【本編】episode66 ミ・カ・サ襲来
episode66 ミ・カ・サ襲来
玲央菜と留美は、初めて名前で呼びあった後、まるで初々しい恋人同士のように顔を赤くしながら教室へと戻った。
やがて午後の授業が始まり、授業が終わった後は掃除が始まる。
玲央菜は、いつものように留美と女子トイレに向かい、彼女をタイムキーパーにして掃除に勤しむ。
その後、帰りのホームルームを経て1日の授業がすべて終わった。
「れ、玲央菜ちゃん」
「あ…る、留美ちゃん」
たどたどしくふたりは名前を呼び合い、放課後の予定を確認しあう。
「わたし、サッカー部の練習見に行くけど…れ、玲央菜ちゃんはどうする?」
「あ」
玲央菜はここで思い出した。
留美に名前で呼ばれたことがあまりに衝撃的で吹っ飛んでいたのだが、留美にはサッカー部に想い人がいる。
結局今の今まで、その進捗を訊くことができずにいた。
玲央菜はいい機会だと思い、留美に尋ねてみる。
「ちょ、調子っていうか…ど、どんな、感じ?」
「…相変わらず」
玲央菜の問いに、留美は苦笑しながら答えた。
続けて、現状を説明する。
「クリスマス前だからかわかんないけど、練習見に来る女の子たちどんどん増えちゃって…」
「え、そうなの?」
「あの人だかりに突撃していく自信、正直…ない。あはは」
「…ボクも行こうか?」
「ううん、いい。ひいら…玲央菜ちゃん、お仕事の準備とかもあるんじゃない?」
「おうちの仕事は宿題してごはん食べた後だから、今はまだだいじょ…」
「柊さん、ちょっといい?」
留美と話している玲央菜に、誰かが声をかけてきた。
聞いたことがある声だと彼女が振り返ると、そこにはクラスメイトである3人の女子が立っている。
「…ボク? なに?」
玲央菜が不思議そうに尋ねると、中央に立っている女子が腰に手を当ててこう言った。
「どういうことなのか、教えてほしいんだけど」
「…どういう、こと…って?」
玲央菜には意味がわからない。
首をかしげていると、向かって左側にいた女子が、中央の女子に何やら耳打ちする。
耳打ちしたのは、玲央菜と留美が名前を呼び合って真っ赤になっているのを見ていた女子だった。
だが、玲央菜と留美が気づく前に去っていったので、ふたりは見られていることを知らない。
そして耳打ちされた女子は、玲央菜の目を真っ直ぐ見ながらこう言った。
「昼休み、ふたりで何か相談しあってたらしいじゃない」
「ひるやすみ?」
「もしかして、高崎くんのこと狙ってるんじゃないでしょうね」
「…高崎くん?」
何のことを言われているのか、玲央菜にはさっぱりわからない。
その反応を見て、中央の女子は何かを感じて左の女子に小声で尋ねる。
「ちょっと! なにあの反応、なんか全然わかってないっぽいんだけど?」
「あれ、おかしいなー? 絶対、ふたりで恋バナしてると思ってたんだけど」
あくまで小声なのだが、玲央菜たちとの距離が近すぎて全部聞こえている。
玲央菜はなんとなく、話の輪郭が見えてきた気がした。
彼女は、中央の女子に声をかけてみる。
「あの…ちょっと教えてほしいんだけど」
「なに?」
中央の女子は、すぐに玲央菜を見る。
その眼差しには芯が通っていて、意志の強さを感じさせる。
悪い言い方をすれば、キツい。
だが玲央菜もひるまず、女子にこう尋ねた。
「高崎くんって、そもそもだれ?」
「はァ?」
玲央菜の質問に、中央の女子は目をむいた。
そしてすぐさま、怒りの言葉を吐き出す。
「なに言ってんの? 高崎くんは高崎くんでしょ! あんたまさか、クラスメイトの名前も知らないとか言うんじゃないでしょうね!?」
「いや、その…ボク今までいろいろと余裕なくて、あんまりいろんなこと憶えてない、っていうか…」
「…え? なにそれ」
玲央菜の言葉に、中央の女子はいきなり語気を落とす。
明らかにいぶかしげな目で玲央菜を見た後、左の女子にまた小声で言った。
「なんか…ホントに知らないっぽいんだけど?」
「あれー? おっかしいな~」
