episode25 放課後デート
天秤坂駅ビル、通称ライブラ。
玲央菜は留美につれられて、この場所に初めてやってきた。
「ほぇー…」
雑貨や服を売る店が立ち並び、そのまわりには同じ制服を着た男女がいる。
玲央菜の目に、それは新鮮に映った。
「ここがライブラ…」
「あれ? 柊さん、ここ来たことなかったの?」
留美が驚いた顔で玲央菜を見た。
その反応に、玲央菜は恥ずかしそうに頭をかく。
「う、うん…ほら、呼び方も知らなかったし…」
「あ…」
留美は、思わず口に手を当てて声を出す。
直後、申し訳なさそうに玲央菜に謝った。
「ご、ごめんなさい…柊さん、いろいろ大変だったもんね」
「え!? あ、ああ、いやその…そういうわけじゃなくて」
「…え?」
「ボク、これまでは…なんていうか」
玲央菜の顔は赤い。
不思議そうに自分を見つめる留美を、まっすぐ見ることができない。
人差し指で頬を軽くかきながら、ポツリと言う。
「女の子らしくするの、恥ずかしいって思ってたから」
「えっ…?」
「あ、ちょっと待ってて! お金おろしてくるから」
「あっ、柊さん?」
とまどう留美を置き去りにして、玲央菜は小走りでATMコーナーへと向かった。
初めて来た場所ではあるが、案内板を見れば場所の見当はつく。
夕方前のATMコーナーには、あまり人はいなかった。
玲央菜は3台並んでいるうちの左側へ向かい、カードを入れる。
「…えっと…」
これまでメイドとして働いた分の給料は入っているようだが、残高がどれほどなのかは予想もつかない。
ただ、それを確認するのは少し怖い気持ちもあった。
「長い時間働いてるわけじゃないもんね…でも、3000円くらいはあるといいな…」
そんな願いを込めて、残高照会をしないまま3000円を引き出そうとする。
特にエラーが出ることもなく、千円札が3枚出てきた。
「よかった…」
ホッとした彼女は、留美を残した場所へまた小走りで戻る。
そして笑顔でこう言った。
「ごめんね、おまたせ!」
「おかえり。ねえ柊さん、どこか行きたいお店とかある?」
留美は、先ほどまでの話を忘れたようだった。
そのさりげない気づかいが、玲央菜は嬉しい。
ただ、初めて来た玲央菜には、ライブラにどういう店があるのかわからない。
それを言おうとすると、留美が小さなパンフレットを広げて見せた。
「ほら、みてみて」
階層と店を記しただけのパンフレットだが、近くに天秤坂高校があるのを意識しているのか、デザインはポップなものになっている。
玲央菜は留美の隣に立ち、一緒にそれを見た。
彼女は店の名前より、まず店の種別が気になったようだ。
「うわー…服、服、雑貨、雑貨…ショップはほとんどそういう感じなんだね」
「うん。わたしもあんまり詳しくないんだけど、お店によっていろいろカラーがちがうみたい」
「そうなんだ…」
説明を受けつつ店の一覧を見るのだが、どの店がどういうカラーを持つのか、そこまではパンフレットに載っていないためわからない。
一通り見終わった後で、玲央菜は留美にこう尋ねた。
「えっと、月島さんがいつも行ってるお店ってどこ?」
「わたしはね、えーっと…ここ」
留美が指差したのは、3階にある雑貨屋だった。
ふたりは結局、そこに向かうことにした。
そしてやってきたのが、雑貨屋「リェス・ファミリア」。
玲央菜は、店の前に来ただけで驚かされることとなる。
「はっ…!?」
「どうしたの? 柊さん」
「く、くま…」
玲央菜が指差すので、留美がそちらを見る。
そこには、豪奢な椅子に座った大きな熊のぬいぐるみが、右手を挙げてあいさつをしていた。
王様なのか、冠もかぶっている。
ただそれはとても小さく、熊の大きさとはバランスが取れていない。
「ああ、その子はここのマスコットなんだって。いつもお店の前にいるんだよ」
「か、か、か、かわいい…」
「中にもいっぱいかわいいのあるよ。見てみよ」
「う、うん…!」
玲央菜は、ぬいぐるみからどうにか目を離し、留美とともに店内へと入った。
そして目にするかわいい雑貨たち。
「ほっ?」
どこか間の抜けた、かわいいうさぎがデザインされた手帳。
「ほぉっ?」
いじわるな顔なのに憎めない、狼がプリントされたペン。
