Act.11 時告げぬ閑古鳥 | 魔人の記

Act.11 時告げぬ閑古鳥

Act.11 時告げぬ閑古鳥


レイヴンとの作戦会議が終わった後、悟はビジネスホテルを出た。
手にはアパレルショップの袋を持ち、中にはレイヴンがいる。

これまで袋に入れていたスーツはホテルの部屋に置き、袋の中にはレイヴンだけが入っていた。

横から見ると彼の姿が若干透けて見えているが、袋に書かれたブランド名とあいまって、ロゴの一部に見えなくもない。

そもそも、袋にカラスを入れて持ち歩く人間がいるなどと、普通は考えもしない。
悟が堂々としていさえすれば、袋とその中身が注目の的になる確率はほぼなかった。

「……」

ホテルを出てしばらく歩くと、交差点の信号につかまる。
そのタイミングで、悟はスマートフォンを取り出した。

地図アプリを起動させ、目指す場所の確認をする。
検索欄には、すでに住所が打ち込まれていた。

(レイヴンの話じゃ、住宅街らしいけど…)

アプリのナビは、ここから少し離れた住宅街を指している。
住所は、他のカラスから教えてもらった大体の場所から、レイヴンが割り出していた。

レイヴンは、街にいる無数のカラスを味方につけ、『この時期にカッコウがよく出入りする建物』を調べてもらったのだという。

悟には信じられない話だが、彼はすでに『もっと信じられない経験』をしてしまっている。
さらに今回のことには、祖母ハナが危険にさらされるかもしれないという、現実的な危惧もあった。

(…とにかく、ばあちゃんを危ない目にあわせるわけにはいかないし、変に心配させるわけにもいかない)

彼の常識から大きく外れたことが次々と起こっているが、今はとにかく動くしかなかった。
スマートフォンをしまい、青に変わった信号を確認して横断歩道を渡る。

その後、彼はビルとビルに間に入り、人気のない路地へさらに入った。

「………」

周囲に誰もいないこと、ビルの窓などから誰も顔を出していないことを確認し、持っていた袋の口を広げる。

それと同時に、レイヴンが袋から飛び出した。
彼は悟を見ることもなく、真っ直ぐ空に向かって飛んでいく。

「…よし」

悟はそれを確認してから、袋をたたんでジーンズのポケットに入れた。
路地から出ていく時、空からカラスの鳴き声が聞こえてくる。

「カァー」

それは普通の人間が聞けば、その通りカラスの鳴き声でしかなかっただろう。
だが、悟にはこんなふうに聞こえている。

「カァー(ここまでは問題ねぇ。あとはあの家に向かうだけだ)」

悟は、レイヴンの鳴き声がどんな意味を持つのか、感じ取ることができるようになっていた。
ただし、彼は他のカラスの鳴き声は『カラスの鳴き声』としか聞こえず、意味がわかるのはレイヴンの鳴き声だけである。

これもまた、悟がレイヴンと『認識を共通化』したことで得た能力なのだという。
つまり、ふたりが出会ったあの日に、すでに得ていた能力だった。

今まではこうして離れた状態で同じ目的地へ向かうということをしなかったので、その能力を自覚することがなかった。

悟が家にいる間はレイヴンも家にいたし、家でレイヴンが鳴いてしまえば当然ながらハナに見つかってしまう。
つまり、レイヴンもわざわざ悟に説明する必要がなかった。

だが今は、その説明が必要になるほどの事態だった。
悟としても、使えるものはすべて使って、ハナを守らなければならないと思っていた。

「よし…行こう」

例え、それが自分の常識から外れていようと構わない。
また戦うかもしれないという恐怖は拭えないが、それでも…ハナを守るためなら悟は進むことができたし、進むしかなかった。


30分ほど移動を続け、悟は住宅街にやってくる。
陽が傾き、空が赤く染まっていた。

まだ明るいが、夕方と呼べる時間はもう過ぎている。
そこかしこの家から、夕餉の香りが漂ってきていた。

「………」

悟は、そのうち1軒の家の前に立っている。
スマートフォンを取り出し、地図アプリで確認した。

(ここだ)

彼は、目指す場所へやってきた。
その途中に、敵からの妨害はなかった。

家は塀でぐるりと囲まれており、悟のすぐ近くには金属製の門扉がある。
門扉は閉じられているが、カギがかかっているわけではない。

悟がスマートフォンをジーンズにしまった時、少し離れた場所からカラスの鳴き声が聞こえてきた。

「カァー(そこらを歩いてるヤツはいねぇ、さっさと中に入っちまえ)」

「……」

鳴き声はレイヴンのものだった。
その言葉に悟は若干とまどうが、意を決して門扉に手をかける。

わずかに音を立ててそれは開き、悟はあっさりと敷地内に入ることができた。
そっと門扉を閉めた後で、彼は玄関のドアに向かわず、建物の脇を歩いていく。

(なんか…誰もいない感じだぞ…?)