「おっかしいな~、じゃないわよあんた。ホントにこの子、高崎くんのこと好きなの? 月島と恋バナしてたって、ホントに高崎くんのことなの?」
「そう言われると、ちょっとわかんないかも~」
左の女子はそう言って、ケラケラ笑いながら両手を頭の後ろで組んだ。
玲央菜はなんとなく、この状況の原因が見えた気がした。
一度留美と顔を合わせると、留美も同じことを考えていたらしくふたりはほぼ同時に苦笑いをした。
その後で、玲央菜は中央の女子に再度声をかける。
「…あの」
「ちょっとまってよ、今会議中だから」
「昼休みのことなら、たぶん勘違いだと思うよ」
「え!?」
中央の女子は、勢いよく玲央菜の方を向いた。
その顔は驚きに満ちあふれており、驚愕すらしているふうである。
「あ、あなた…なんでそれを」
「いや、思いっきり聞こえてるし…」
「そんなわけないでしょ、あたしたちヒミツの会議してたんだから! …で、なにが勘違いなの?」
「あ、えっと…」
玲央菜は、とりあえず『勘違い』の内容が知りたいらしい女子に、気恥ずかしいながらも説明をしていった。
「ボク、あの…さっきも言ったけど、いろいろ余裕なくて…それでクラスのみんなとも打ち解けられないってずっと思ってたんだけど、ちょっと考え方を変えようと思って」
「……」
「だから小テストの時に、テストの紙を持ってってくれた男子に『ありがとう』って言って…そういう小さいことから、まず始めてみようって話をしてたんだよ」
「その男子が高崎くんなんだけど」
「…あ、そうなんだ?」
「なにその反応…えっ?」
「えっ?」
「………」
玲央菜たちの間に、奇妙な沈黙が訪れる。
それはとても長く感じられ、実際『沈黙』の時間としてはそこそこ長かった。
その時間が10秒を超えようとした時、中央の女子はくるりと玲央菜に背を向け、行動を起こした。
なんと左の女子の頭に、固く握った拳を放ったのである。
「え!?」
玲央菜と留美は思わず声を出して驚いた。
だが中央の女子はそれに構わず、頭を押さえてうめく左の女子にがなり立てる。
「あんたまたやってくれたわね! 大恥かいちゃったじゃない!」
「カナミ~、いーたーい~」
「何が恋のライバル出現よ! 高崎くんに色目使ってるとか全然ないじゃないこの子!」
「だって~、そう思ったんだもーん」
「今日という今日は覚悟しなさい、ミーコ!」
そう言って、中央の女子はまたも拳を振り上げる。
その時だった。
それまで、まったく会話に参加していなかった右の女子が、素早く動いてその拳を止める。
彼女は無表情のまま、中央の女子にこう言った。
「…それ以上やったら、ミーコの頭えぐれる」
「えぐれやしないわよ! あたしどんだけ怪力なの!?」
「だって、カナミ怪力…あ」
「え?」
右の女子の視線が、ふと中央の女子の腕に向かう。
それに気づいた中央の女子も、自分の腕を見た。
拳を止めたのは右の女子だったが、彼女だけが止めたわけではなかった。
中央の女子の腕には、別の手が添えられている。
それは、玲央菜の手だった。
「ぐ、グーで殴るのは…ちょっと、やめてあげようよ」
「あ、あなた…!?」
苦笑しながら言う玲央菜に、中央の女子は驚きの表情になる。
右の女子も、まさかという顔をした。
「まさか、サヤカと同じスピードで、あたしの拳を止めるなんて…!」
「…初めて、見た」
「い、いや…そんなに速いわけでもなかったけど…」
玲央菜はそう言いつつ、中央の女子の腕から手を放す。
もう勢いは殺しているので、そこからわざわざ左の女子を殴ろうとはしないだろうと思っての解放だった。
やがて右の女子も手を放し、玲央菜にぺこりと頭を下げた。
それにならうように、中央の女子、左の女子も頭を下げる。
「…ごめんなさい。私たち、すごい勘違いをしてたみたい」
「ごめん、なさい…」
「ごめぇ~ん」
「あ、いや…」
3人に謝られて、玲央菜はあらためて苦笑した。
ようやく話が落ち着きそうだと思うと、自然と吐く息も深くなる。
要するに、3人の勘違いとはこういうことだった。
