第12幕 ツボミ:急
「…雲龍斎、まだここにいたのか」
「おお、正統穢師どの、戻ったか」
腸の道から赤黒い渦を使って家に戻った黒須は、雲龍斎と手下の潔師たちに迎えられた。
そのことを黒須は不思議に思ったが、すぐに気がつく。
「ああ、龍一の体か。『朔(さく)の里』にはなかったぜ…銀牙の野郎、ミスリードなんざ味なことしやがる」
そう言って、まだ地下室の端にある赤黒い渦を見る。
黒須の言葉を聞いて、雲龍斎は残念そうにこう返した。
「そうか…ここにあったものが消えて、他の場所へ向かう扉のようなものがあれば、普通はその先にあると思うもんじゃが…その感覚を罠に使われたか」
「ああ、昔のアイツからは想像もできねえトラップだ…あの野郎、里のケガレをすべて吸い出してどっか行っちまったらしい」
「なんと!?」
雲龍斎は思わず声をあげる。
潔師たちも驚いた。
「『朔の里』といえば、我ら潔師に行き場を奪われた妖怪や怪異どもが住まう里であろう…そこからケガレをすべて吸い出したとなれば」
「そうだな、銀牙の野郎は相当な量のケガレを体に溜め込んでることになる。だが…」
黒須はちらりと、潔師のひとりを見た。
あごでしゃくって見せると、潔師は彼が何を言いたいか気づき、懐から懐中時計のようなものを取り出す。
潔師はその盤面を注視し、黒須と雲龍斎に報告した。
「…穢計(ケガレハカリ)、反応ありません」
「てなもんだ」
潔師の報告に、黒須はへらっと笑ってみせる。
その事実に、雲龍斎は渋い表情を見せた。
「むう…」
「それ、感度500倍のヤツだろ」
「そうじゃ。これまでは作れなんだが、龍一が起こした一件で新たな生産方法が明らかになってな…今では潔師の標準装備じゃ」
「龍一の件がいい方向に働いた、数少ない要素のひとつってわけか」
「そういうことじゃな…しかし、その穢計でも居場所を捉えられんということになると、これは問題じゃぞ」
「まあな…」
黒須はそう言って、地下室から1階へと向かう。
リビングまで戻ると、猫マンが心配げな顔で彼を迎えた。
「く、黒須さん…なんか大変なことになってるみたいで」
「心配すんな猫マン。お前はその名前の通り、猫の世話してくれてりゃいい」
「…は、はい」
少しおどおどとはしていたが、猫マンははっきりと返事をした。
黒須は、彼が必要以上におびえていないことに満足し、その後で雲龍斎に言う。
「印を置いてもらって助かった。後はこっちでどうにかするぜ」
「…正統穢師どの、それは少し水臭いのではないのか?」
「いいや、何も臭くはねえ」
黒須はぴしゃりと言う。
それから少し間を置いて、さらに言葉を続けた。
「里のケガレをすべて持っておきながら、穢計には反応しない。それが大きな手がかりだからな。場所はもうわかったようなもんだ」
黒須はそう言って、ソファにごろりと横になる。
そのまままぶたを閉じようとしたが、向かい側に雲龍斎が座った。
「そういうことではなかろうが」
「……」
たしなめるような口調に、黒須は少しばかり顔を歪めた。
体を起こし、雲龍斎にこう返す。
「この件は俺の管轄だ。さらわれたのはタマで、タマは俺のパートナーだ。俺は潔師の術が使えないから、今回は少しあんたたちに助力を頼んだ。だがそれはここまでという話だ」
「さらわれたのはそなたのパートナーかもしれんが、『持って行かれた』のは愚息の体じゃ。だからこそそちらの協力要請にも応えておる」
「むぅ…」
「だというのに、犯人の居場所が特定されそうになったら、我らを最前線から外すというのはいかがなものかのう?」
「……」
「そちらが正統穢師なら、わしは元正統潔師、そして元橘本家当主じゃ。少し勝手が過ぎやせんか」
「……クソジジイ、何をたくらんでやがる」
黒須はいら立った表情を隠しもせず、雲龍斎をにらみつけた。
だが、にらまれた側はなぜか黒須にウィンクを返す。
