【本編】くろす+ろォド 第18幕 危機:急 | 魔人の記

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ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

第18幕 危機:急


「黒須さま…!」

タマは、悲痛な面持ちで黒須を見つめている。
彼の体は、空いている客室のベッドに寝かせられていた。

その前に座るタマは、両手を組んで彼の回復を必死に祈っていた。
紗織はそんな彼女を見て、それから黒須の姿を見やる。

「……」

『ケガレの外皮』に覆われたままの黒須は、全く動かなかった。
呼吸をしているのかどうかさえもわからないほど、彼の体は動きを止めていた。

デェダラボッチを撃破した後、黒須は潔師の結界から戻ってきたのだが…
すぐに倒れてしまい、ふたりでようやくこの部屋に寝かせたという状況だった。

タマが銀牙によって囚われていた部屋が、ふたつ隣にある。

しかしそこは激戦の影響で壁が壊れてしまっているため、そこから少し離れたこの部屋に黒須は寝かされていた。

「…薬を飲ませるわけには…いかないのか」

「……はい」

タマは、そう言ってうなずいた。
黒須から目を離さないままで、紗織にこう説明する。

「薬を使うと、黒須さまの中の『ケガレ』が力を失ってしまいます…今、黒須さまがどうにか生きているのは、『ケガレの力』が生命維持装置のような役割を担っているからこそなんです」