中央の女子『カナミ』は、『高崎』という男子生徒に想いを寄せている。
その『高崎』は、玲央菜が小テストの時に礼を言った男子生徒だった。
それまで、玲央菜はそういうことをまったくしなかったため、『カナミ』は玲央菜をライバルかもしれないと考えるようになる。
ただし、この時点ではまだ確信が持てなかった。
しかし昼休み、左の女子『ミーコ』が玲央菜と留美が顔を赤くしつつ話しているのを目撃し、それを『カナミ』に報告することで事態は急展開。
距離があったので話の内容はよくわからなかったが、恐らく恋の話略して恋バナをしていて、玲央菜が留美に『高崎』への想いをどうにか伝えたいと相談している…に決まっている、と『ミーコ』は報告した。
なぜなら、これまで留美以外のクラスメイトと会話らしい会話をほとんどしなかった玲央菜が、今日に限って『高崎』にアプローチしたのである。
それは間違いなく、告白への準備段階にちがいない…とも付け加えた。
それが今回の、『カナミ』の声かけ事案を生んだようである。
右の女子『サヤカ』は、とりあえずついてきたようだ。
「…ほぇー…」
話の全容を聞いて、玲央菜は思わず声を漏らした。
まさかそのようなことになっているとは、露ほども思わなかった。
「ホントごめん…あたし、マジで恥ずかしい」
カナミはそう言って、あらためて頭を下げた。
玲央菜はあわてて彼女に言う。
「も、もういいから、事情はわかったし…なんか、勘違いさせてゴメンってボクも思うし」
「いやほんとに、自分でもイヤな女だって思う…もし全部ホントだったとしても、だからってどういうつもりだとか言うのもおかしいしさ…」
「しょうがないよ、それだけ好きってことなら」
「…!」
玲央菜の言葉を聞いて、カナミは突然がばっと顔を上げた。
その勢いに玲央菜が驚いていると、彼女は真剣な目でこうつぶやく。
「柊さんって、いい人だね」
「え?」
「…うん、いい人」
「いい人だよね~」
サヤカとミーコもカナミに同調する。
すかさずカナミがその理由を語った。
「だってさ、こんな言いがかりつけられて、ホントなら殴り合いのケンカになったっておかしくないのにさ」
「い、いや、そこまでいくかなこれ?」
「いくに決まってんじゃん! あ、そうだ」
カナミはふと背筋をただし、玲央菜の前でまぶたを閉じた。
そしてなぜか歯を食いしばる。
「…?」
玲央菜には、カナミが何をやっているのかわからない。
首をかしげていると、サヤカが『通訳』した。
「…カナミは、殴ってくれって言ってる」
「え!?」
「…このままじゃ気がすまないから、せめて殴ってくれって」
「で、できないよそんなの…」
玲央菜は当然ながらためらった。
なぜなら、こんなことで人を殴ったりしたくはないし…
カナミは歯を食いしばっている。
つまりこれは顔面を殴れということだろう。
「いや無理だよ…」
そもそも殴りたくない上に、それに輪をかけて女性の顔面を殴る気にはならない。
玲央菜は完全に引いてしまって、少しカナミから離れた。
すると、謝ってから元気をなくしていたミーコが、意気揚々と腕を回す。
「柊ちゃん殴れないって! じゃーあたしが殴るね~」
ミーコは間髪入れずにカナミを殴ろうとする。
だがその拳はサヤカに止められ、さらにカナミからは反撃を食らった。
「…ミーコは殴っちゃダメ」
「そうよ! あんたが殴ったらあたし完全に顔ゆがむから!」
「うぐぐ~、カナミの顔面ボッコボコにするチャンスだったのにぃ~」
床に倒されたミーコは、悔しげにそう言った。
かなり物騒な言葉なのだが、言い方が極限まで軽いために深刻さは生まない。
そんな3人のドタバタ劇を見て、玲央菜は困惑するばかりだったが…やがて小さく微笑んだ。
「…え」
サヤカが驚きの声をあげる。
玲央菜がミーコのそばにしゃがみ、サヤカとカナミの手をそっとどけた。
そしてミーコを立たせ、制服についたほこりを払ってやる。
この行動にミーコも驚いていたが、すぐにニコニコと笑って玲央菜にこう言った。