そして軽い口調でこう言った。
「わしもつれてけ」
「なっ!?」
驚いたのは、これまでまったく無言だった従者の潔師たちと、元忍者潔師であり元潔師でもあった猫マンである。
もちろん、従者たちは雲龍斎を止めに入った。
「大旦那さま、何をおっしゃいますか! 我らを派遣するというならまだしも、大旦那さま自ら現場に向かうなどとんでもないことです!」
「そうです! 私たちが当主さまに殺されてしまいます!」
「どうかご再考を! 大旦那さま!」
「わしゃもう決めたんじゃ」
必死になって止める従者たちの言葉も、雲龍斎の決意を翻させることはできない。
老人であるはずの彼は、少年のようなうきうきした表情になって、黒須にこう言った。
「わしゃもう老い先短い年寄りじゃ。当主の任も紗織ががんばってくれとる。何も思い残すことはない」
「…クソジジイ、下のモンの気持ちも考えてやれよ」
黒須はさすがに従者たちを気の毒に思い、雲龍斎に言う。
だが、元気になった老人は聞く耳を持たない。
「心配せんでよい。わしが全力で飛び出したら、下の者がどう探したとて見つけられんのは紗織も知っておる」
そう言いながら、従者たちに目を向ける。
半泣きの彼らに対し、雲龍斎は笑顔でこう告げた。
「じゃから、お前たちは紗織にこう言えばよいのじゃ。『大旦那さまが風になってしまわれた』とな」
「なんだそのポエム」
黒須がツッコミを入れる。
雲龍斎の視線が彼に向かい、その表情は楽しげな笑顔になった。
「いつまでも少年の心を持つ…男には必要なことじゃろ?」
「おめーみてーな老人に少年の心を持たれると、周りが死ぬほど迷惑すんだよ。同じようなこと何回も言わせんな」
「わしゃただの老人じゃないぞい? 体格だって普通のジジイよりは立派なもんじゃ」
雲龍斎はそう言って、ボディビルダーのようにポーズを決めてみせる。
それを見た黒須は、深くため息をついた。
「クソジジイが…どうあっても行くつもりかよ」
「おっ、連れてってくれるのかの?」
「勘違いすんな、時間がねえからこの議論を終わらせるだけだ」
黒須はソファから立ち上がる。
少し休むつもりだったようだが、雲龍斎のおかげでそうも言っていられなくなったようだ。
「ったくよォ…」
「ひゃっひゃっひゃ、まああきらめるんじゃな。わしも新型穢計を持っておる…銀牙の居場所はわからずとも、正統穢師どのがどこへ行くかは手に取るようにわかるでの」
「あーあーもう勝手にしろ! じゃじゃ馬に怒られても知らねーからな!」
「話は決まりじゃな! では参ろうぞ、いざ決戦じゃ!」
「うるせぇクソジジイ! 楽しそうに言うんじゃねえ!」
こうして、黒須と雲龍斎という奇妙なコンビが、銀牙を追って家を出ることになった。
雲龍斎の従者たちは頭を抱え、紗織への言い訳を考えさせられることになってしまう。
「ああああ…一体なんと言えば…」
「どうしよう…当主さま、絶対すごく怒るに決まってる…」
残された従者たちは、家の中で絶望の表情を浮かべていた。
やがて彼らは、猫マンと黒須に名付けられた元同僚を見る。
「…な、なんだよ…」
うろたえる猫マン。
そんな彼を見て、従者たちはため息をついた。
「いいなあお前…いいなあ」
「名前はアレだけど…気楽そうでいいなお前…」
「だよな…名前はアレだけど…」
従者たちにそう言われ、猫マンはなんだか居心地が悪い。
だが猫マンは彼らに何も言えなかったし、彼らも今の身分を捨てたいとまでは思っていなかった。
そのため、家の中はどうにもすっきりしない時間が流れ続けることになる。
猫マンはそれにうんざりしながら、家を出ていった黒須の無事を祈るのだった。
一方、家を出た黒須は、家のすぐ前で立ち止まっていた。
手を組み、指をからめて、潔師のそれとは形の違う印を作る。
そして、印を作った両手を地面に向けて、穢師の術を発動させた。
”黒須流発力(はつりき)・怪異召喚”!