「ほぉぉっ?」
小さな鳥の巣をモチーフにした上にヒナたちも彫り込まれた、かわいらしい小物入れ。
「ほぉぉおあああああ??」
かわいいものだらけの雑貨たちに、玲央菜は目を回し始める。
奇声をあげる玲央菜を見て、留美は苦笑を禁じ得ない。
「柊さん、だいじょうぶ?」
「こ、こ、こんなかわいいものだらけの世界があるなんて…!?」
「他の雑貨屋さんにも、かわいいのいっぱいあるよ」
「な、なんだって…!? こんなかわいいのが、他のお店にも?」
「こことはちょっとデザインとかちがうけど、かわいいのは多いかな。ほら、うちの高校が近いから、女子高生をねらってるのかも」
「な、なるほど…ほぉああ」
玲央菜はまた店内で新たな雑貨を見つけては、奇声をあげる。
それをいぶかしむ周囲の客に、留美は苦笑しつつ「すいません」と謝って回った。
その後、ふたりは5階にあるカフェで一息つく。
テーブルについた直後、玲央菜は深々と留美に頭を下げた。
「月島さん、ゴメン…ボク、ああいうとこ初めてでおかしくなっちゃって」
「テンション上がっちゃったんだよね。わかるわかる」
「お店まるごとかわいいだなんて…なんかズルい」
「ズルい? あはは」
「だってあんなの、絶対にどれか買っちゃうよ…」
玲央菜はそう言いながら、ひざに乗せている袋を見る。
彼女はうさぎの手帳を買っていた。
「手帳なんてつけたことないのにさ」
「なんでガッカリしてるの?」
留美は、玲央菜の顔をまじまじと見つめながら尋ねる。
ここで、カフェの店員がグラスを2つ持ってきた。
「おまたせしましたー、アイスカフェラテとアイスキャラメルマキアートでーす」
「あ、ありがとー」
「どうぞごゆっくり」
店員は頭を下げて去っていった。
留美はもう一度、玲央菜に問い直す。
「柊さん、どうしてガッカリしてるの?」
「だってさー…」
袋から手帳を取り出しつつ、玲央菜はこう続けた。
「全部ほしいのに、結局この子しか買えなかった」
「あはは」
留美は思わず笑う。
その笑い声に、玲央菜も苦笑する。
「ボクもやっぱり女の子なのかな」
「柊さん、かわいいと思う」
「へ!?」
留美からの不意打ちに、玲央菜は驚く。
その時に手がグラスに当たり、それを倒しそうになる。
「おっとっとっ」
「あ、あぶない」
玲央菜が早々に片手で受け止め、留美がそれに添えるように手を伸ばした。
グラスはどうにか倒れずに、玲央菜の手によって元に戻る。
「はあ…」
ふたりは安心して、同時にため息をついた。
その後で、玲央菜は手帳を袋にしまった。
「ごめんね、びっくりした」
「わたしも…」
「かわいいって、手帳のことだよね。そうなんだよ、この子かわいいんだ…いっぱいいる中で、すっごい悩んで選んで…」
「ううん、柊さん『が』かわいいと思う」
「…えぇ?」
留美の言葉が、玲央菜には信じられない。
「ないない」と手を振りつつ、こう返した。
「ボクがかわいいとかないって…それを言うなら月島さんだよ。あんなかわいいお店知ってるし」
「あはは…あのお店、けっこう有名だからみんな知ってるよ。それに、わたしはかわいくなんてない」
「じゃあ、いっしょだね」
「それはそれで失礼かな?」
「ぷっ」
吹き出すのは玲央菜が先だったが、笑うのは同時だった。
留美との放課後は、笑顔と輝きに満ちあふれていた。
カフェでしばらく話した後、玲央菜は留美と別れて家に帰る。
そしてメイド業と夕食をすませ、部屋に戻った。
「…うさぎー…」
ベッドに寝転び、買ってきたばかりのうさぎの手帳を見ている。
ページをめくると、右下にうさぎがプリントされていた。
それは歩いたり走ったり、たまに料理をしていたりする。
その姿がかわいらしく思えて、玲央菜は自然と笑顔になっていた。
だがふと、その顔から笑みが消える。
「ボクも、女の子らしくしてていいのかな…」
手帳を胸の上に置き、右手で髪の毛をいじる。
かと思うと、体を起こして手帳を机の上に置く。
その後で、自分の仕事服であるメイド服を見た。
つい先ほどまで着ていたが、自分の体から離れるとなぜだか別物に見える。
「月島さんも…紫苑さんも、とっても女の子っぽい…紫苑さんは『女の人』だけど」