「『ケガレ』すべてが力を失うわけではない、としてもか」

「…それだけ、ギリギリの状態なんです」

「ぬぅ……」

紗織は唇を噛む。
『ケガレの力』が黒須を生かしているということが、いいことばかりではないのを知っているからだ。

「…では、今も黒須は…」

「はい、戦っています。『ケガレ』と…」

『ケガレ』は、黒須の体を生かすためにその力を使っているようだ。
それは同時に、黒須の体をすべて乗っ取る最大の好機でもある。

タマと紗織には、打つ手がなかった。

薬や潔師の術を使えば『ケガレ』が力を失って黒須が死に、タマが『ケガレの力』を使えば、『ケガレ』が力を得て黒須の体すべてを乗っ取ってしまう。

「黒須さま…! どうか…戻ってきて…」

妖狐であるタマが、何もできずに、しかも祈るようなことしかできないのはそういう理由からだった。

「くそ…!」

紗織はこの状況でじっとしていることに耐え切れず、部屋を出た。
タマは一瞬だけそちらを見たが、彼女が出ていったのだと知るとまた黒須に視線を戻した。

「黒須さま…!」

呼びかけるが、黒須は何も言わない。
ただじっと、ベッドの上に横たわっている。

「黒須さま…わたしイヤですよ…? このまま、黒須さまがいなくなるなんて、わたし…イヤですからね…」

そう言いながら、彼の手に触れようとする。
しかし、彼女の手は途中で止まった。

今、『ケガレの外皮』に包まれた黒須に触れれば、彼女が持つ『ケガレ』が黒須を消してしまうかもしれない。

そう思ったのだ。

「……黒須さま…」

彼女はもう一度、両手を固く組んで祈る。
何もできないとわかっていても、今は黒須の前から離れたくはなかった。

「……! ………!」

祈り続けていると、ドアの向こうで紗織が何か叫んでいるのが聞こえてくる。
耳をすませてみると、どうやら銀牙とタヨリを探しているようだ。

自分も行くべきだろうかと少し考えたが、すぐにそれは否定された。

もはや銀牙が敵として紗織を襲うことはありえないと思ったし、とにかく今は、黒須のそばにいたかった。

「黒須さま…」

だから彼女は動かなかった。
黒須を見つめ、あるいはまぶたを閉じ、必死に祈り続ける。

「どうか…どうか早く帰ってきて…!」 

小洒落た言い回しも、何も浮かばなかった。
彼女はただひたすらに、自らの願いを口にし続けるのだった。


「銀牙! タヨリ! どこにいる!」

紗織は、洋館の中を歩き回っていた。
銀牙とタヨリを探している。

彼らは洋館出入口すぐにあるホールにいたはずなのだが、黒須を連れ帰った時にはそこから姿を消していた。

この時は、まず黒須を安静にすることが大事だと考えたため、そのことを特に考えることもなかった。

「力を貸してもらいたい! 黒須がとても危険な状況だ!」

だが今、自分たちに打つ手がないのを思い知り、とにかく誰でも役立ちそうな者から話を聞きたかった。

そしてそんな時に限って、その相手は見つからない。

「どこに行ったのだ…? まさか逃げたわけでもないだろうが」

潔師、そして人間である自分を見下し、自らを大妖怪と言ってはばからない銀牙が、この状況でタヨリとともに逃げ出すとは考えられなかった。

では一体どこへ行ったというのか?
彼女は2階から1階に下り、彼らを探し始める。

と、ここで雲龍斎たちがようやく洋館に到着した。

「さ、紗織…!」

「!」

呼びかけられて振り向くと、そこには潔師たちを従えた雲龍斎がいた。
彼女は思わず笑顔になり、そちらへ駆け寄る。

「お祖父さま! ご無事で何よりです!」

「面目ない、わしらはずっと幻惑の中で戦っておったのじゃな…その幻惑の主という『タヨリ』が、すべて教えてくれたのじゃ」

「お体に異変は? 皆も?」

「大丈夫じゃ、少し疲れた程度でな…それより、幻惑のひとつも破れず戦いに参加できなんだことが、悔やまれて悔やまれて…」

「それは気になさらないでください! 仕方のないことだったのです」

紗織はそう言った後、ふと彼らにこう質問をした。

「そういえば、お祖父さまたちは銀牙とタヨリを見ませんでしたか?」

「いや…誰も見ておらんが」

「…そうですか」

(ということはやはり、外には出ていない…ということか)

湖への道は洋館が終着点であり、そこへは道が一本しかない。
銀牙たちが洋館から離れた場合、雲龍斎たちと会っていなければおかしいのだ。

「…何か、あったのか?」

雲龍斎が尋ねてくる。
紗織はハッと我に返り、彼にこう言った。

「詳細はあとでお話ししますが…今、私は銀牙とタヨリを探しているのです。この洋館の中にいるはずなのですが、まだ見つからなくて…」

「そうか、そういうことなら人数は多い方がいいじゃろう。わしらも手伝おう」

「そうしていただけると助かります…あ、ただし潔師の術は使わないでください」

「なに? どういうことじゃ?」

「それも後で説明しますが…今は少し、繊細な状況なのです」

「ふむ…わかった。では特別なことは何もせずに探すとしよう」

「助かります」

「いやいや、この程度…お前さんたちが戦っていたことに比べれば、蚊に食われたほどですらないわい」

雲龍斎はそう言って、潔師たちとともに洋館の中を探索し始めた。
紗織は彼らについていくことはせず、今まで探索したことのない場所へと向かうことにした。

その場所とは食料庫である。
キッチンに隣接したその倉庫は、食材を保管しておくための場所だった。

普通の家では考えられないが、大人数でパーティーをする時などはこの場所に大量の食材を保管して、献立に合わせてキッチンに運び出して使う、という方法がとられる。

橘の者としてそういったパーティーにも参加してきた紗織にしてみれば、それは特別な場所というわけではなかった。

しかしだからこそ逆に、見落としていた場所でもある。

「……」

食料庫に入り、照明をつける。
もはや洋館は人間の管理を離れて銀牙のものになっているため、人間用の食料はなにもない。

林立する棚の間を歩きながら、自らの足音に注意する。
なぜか彼女は、この場所に入ってから奇妙な胸騒ぎを感じるようになっていた。

(あまりドタバタするべきではない…そういう感じが、ある)

そして食料庫の一番奥を見た時、その胸騒ぎに意味があったことを彼女は知る。

(あれは…!)