悟は不思議に思いながら、家の裏手へと回る。
玄関の真裏へ曲がろうとしたその時。

突然、何かが悟に襲いかかってきた。

「……!?」

小さな何かがぶつかり、続いてバサバサとしたものを叩きつけられる。
悟は思わず顔を手で覆った。

だが、すぐに彼は気づく。

(…あれ、痛くない…?)

何かが叩きつけられているのだが、痛いというほどの衝撃が来ない。
そのことに不思議がっていると、今度は上方から勢いよく何かが降ってきた。

「うっ!?」

降ってきた何かは、悟の足元へ落ちる。
彼にぶつかったわけではなく、すぐ近くの何かにぶつかったようだ。

「………?」

それまで悟に叩きつけられていたもの。
それが、今はなくなっている。

一体何が起こったのかと、顔の前から手をどけて足元を見た。
するとそこには、黒いものと灰色のものがあった。

黒いものはレイヴンであり、灰色のものは別の鳥だった。
レイヴンは、その別の鳥を上から押さえつけている状態だった。

(…あ)

悟はここでようやく理解した。
自分に襲いかかってきたのは、この灰色の鳥だったのだと。

バサバサと叩きつけられていたものは、この鳥の翼だったのだ。

(レイヴンが助けてくれたんだな…)

正体がわかれば、気が弱い悟にもある程度の安心感が生まれる。
彼はそっとしゃがみ込み、灰色の鳥を押さえつけているレイヴンの背に、そっと指で触れた。

(レイヴン、この鳥が?)

”ああそうだ。コイツが『ククールス』。カッコウの姿をしたスプレッダだな”

レイヴンの下で、ククールスと呼ばれた鳥…『翼を持つ者』スプレッダは暴れている。
だが、レイヴンの方が倍近い大きさなので、完全に押さえ込まれていた。

”コイツ単体で仕掛けてきたってことは、この家の中にパートナーもいる”

(パートナー…人間が、中にいるってこと、だよな)

”人間なのは間違いねーだろうが、今の場合どっちかっつーと『犯人』だな”

(犯人…!)

その響きに、悟はにわかに緊張する。
自然とその目が勝手口に向かった。

彼はそちらに向かうため、しゃがみ込んだ体勢から立ち上がろうとする。
だがその前に、レイヴンに止められた。

”わりィんだが、コイツをつかんでてくれ。このままじゃ変身できねぇ”

(え?)

”オマエの力で、勝手口のカギぶっ壊せるっつーんなら止めねーがよ”

(…あ)

ここで悟はようやく、勝手口が施錠されている可能性に思い至った。
レイヴンから一度手を離し、その下にいるククールスへと手を伸ばしていく。

「…!」

ククールスは、悟に捕まってしまうと理解したのか、レイヴンの下で猛然と暴れ始めた。
その勢いに、悟は少しばかり腰が引けてしまう。

だが、今は彼も必死である。
すぐに気を取り直し、両手でククールスの体を包み込んだ。

体長40センチ足らずのククールスは、悟の手には少しばかり余る。
だが、バタつく翼を封じることはできた。

「………」

動けなくなったククールスは、じっと悟の顔を見る。
どこか恨みがましいようなその視線を受けて、悟は少しだけ気圧された。

だが、手から力を抜くことはない。
その様子をじっと見ていたレイヴンは、やがて悟の頭上へと移動した。

”よし、上出来だ”

レイヴンは、そう言って両翼を広げる。
漆黒の翼だけが一瞬で巨大化し、悟の体をすっぽりと包み込んだ。

(う、うわ…)

彼の視界がすべて闇に染まる。
直後、その闇は彼の体に貼り付き、全身が黒いタイツで覆われたようになる。

それは、ククールスを包み込んでいる両手も同様だった。
ただ、闇はククールスを避けて、悟の体だけに貼り付いていく。

その後、彼の頭部と肩、前腕、そしてひざ下から足にかけて甲冑のようなプロテクターが装着された。
悟がその感覚に気づいた時にはもう、闇は晴れてしまっていた。

”…よし、変身完了だ”

(あ)

レイヴンの声が聞こえて、悟は変身が終わったことに気づく。
ふと両手を見ると、闇色の手の中にククールスは変わらずにいた。

(この鳥は…変わってないんだな)

”当たり前だろ、これはオレとオマエの変身だからな。んなことより早く中に入るぜ”

(あ、ああ)

レイヴンに急かされ、悟は勝手口へ向かう。
ドアの前まで来たところで、彼は気づいた。

(…これだと、ドア開けられない…な)