2学期が始まって一気に仲良くなった留美と、夏休みにさんざんバカメイド呼ばわりしてきた紫苑を思い出す。
どちらも、自分にはないものを持っているような気がして、自然とため息が出た。
「月島さんはかわいいって言ってくれたけど、そんなわけないし…月島さんの方が断然かわいいし…」
そっと自分の胸へ手をやる。
「紫苑さんは、まあまあな大きさって言ってくれたけど…ブサイクブサイクって言ってたし。やっぱりブサイクだよね…」
そう言うと、玲央菜は両手をだらりと下げ、頭も同時に垂れてまた大きなため息をつく。
力なく、ベッドに背中から倒れ込んだ。
「…女の子っぽくすれば…ボクも少しはかわいくなるのかな」
天井を見つめる。
少しだけ、顔が熱くなっているのがわかる。
「かわいくなったとして…ボクはどうしたいんだろう」
どちらかといえば、かわいくなる努力よりも掃除のタイムを縮める努力の方が、玲央菜としてはやりがいを感じる気がしている。
気がしている、というのは、まだ彼女がかわいくなる努力というものをしたことがないためであり、それをしたところで一体どうなるものなのかという疑問もあった。
「……」
ごろりと寝返り、右側を下にしてかるくうずくまる。
まぶたをゆっくりと閉じた時、その闇に天馬の顔が浮かんだ。
「……!」
思わず、素早くまぶたを開く。
頬がまた熱くなっていくのを感じる。
首を小さく振った。
「ダメだよ…ボクは子どもだし、紫苑さんの言うとおりブサイクだし」
天馬はすぐそばにいる。
同じ家にいる。
部屋を出て大声で呼べば、どこにいても彼に聞こえるだろう。
そんな距離にいる。
だが、玲央菜には彼を呼ぶことはできない。
「でも、もう一度だけ…あのにおいを…」
続きを言いかける。
この時、なぜかすうっと顔の熱が引いた。
「…ボク、ヘンタイみたいなこと言ってないか…?」
その表情は、困惑に濁る。
三度目の大きなため息をついた時、彼女は何も考えず寝る決意をした。
「…く…!」
天馬の表情が苦悶に歪む。
彼は右手で、自らの左腕を押さえつけていた。
左腕は椅子の肘かけにベルトで固定されている。
その上で右手を使って押さえつけている状態だった。
左手は、彼の意に反して脈動している。
筋肉が盛り上がり、太い血管だけでなく網目状の細い血管までもが、鮮明に浮き上がっていた。
「天馬さま」
そこへ榊が、注射器を持ってくる。
彼は天馬にそれを渡そうとしたが、天馬が右手を使って左腕を押さえつけているのを見て驚いた。
「これは…!」
「どうやら…時々、左腕だけ悪魔化させて力を利用してたのが…うっ、マズ、かっ……うぐおっ」
「…失礼いたします!」
榊はそう言って、天馬の左腕を押さえつけつつ注射針を刺した。
迷うことなく薬液を注入していく。
それに気づいたのか、左腕はさらに強く脈動し始めた。
「くうっ!」
「天馬さま、今しばらく! 今しばらくの辛抱を…!」
榊の額が汗にまみれる。
薬液を注入しながら、彼も全力で天馬の左腕を押さえつけていた。
「うううっ、くうぉおおお…!」
「もう少し、もう少し…!」
榊は、呪文を唱えるかのように何度も「もう少し」と言った。
その間に、薬液は少しずつ天馬の左腕に注入されていく。
そして、すべてを注入し終えた時、天馬の左腕は動きを止めた。
筋肉の盛り上がりも収まり、浮き上がっていた血管は太いものだけになる。
「…はあ…」
天馬と榊は同時に大きく息をついた。
その後で、天馬は榊から消毒用の脱脂綿を受け取りながら、椅子の前方にある立体映像を見た。
そこには急激に上へ伸びる折れ線グラフが描かれており、その横に数値が出ている。
「…18万…だと!」
天馬と榊は、その数値に目を見張った。
数値はどうやら、以前に切り取られた肉片を計測していたものと同じもののようだった。
「……」
「………」
天馬と榊は、言葉を交わさない。
脱脂綿で注射痕を押さえつけていた天馬だったが、やがて彼はそれを不自然なまでに大きな動作で、汚物入れに投げ込むのだった。
>episode26へ続く
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