「ヤバ~い、柊ちゃん超いい子ぉ~」
「いい子だ」
「…いい子ね」
カナミとサヤカもそれに続く。
玲央菜はミーコから離れ、そそくさと留美に近づいていく。
「じゃ、じゃあボクたち帰るから…また明日、ね」
「え? 玲央菜ちゃ…」
「おねがいたすけて」
とまどう留美の手を引いて、玲央菜はすぐさま教室を出た。
3人はそろって「あっ」と声をあげたが、その頃にはもうその視界にふたりはいなかった。
玲央菜はしばらく廊下を走り、角を曲がったところでその陰に身を隠した。
いきなり引っ張られた留美は、息を荒くしながら口をとがらせる。
「もぉ、玲央菜ちゃんってば…いきなり走り出すんだから」
「ゴメン、だってもうつきあいきれないよ…ついてきてない、よね」
陰から少しだけ顔を出して後ろをうかがう。
3人は教室から出てきていないようだった。
壁に背をつけ、玲央菜は胸をなでおろす。
「はぁ…どうにかふりきったぁ」
「ふふ、びっくりしたね」
「びっくりしたよ…まさかこんなことになるなんて思わなかった」
とりあえずの誤解は解けたようだが、また明日もあの3人に会うかと思うと、玲央菜の気持ちは晴れない。
ただ、嫌悪感だとかそういう深刻なものはなかった。
「大変だったけど…なんか『学校にいる』って感じは…したかも」
3人のドタバタした感じは、嫌いではなかった。
自分に被害が及ばない範囲では、ずっと見ていたいとも思った。
息が整ってきた留美は、玲央菜の横顔を見てそっと微笑む。
かと思うと、少しだけ意地悪な表情でこう言った。
「じゃあ、せっかくわたしをさらってきたんだし」
「…え?」
「サッカー部の練習、見に行こ!」
「えっ?」
玲央菜の返答を待たずに、留美は歩き出した。
いつの間にか手をしっかり握られているので、玲央菜は従うしかない。
「…えへへ」
だが、悪い気分ではなかった。
玲央菜はあえて隣には並ばず、留美に手を引かれながらグラウンドへと向かっていくのだった。
>episode67へ続く
→目次へ
玲央菜と留美は、初めて名前で呼びあった後、まるで初々しい恋人同士のように顔を赤くしながら教室へと戻った。
やがて午後の授業が始まり、授業が終わった後は掃除が始まる。
玲央菜は、いつものように留美と女子トイレに向かい、彼女をタイムキーパーにして掃除に勤しむ。
その後、帰りのホームルームを経て1日の授業がすべて終わった。
「れ、玲央菜ちゃん」
「あ…る、留美ちゃん」
たどたどしくふたりは名前を呼び合い、放課後の予定を確認しあう。
「わたし、サッカー部の練習見に行くけど…れ、玲央菜ちゃんはどうする?」
「あ」
玲央菜はここで思い出した。
留美に名前で呼ばれたことがあまりに衝撃的で吹っ飛んでいたのだが、留美にはサッカー部に想い人がいる。
結局今の今まで、その進捗を訊くことができずにいた。
玲央菜はいい機会だと思い、留美に尋ねてみる。
「ちょ、調子っていうか…ど、どんな、感じ?」
「…相変わらず」
玲央菜の問いに、留美は苦笑しながら答えた。
続けて、現状を説明する。
「クリスマス前だからかわかんないけど、練習見に来る女の子たちどんどん増えちゃって…」
「え、そうなの?」
「あの人だかりに突撃していく自信、正直…ない。あはは」
「…ボクも行こうか?」
「ううん、いい。ひいら…玲央菜ちゃん、お仕事の準備とかもあるんじゃない?」
「おうちの仕事は宿題してごはん食べた後だから、今はまだだいじょ…」
「柊さん、ちょっといい?」
留美と話している玲央菜に、誰かが声をかけてきた。
聞いたことがある声だと彼女が振り返ると、そこにはクラスメイトである3人の女子が立っている。
「…ボク? なに?」
玲央菜が不思議そうに尋ねると、中央に立っている女子が腰に手を当ててこう言った。
「どういうことなのか、教えてほしいんだけど」
「…どういう、こと…って?」
玲央菜には意味がわからない。
首をかしげていると、向かって左側にいた女子が、中央の女子に何やら耳打ちする。
