるものだったらしく、ラッシュの手が止まっている。
悟の腹部に押し付けていた頭を、ゆっくりと離した。

『スフィア』の壁に張り付ける杭の役割だったそれが離れ、悟の体は引力に引っ張られる。
彼は翼を使うこともできず、自由落下を開始した。

そこへ『ハト』が近づく。
体勢が傾いた彼の体を、頭が下になるように仕向ける。

そして抱きついて体重をかけ、ともに落下しながら叫んだ。

「レイヴン、キサマはやはり失敗作だった! 無様に墜ち、果てるがいい!」

『ハト』は、悟を頭から落下させて殺そうとしていた。
筋肉で盛り上がった腕で体を拘束され、悟には逃げ場がない。

『レベル2』となって得た翼も、『ハト』に抱きつかれる状態になったことで、羽ばたかせることができない。

いくら『アナザーフェイス状態』が打撃に耐性があるとはいえ、頭から落下すれば首に衝撃が集中してしまう。
そうなれば、運が良くても大ケガ、場合によっては即死もあり得る。

『ハト』はまさに、それを狙っていた。
そしてその企みは、今まさに成功しようとしていた。

しかし。

(…今、なんて言った?)

意識はぼんやりとしている。
輝く球体たちを見た記憶が、ずいぶん遠くに感じられる。

いつの間にか天地が逆転している。
悟の目からは、空が落ちていくように見えている。

だがそのどれもが、彼にとってはどうでもよかった。
彼が気になったのは、耳に飛び込んできたある言葉だった。

(今なんて言ったんだ、コイツ…)

耳の周りが、後頭部へ向かってぴくりと引きつる。
いつもは意識しない薄い筋肉が、やけに細かく反応している。

「お前…今、なんて言った?」

自然と、口から言葉が漏れた。
だが声が小さいのと、上下をひっくり返された状態であるため、『ハト』には聞こえていない。

そのためか、悟はもう一度言った。

「今、なんて言ったんだ?」

「…む?」

ここでようやく、『ハト』も悟の声に気づく。
だが、彼が返したのは嘲笑だった。

「フハハッ、今さら気づいたところでもう遅い! お前はこのまま、羽ばたく者として最も屈辱的な最期を」

勝ち誇る『ハト』はしかし、ここまでしか言えなかった。
言葉の途中で、何かとても激しい『音』を聞いた。

「お前、今なんて言いやがったんだぁあああああああッ!」

その『音』は、言葉を持っていた。
しかし『ハト』には、それが誰かの声だとはすぐにわからなかった。

わかったのは、しっかりと抱きしめていたはずの両腕が、突然広げられたことである。

「!?」

直後、今度は足元からではなく、顔のすぐ近くで別の『音』を聞いた。

「誰が失敗作だと…?」

「…な、お前…!?」

『ハト』の目の前にあったもの。
これまでは、それは悟の足だった。

悟の体を上下にひっくり返し、頭から地面に激突させる。
それは、羽ばたく者『スプレッダ』にとって究極の屈辱だと『ハト』は考えていた。

失敗作に相応しい最期だと、『ハト』はそう思った。
自分に刃向かった愚かな者の最期として、よくできた演出だとさえ思った。

しかし、今『ハト』の目の前にあるのは、能力者『レイヴン』の足ではない。
それとは真逆のものだった。

「失敗作って誰のことだ?」

「な、なぜだ!? 私の力を上回ったとでも…」

「なあ、誰のことを言ってんだ?」

「き、キサマ…!」

異常を感じた『ハト』は、悟を地面に激突させることを諦めた。
下に向けていたはずの頭が上に戻ったため、地面に落としても大きな痛手は負わせられない。

その代わり、能力者『レイヴン』をその両手で突き放そうとした。
だがその両手を、相手につかまれてしまう。

「なに!?」

そのことに『ハト』が驚いた直後、視界が逆転する。
気がつけば、頭が下を向いていた。

空中で体を回転させられていた。
もともとは『ハト』が悟に対してやったことを、今度はやり返される形になったのだ。

「ば、バカ…なッ!?」

それに気づいた時には、もう地面はすぐそこにあった。
対応するには、時間が足りなかった。

『ハト』は頭から地面に激突し、その衝撃を利用して悟は落下地点から飛び退く。
着地はせず、翼で滞空しつつ『ハト』を見下ろした。

”…おい…?”

驚いたのは『ハト』だけではない。
悟のスプレッダであるレイヴンも同じだった。

”おい…ちょっと待て、なにがどうなってる?”

「……」

レイヴンは問いかけるが、悟は反応しない。
ただじっと、『ハト』の動向を見守っている。

その隙のない姿は、およそ悟のものとは思えない。
少なくとも、『ハト』のラッシュをくらい続け、自分の足を使うことさえ忘れていた人間と同一人物とは思えなかった。

”どうしたってんだ、いきなり…雰囲気っつーか、性格変わっちまいやがって”

レイヴンは、呆然とした様子で言う。
声は悟の中へ流れ込んでいるはずなのだが、やはり彼は反応しない。

その様子に、レイヴンはある仮説を立てる。

”なんだよ…もしかして、オレがバカにされたからキレたってのか? それにしたって…”

「ぬ、うぅ」

”…!”

『ハト』のうめき声が聞こえ、レイヴンの注意がそちらに向かう。
頭から激突したというのに、『ハト』はゆっくりと立ち上がろうとしている。

致命傷どころか、大ケガを負っている様子もない。
だがこれは、レイヴンには予想できたことだった。

”あの野郎、やっぱり起きたか。ヤツの特性は『ピジョンミルク』…実質、体力は無限でダメージもすぐに回復する…”

レイヴンはそう言ってから、意識を悟へ移す。
反応がない相棒に、彼は少し呆れながらこう続けた。

”説明してやってるつもりなんだが、聞こえちゃいねーようだな…”

「……」

悟は、レイヴンの呆れ声にも反応しない。
ただじっと、起き上がる『ハト』の姿を見ている。

その口元は、歪んで引きつっている。
今の彼に、気弱な青年の面影はなかった。


>Act.29へ続く

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