悟は両手でククールスを包み込んでいる。
これではドアノブを回せない。

彼はククールスを左手で自身の胸に押し付けるようにし、右手を自由にした。
それからドアノブを回してみるのだが、やはりカギがかかっている。

”そのまま力任せにいけ”

(う、うん)

レイヴンに促され、悟は気が進まないながらもドアノブに力を込める。
明らかに何かが壊れる音がして、勝手口はだらしなく開くようになった。

自由になった右手を胸の前に置き、ククールスを抱きしめるようにして悟は家の中に入る。
入ってすぐの場所は台所だった。

(……)

敷地内に入った時と同じように、人の気配を感じない。
夕餉時だというのに、台所には照明もついていない。

悟は、足音を気にしつつ台所から出た。
廊下から居間に向かい、浴室も見たが誰もいない。

(あれ…?)

勝手口を開ける要領でトイレも確認したが、誰もいなかった。
1階を調べ尽くしても、それは同じだった。

”犯人は上にいるようだな”

(上、か)

悟は玄関に向かい、そこにある階段から2階へ向かう。
階段途中の踊り場から、さらに上がるために方向転換をする。

すると何かが見えた。

「……!」

階段を上りきってすぐの廊下。
人の手が見える。

階段の壁に阻まれて全身は見えないが、廊下に接地した人の手が見えた。
つまり、誰かが倒れている。

(えぇ…!?)

”…なるほど、話が見えてきたぜ”

とまどう悟をよそに、レイヴンは納得したように言った。
悟はそのことを疑問に思い、彼にこう問いかける。

(話が見えてきた、って…どういうことだよ?)

”とにかく近づいてみろ。ククールスを逃がすなよ”

(う、うん…)

悟はゆっくりと階段を上がる。
やがて彼は、倒れた人間の全貌を見るに至った。

(…女の子……?)

2階の廊下に倒れていたのは、キャミソール姿の女だった。
うつぶせになっており、顔はよく見えない。

ただ、その体にただならない異常があるのはすぐにわかった。

(うっ…?)

キャミソールから伸びる腕、そしてホットパンツから伸びる脚。
そのどれもが、とても細い。

それは『ほっそりとしている』という次元ではない。
極端に細く、脂肪どころか筋肉もないのが見て取れた。

(な、なんだこれ…!? 一体なにが…)

就職のために面接を何度か受けてきた悟は、受付などで細身の女性を何度も見た。
だが、目の前にある体は、今まで見てきたどんな女性の体をもはるかに超えて細い。

骨と皮だけ、という表現がしっくりきた。
その驚きは、彼の手から力を抜かせてしまう。

「……!」

その一瞬を、ククールスは逃さなかった。
悟が驚いたのに気づいたその鳥は、瞬発的に大きく身じろぎをする。

「うわ!?」

悟はさらに驚かされ、ククールスをその手から逃してしまった。
彼から逃れた鳥は、倒れた女性の背中に乗る。

そしてすぐさま、その場で大きく翼を広げた。

「し、しまった!」

”このバカ! だから逃がすなっつっただろーが!”

悟がククールスを逃したことに気づき、レイヴンがそのことに怒った時には、女性は灰色の翼に全身を覆われていた。

やがてその姿は、今の悟と同じように『アナザーフェイス状態』へと変化する。
灰色の全身タイツに包まれ、体のそこかしこに甲冑のようなプロテクターが装着される。

廊下に突っ伏していたその体が、やがてゆっくりと動いた。

「…く、う…!」

悟の目の前で、変身した女は立ち上がる。
驚く悟に向かって、かすれた声でこう言った。

「バカな、ヤツ…! わざわざ、殺されに…くるなんて……!」

その声は、かすれた上に弱々しい。
だがはっきりと、悟に対する敵意が感じられる。

(う、うぅ…!)

女の体力は、明らかに尽きかけている。
だが逆に、そんな状態でも立ち上がって敵意を吐き出すという執念が、悟に恐怖を感じさせていた。

そこへ、レイヴンの檄が飛ぶ。

”おい! わかってんだろーな、コイツをどうにかしなきゃ、ばーさんが危ないんだぜ!”

(……!)

悟は、レイヴンの言葉で我に返った。
そう、彼の目の前にいるのはまぎれもなく『ハナを危険に陥れる犯人』なのである。

それを認識した瞬間、彼の中にある恐怖の3割ほどが消し飛んだ。
いまだ恐怖は強く、彼の中に存在している。

だが、存在していても押さえつけることはできた。

(そうだ…やるしかない! おれだって、遊びでここまで来たんじゃないんだ!)

心を奮い立たせ、悟は目の前の『ククールス』をじっと見つめる。

恐怖も戸惑いも消えはしない。
はっきりと、心にその存在を感じている。

それでも今、彼は自分が何をすべきなのか、はっきりと自覚することができていた。


>Act.12へ続く

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