そこには、床の一部が扉となっている場所があった。
今そこは開かれており、下へ下りるはしごが見えている。

明らかに、何かありそうな雰囲気だった。

「……」

しかし紗織は急がない。
周囲に気を配り、ゆっくりとはしごへ向かう。

その時だった。

「ひやああああああッ!」

「!」

突然の奇声。
そしてはしごから誰かが駆け上がってくる。

紗織はすばやく構えをとり、向かってきた何者かに抜刀術で攻撃をしかけた。

「ああっ…」

紗織に向かってきた者は、あっけなくやられてしまう。
血しぶきをまき散らし、その場に倒れた。

彼女は、その血の色を見て思わず叫ぶ。

「なっ、人間だと!」

血を払って日本刀をしまい、すぐさま倒した相手に駆け寄る。
顔を隠している仮面をはぎ取ると、そこには初老の男の顔があった。

「…誰だ…?」

「黒須本家の、裏切り者だ」

「…!」

はしごの下から、聞いた声がする。
それは銀牙の声だった。

「朔の里にある膨大な『ケガレ』…そのすべてを我が物とすることに成功した私は、玉藻を取り戻す算段を考えていた。その時に近づいてきたのが、その男というわけだ」

「…黒須本家に、妖怪と通じる者がいたというのか」

「別に、黒須本家に限ったことではない。橘の家も、あまり状況は変わらんよ…金さえ積めば裏切るという人間は、どの界隈にもいるものだ」

「………」

「力には自信があるが、あいにく人間同士の関係だのには疎いものでな…黒須をうまく出し抜くには、そやつの協力が必要だった」

「仲間を…私に殺させたのか」

「仲間ではない。人間などが、私の仲間になることはない。ヤツはただの駒だ…駒をどう捨てようと、それは私の勝手…そうだろう?」

「……」

銀牙の冷たい言葉に、紗織は絶句する。
しかしここで、タヨリが興奮気味に話に割って入ってきた。

”カカカカカッ! 銀牙さまはこうおっしゃっているが、あの男を殺させたのはむしろ、お前たちにすまないと思っているからなのだぞ!”

「…おい、タヨリ」

”銀牙さまは妖怪側の黒幕であらせられるが、あの男はいわば人間側の黒幕! ヤツを野放しにしておけばきっと、もっと大変なことが起きたに違いないのだ! それを始末させてやったこと、ありがたく思うべきだぞ!”

「黙れタヨリ…何を言っている」

”わかったか正統潔師よ! 銀牙さまは誇り高いお方! お前たちごときが、簡単に『悪い存在だ』などと判断できるような存在ではないのだ! そこのところをよーく肝に銘じておくのだな!”

「タヨリ! いい加減にしろ!」

銀牙はたまらずタヨリに激昂する。
それでようやく、鶏の妖怪は静かになった。

そのやり取りがどうにもおかしく、紗織は思わず笑ってしまう。

「なんだ…お前、実は私たちに悪いと思っているのか」

「黙れ潔師。お前ごときが、わかったような顔をするんじゃない…それより、そこから下りてこい。お前が探していたものを見せてやる」

「なに…?」

「裏切り者を殺させてやったんだ、罠でないことを証明するには充分だと思うがな…早くしろ」

「……」

銀牙の言い方に妙なおかしさを感じつつも、彼女は「探していたもの」が何なのか気になり、はしごを下りていった。

食料庫の地下は、ひんやりとしていた。

長期に保存すべきものや、ワインなどを貯蔵するために作られた場所で、エアコンを使わずとも温度が一定に保たれている。

そして紗織は、その奥に「探していたもの」を、この地下から伸びる通路の先でついに見つけた。

「これは…!」

壁にくっついた状態で横たわっているひとりの男。
粗末な布を体にかけられているが、寒さで震えている。

「お…お父さま!!」

彼女は思わず叫び、そちらへ駆け寄った。
呼ばれた側も声に気づき、彼女を見る。

「さ…紗織か…」

それは紗織の父親である龍一だった。
紗織は彼の前にひざまずき、その顔をじっと見る。

「ああ、お父さま…ずいぶんとやせましたね…」

「あ、ああ…」

龍一はなぜか紗織から目を逸らす。
そこへ、銀牙たちが近づいてきた。

「その男、お前の父親だそうだが…ここに連れてくる時は苦労したぞ。なにせ、コンクリートで体を固められていたからな」

「な、なに?」

銀牙の言葉に紗織は驚き、龍一と銀牙を交互に見る。
龍一は、相変わらず紗織の方を見ない。

銀牙は言葉を続けた。

「裏切り者の情報によると、その男は特殊な力を持っていたようだな? 言葉で人を洗脳する力…それは、私がもっと多くの人間を食うために役立ちそうな力だった」

「お父さまの力…そういえば、黒須もそんなことを…」

紗織は、自分を龍一に会わせようとしなかった黒須の言動を思い出す。
そして、龍一の体をコンクリートで固めた者が誰か、ということにも気付いた。

「黒須がやったのか、お父さまの体をコンクリートで固めたのか?」

「そうだ。そこそこの期間、そのような状況だったのでな…見ての通り、その男は今やまったく自信というものを失ってしまった。黒須を怒らせれば自分がどういう目に遭うか、というトラウマを植えつけることに成功したというわけだ」