耳打ちしたのは、玲央菜と留美が名前を呼び合って真っ赤になっているのを見ていた女子だった。
だが、玲央菜と留美が気づく前に去っていったので、ふたりは見られていることを知らない。
そして耳打ちされた女子は、玲央菜の目を真っ直ぐ見ながらこう言った。
「昼休み、ふたりで何か相談しあってたらしいじゃない」
「ひるやすみ?」
「もしかして、高崎くんのこと狙ってるんじゃないでしょうね」
「…高崎くん?」
何のことを言われているのか、玲央菜にはさっぱりわからない。
その反応を見て、中央の女子は何かを感じて左の女子に小声で尋ねる。
「ちょっと! なにあの反応、なんか全然わかってないっぽいんだけど?」
「あれ、おかしいなー? 絶対、ふたりで恋バナしてると思ってたんだけど」
あくまで小声なのだが、玲央菜たちとの距離が近すぎて全部聞こえている。
玲央菜はなんとなく、話の輪郭が見えてきた気がした。
彼女は、中央の女子に声をかけてみる。
「あの…ちょっと教えてほしいんだけど」
「なに?」
中央の女子は、すぐに玲央菜を見る。
その眼差しには芯が通っていて、意志の強さを感じさせる。
悪い言い方をすれば、キツい。
だが玲央菜もひるまず、女子にこう尋ねた。
「高崎くんって、そもそもだれ?」
「はァ?」
玲央菜の質問に、中央の女子は目をむいた。
そしてすぐさま、怒りの言葉を吐き出す。
「なに言ってんの? 高崎くんは高崎くんでしょ! あんたまさか、クラスメイトの名前も知らないとか言うんじゃないでしょうね!?」
「いや、その…ボク今までいろいろと余裕なくて、あんまりいろんなこと憶えてない、っていうか…」
「…え? なにそれ」
玲央菜の言葉に、中央の女子はいきなり語気を落とす。
明らかにいぶかしげな目で玲央菜を見た後、左の女子にまた小声で言った。
「なんか…ホントに知らないっぽいんだけど?」
「あれー? おっかしいな~」
「おっかしいな~、じゃないわよあんた。ホントにこの子、高崎くんのこと好きなの? 月島と恋バナしてたって、ホントに高崎くんのことなの?」
「そう言われると、ちょっとわかんないかも~」
左の女子はそう言って、ケラケラ笑いながら両手を頭の後ろで組んだ。
玲央菜はなんとなく、この状況の原因が見えた気がした。
一度留美と顔を合わせると、留美も同じことを考えていたらしくふたりはほぼ同時に苦笑いをした。
その後で、玲央菜は中央の女子に再度声をかける。
「…あの」
「ちょっとまってよ、今会議中だから」
「昼休みのことなら、たぶん勘違いだと思うよ」
「え!?」
中央の女子は、勢いよく玲央菜の方を向いた。
その顔は驚きに満ちあふれており、驚愕すらしているふうである。
「あ、あなた…なんでそれを」
「いや、思いっきり聞こえてるし…」
「そんなわけないでしょ、あたしたちヒミツの会議してたんだから! …で、なにが勘違いなの?」
「あ、えっと…」
玲央菜は、とりあえず『勘違い』の内容が知りたいらしい女子に、気恥ずかしいながらも説明をしていった。
「ボク、あの…さっきも言ったけど、いろいろ余裕なくて…それでクラスのみんなとも打ち解けられないってずっと思ってたんだけど、ちょっと考え方を変えようと思って」
「……」
「だから小テストの時に、テストの紙を持ってってくれた男子に『ありがとう』って言って…そういう小さいことから、まず始めてみようって話をしてたんだよ」
「その男子が高崎くんなんだけど」
「…あ、そうなんだ?」
「なにその反応…えっ?」
「えっ?」
「………」
玲央菜たちの間に、奇妙な沈黙が訪れる。
それはとても長く感じられ、実際『沈黙』の時間としてはそこそこ長かった。
その時間が10秒を超えようとした時、中央の女子はくるりと玲央菜に背を向け、行動を起こした。
なんと左の女子の頭に、固く握った拳を放ったのである。
「え!?」
玲央菜と留美は思わず声を出して驚いた。
だが中央の女子はそれに構わず、頭を押さえてうめく左の女子にがなり立てる。
「あんたまたやってくれたわね! 大恥かいちゃったじゃない!」