「…お父さま…」

「……す、すまなかったな、紗織…」

「……」

力なく謝る龍一に、紗織は悲痛な表情を見せる。
しかしすぐに、彼女も彼に謝った。

「いいえお父さま、私こそ申し訳ありませんでした。あなたを諌めることができる娘であったなら、あなたをこんな目に遭わせることもなかったでしょうに」

「……あ、ああ…うん…」

今や龍一はすっかりおどおどしてしまって、元潔師たちを率いてクーデターを起こした当時の覇気など微塵も感じられない。

そのことは紗織の胸を締め付けるのだが、しかしふと思った。
銀牙の方を向き、その思いをぶつけてみる。

「…だが、なぜ…今になってお父さまの居場所を?」

「フン…これだから人間は頭が悪いというのだ」

銀牙はいら立った表情で鼻を鳴らす。
タヨリへあごをしゃくり、説明させた。

タヨリは、銀牙の役に立つチャンスが来たと喜び、紗織に説明を始める。

”潔師よ、これまで銀牙さまがおっしゃったことをよーく思い返してみるといい! お前の父親が持つ能力は、銀牙さまがほしいと思ったほどの力なのだ”

「人間を…言葉で洗脳する能力、だな? それは銀牙が人を食うために必要としたのだろう? それと私の質問と、一体何の関係があるのだ?」

”そう、お前はそこがわかっていない! いいか、よく聞け…言葉で洗脳する能力ということは、その男の言葉で『状況が劇的に変わる』ということなのだ”

「…それが、どうしたのだ?」

”あああああもう! お前鈍いな! 本当に正統潔師か? 頭悪いぞ!”

「う、うるさい…! どういうことなのか、はっきり言わなければわからない!」

”では、はっきりと教えてやろう”

そしてタヨリは、紗織に告げた。
告げた言葉が、彼女の心を「劇的に変える」。


「タマ!」

そして彼女は、黒須とタマがいる部屋へ戻ってきた。
龍一を連れて戻ってきた。

「…え? 龍一…さま?」

タマは、なぜ紗織が龍一を連れて戻ってきたのか、そもそも龍一がどこにいたのか…など、さまざまなことが一気に頭に湧き出して、きょとんとしている。

その間に、紗織は龍一を無理やり引っ張り、黒須のそばに立たせた。

「さあ、お父さま!」

「あ、ああ…」

黒須のそばに立たされた龍一は、戸惑いながらうなずく。
そして、ベッドに寝かされた黒須を見た。

「……」

龍一と黒須には、少しばかり複雑な因縁がある。

方や将来を嘱望されない正統潔師候補、方や史上最年少で史上最強と謳われた正統穢師候補。

そして、ドロップアウトした龍一とは違い、黒須は正統穢師となって今も職務を果たしていること。

さらに…恐らくこれが一番深刻であろうと思われるが…龍一の妻である美紗と黒須が、密かに通じ合っていたこと。

橘本家の外で子どもを何人も作ってしまった龍一が言えた義理ではないのだが、嫉妬や怒りというものは理屈ではない。

娘である紗織をそそのかし、橘本家でクーデターを起こしたことが、それと全く関係がないかといえば…それは怪しいのだ。

クーデターは結局黒須に阻まれ、龍一自身は彼に捕らえられてその体をコンクリートで固められるという、トラウマを植えつけるための拷問を強いられたというのもある。

「………」

それほど因縁のある相手が、今自分の目の前で無防備に寝ているのだ。
龍一の心に、何か不穏な思いが芽生えても不思議ではない。

不思議ではないのだが…
充分に打ちのめされた心はもはや、彼と戦うことを望んではいなかった。

そして龍一は、黒須に向かってこんな言葉をかける。


「お前は、『ケガレ』に負けることなく元の姿に戻る」


それが、龍一の最後の「洗脳」だった。

「…ああっ!」

タマは思わず声をあげる。
黒須の体を包んでいた『ケガレの外皮』が瞬時に解除され、人間の体があらわになった。

「黒須さま…黒須さまっ!」

タマは思わず、彼に抱きついた。
力の限り、その体にしがみついた。

「……」

龍一は、そんなタマの姿をじっと見つめている。
すると、後ろから服を軽く引っ張られた。

振り返ると、目の前に紗織がいる。
彼女は瞳にうっすら涙をためながら、彼にこう言った。

「ありがとうございます…お父さま」

「…気に…しなくて、いい」

龍一は静かにそう言って、彼女の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
そして黒須とタマを残し、紗織とともに部屋を出ていく。

こうして、デェダラボッチの出現にまで及んだ戦いは、ようやく幕を閉じた。

「黒須さまあっ! 黒須さまあああああああっ!」

「…うるせーよ、ばーか」

自分の胸に突っ伏して泣くタマに、目覚めた黒須がそう言った。
その左手は、とてもやさしく…彼女の頭をなでるのだった。


>第19幕へ続く

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