「カナミ~、いーたーい~」
「何が恋のライバル出現よ! 高崎くんに色目使ってるとか全然ないじゃないこの子!」
「だって~、そう思ったんだもーん」
「今日という今日は覚悟しなさい、ミーコ!」
そう言って、中央の女子はまたも拳を振り上げる。
その時だった。
それまで、まったく会話に参加していなかった右の女子が、素早く動いてその拳を止める。
彼女は無表情のまま、中央の女子にこう言った。
「…それ以上やったら、ミーコの頭えぐれる」
「えぐれやしないわよ! あたしどんだけ怪力なの!?」
「だって、カナミ怪力…あ」
「え?」
右の女子の視線が、ふと中央の女子の腕に向かう。
それに気づいた中央の女子も、自分の腕を見た。
拳を止めたのは右の女子だったが、彼女だけが止めたわけではなかった。
中央の女子の腕には、別の手が添えられている。
それは、玲央菜の手だった。
「ぐ、グーで殴るのは…ちょっと、やめてあげようよ」
「あ、あなた…!?」
苦笑しながら言う玲央菜に、中央の女子は驚きの表情になる。
右の女子も、まさかという顔をした。
「まさか、サヤカと同じスピードで、あたしの拳を止めるなんて…!」
「…初めて、見た」
「い、いや…そんなに速いわけでもなかったけど…」
玲央菜はそう言いつつ、中央の女子の腕から手を放す。
もう勢いは殺しているので、そこからわざわざ左の女子を殴ろうとはしないだろうと思っての解放だった。
やがて右の女子も手を放し、玲央菜にぺこりと頭を下げた。
それにならうように、中央の女子、左の女子も頭を下げる。
「…ごめんなさい。私たち、すごい勘違いをしてたみたい」
「ごめん、なさい…」
「ごめぇ~ん」
「あ、いや…」
3人に謝られて、玲央菜はあらためて苦笑した。
ようやく話が落ち着きそうだと思うと、自然と吐く息も深くなる。
要するに、3人の勘違いとはこういうことだった。
中央の女子『カナミ』は、『高崎』という男子生徒に想いを寄せている。
その『高崎』は、玲央菜が小テストの時に礼を言った男子生徒だった。
それまで、玲央菜はそういうことをまったくしなかったため、『カナミ』は玲央菜をライバルかもしれないと考えるようになる。
ただし、この時点ではまだ確信が持てなかった。
しかし昼休み、左の女子『ミーコ』が玲央菜と留美が顔を赤くしつつ話しているのを目撃し、それを『カナミ』に報告することで事態は急展開。
距離があったので話の内容はよくわからなかったが、恐らく恋の話略して恋バナをしていて、玲央菜が留美に『高崎』への想いをどうにか伝えたいと相談している…に決まっている、と『ミーコ』は報告した。
なぜなら、これまで留美以外のクラスメイトと会話らしい会話をほとんどしなかった玲央菜が、今日に限って『高崎』にアプローチしたのである。
それは間違いなく、告白への準備段階にちがいない…とも付け加えた。
それが今回の、『カナミ』の声かけ事案を生んだようである。
右の女子『サヤカ』は、とりあえずついてきたようだ。
「…ほぇー…」
話の全容を聞いて、玲央菜は思わず声を漏らした。
まさかそのようなことになっているとは、露ほども思わなかった。
「ホントごめん…あたし、マジで恥ずかしい」
カナミはそう言って、あらためて頭を下げた。
玲央菜はあわてて彼女に言う。
「も、もういいから、事情はわかったし…なんか、勘違いさせてゴメンってボクも思うし」
「いやほんとに、自分でもイヤな女だって思う…もし全部ホントだったとしても、だからってどういうつもりだとか言うのもおかしいしさ…」
「しょうがないよ、それだけ好きってことなら」
「…!」
玲央菜の言葉を聞いて、カナミは突然がばっと顔を上げた。
その勢いに玲央菜が驚いていると、彼女は真剣な目でこうつぶやく。
「柊さんって、いい人だね」
「え?」
「…うん、いい人」
「いい人だよね~」
サヤカとミーコもカナミに同調する。
すかさずカナミがその理由を語った。
「だってさ、こんな言いがかりつけられて、ホントなら殴り合いのケンカになったっておかしくないのにさ」
「い、いや、そこまでいくかなこれ?」
「いくに決まってんじゃん! あ、そうだ」
カナミはふと背筋をただし、玲央菜の前でまぶたを閉じた。
そしてなぜか歯を食いしばる。
「…?」
玲央菜には、カナミが何をやっているのかわからない。
首をかしげていると、サヤカが『通訳』した。
「…カナミは、殴ってくれって言ってる」
「え!?」
「…このままじゃ気がすまないから、せめて殴ってくれって」
「で、できないよそんなの…」
玲央菜は当然ながらためらった。
なぜなら、こんなことで人を殴ったりしたくはないし…
カナミは歯を食いしばっている。
つまりこれは顔面を殴れということだろう。
「いや無理だよ…」
そもそも殴りたくない上に、それに輪をかけて女性の顔面を殴る気にはならない。
玲央菜は完全に引いてしまって、少しカナミから離れた。
すると、謝ってから元気をなくしていたミーコが、意気揚々と腕を回す。
「柊ちゃん殴れないって! じゃーあたしが殴るね~」
ミーコは間髪入れずにカナミを殴ろうとする。
だがその拳はサヤカに止められ、さらにカナミからは反撃を食らった。
「…ミーコは殴っちゃダメ」
「そうよ! あんたが殴ったらあたし完全に顔ゆがむから!」
「うぐぐ~、カナミの顔面ボッコボコにするチャンスだったのにぃ~」
床に倒されたミーコは、悔しげにそう言った。
かなり物騒な言葉なのだが、言い方が極限まで軽いために深刻さは生まない。
そんな3人のドタバタ劇を見て、玲央菜は困惑するばかりだったが…やがて小さく微笑んだ。
「…え」
サヤカが驚きの声をあげる。
玲央菜がミーコのそばにしゃがみ、サヤカとカナミの手をそっとどけた。
そしてミーコを立たせ、制服についたほこりを払ってやる。
この行動にミーコも驚いていたが、すぐにニコニコと笑って玲央菜にこう言った。
「ヤバ~い、柊ちゃん超いい子ぉ~」
「いい子だ」
「…いい子ね」
カナミとサヤカもそれに続く。
玲央菜はミーコから離れ、そそくさと留美に近づいていく。
「じゃ、じゃあボクたち帰るから…また明日、ね」
「え? 玲央菜ちゃ…」
「おねがいたすけて」
とまどう留美の手を引いて、玲央菜はすぐさま教室を出た。
3人はそろって「あっ」と声をあげたが、その頃にはもうその視界にふたりはいなかった。
玲央菜はしばらく廊下を走り、角を曲がったところでその陰に身を隠した。
いきなり引っ張られた留美は、息を荒くしながら口をとがらせる。
「もぉ、玲央菜ちゃんってば…いきなり走り出すんだから」
「ゴメン、だってもうつきあいきれないよ…ついてきてない、よね」
陰から少しだけ顔を出して後ろをうかがう。
3人は教室から出てきていないようだった。
壁に背をつけ、玲央菜は胸をなでおろす。
「はぁ…どうにかふりきったぁ」
「ふふ、びっくりしたね」
「びっくりしたよ…まさかこんなことになるなんて思わなかった」
とりあえずの誤解は解けたようだが、また明日もあの3人に会うかと思うと、玲央菜の気持ちは晴れない。
ただ、嫌悪感だとかそういう深刻なものはなかった。
「大変だったけど…なんか『学校にいる』って感じは…したかも」
3人のドタバタした感じは、嫌いではなかった。
自分に被害が及ばない範囲では、ずっと見ていたいとも思った。
息が整ってきた留美は、玲央菜の横顔を見てそっと微笑む。
かと思うと、少しだけ意地悪な表情でこう言った。
「じゃあ、せっかくわたしをさらってきたんだし」
「…え?」
「サッカー部の練習、見に行こ!」
「えっ?」
玲央菜の返答を待たずに、留美は歩き出した。
いつの間にか手をしっかり握られているので、玲央菜は従うしかない。
「…えへへ」
だが、悪い気分ではなかった。
玲央菜はあえて隣には並ばず、留美に手を引かれながらグラウンドへと向かっていくのだった。
>episode67へ続く
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