「……」
一瞬だけ地面が赤黒く光るが、それ以降は何も反応がない。
黒須はそのことに首をかしげた。
「あァ?」
そしてもう一度、術を発動させる。
”黒須流発力・怪異召喚”!
「……」
だが、やはり地面が一瞬赤黒く光るだけで、何も出てこない。
黒須は思わず、自分が手で組んだ印を確認した。
「間違ってねえはずだが…」
「何を召喚しようとしておったのじゃ?」
雲龍斎が尋ねてくる。
それに黒須が答えようとした時、地面から何かが出てきた。
「…?」
黒須がふとそちらを見ると、白っぽく短いロープのようなものがあった。
拾い上げた黒須は、瞬時に顔を青くした。
「これ…!」
そして思わず家の方を見る。
だがそちらには向かわず、拾ったものをただ握りしめた。
「…あの野郎、まさか…!」
ロープのようなものは、黒須が握った部分だけ極限まで細くなってしまっている。
雲龍斎は、それを見てこうつぶやいた。
「それは、蛇の抜け殻か」
「ああ…」
黒須は家から視線を離して、雲龍斎の言葉に返事をする。
強く握り込んでいた手を開いて、中央部分を握ってつぶしてしまった蛇の抜け殻を見つめた。
「久しぶりに里に行ったら、悪ふざけが好きなヤツがいたもんでよ…てっきり元気にしてるんだなって思ってたんだが…」
黒須は、蛇の抜け殻を見つけたことで知った。
朔の里にいる大蛇、壷巳(ツボミ)の身に何が起こったのかを。
彼はツボミを召喚し、その巨体に乗せてもらって銀牙のもとへ向かうつもりだった。
だがもう、ツボミの体は砕け散り、里の大地に還ってしまっている。
二度目の召喚の時にツボミ本体ではなく、彼女の抜け殻を召喚するように仕向けたのは、カブトたち草花の妖精だった。
妖精たちは、黒須にツボミがどうなったかを伝えたかった。
抜け殻は、彼らからのメッセージだったのだ。
そしてそれは、誤ることなく黒須に伝わった。
「あのクソババア、まさか死ぬほど無理してたなんてよ…この俺に微塵も気付かせなかった」
「……」
雲龍斎は苦い顔をする。
朔の里の話は、潔師にとって心地よいものではなかった。
「わしからは何も言えん…妖怪たちを朔の里へ追いやったのは我々潔師じゃからな。人々のために仕方がなかったとはいえ、無体なことをしたという思いは消えん」
「…別に、今になって潔師の謝罪が欲しいってわけじゃないぜ。連中も」
黒須は真顔になって言った。
ツボミの抜け殻を小さくたたみ、ジーンズのポケットにしまい込む。
「中には陰険なヤツもいるが、基本的にヤツらはめんどくせーことを嫌う。潔師がわざわざ攻めに行かなきゃ、里に追いやられたことも思い出さねえよ」
「…おおらかなんじゃのう」
「さあな。人間の感覚で考えねー方がいいんじゃねーのか…それより、ツボミに乗れねーなら、俺らも人間らしく乗り物を使うしかねーな」
黒須はそう言って、素早く走り始めた。
尋常ではないその速度に、雲龍斎も慌てて走り始める。
「お、おい、いきなり走り出すヤツがあるか」
「ついてこれねーなら、家で大人しく寝てろジジイ」
元忍者潔師たちが建てた住宅街を抜け、荒地に出る。
そこから山道へ出て街へ向かう。
その間、黒須と雲龍斎は離れることなく、同じ速度で走り続けていた。
通常の人間には見えないほどの速度で走り、障害物も軽やかなステップで飛び越えてしまう。
「まだまだ、若いモンには負けんよ」
雲龍斎はしてやったりという顔で、黒須にそう言ってみせる。
だが黒須は呆れた顔で「はいはい」と返すだけだった。
彼は元気な雲龍斎より、ポケットにしまったツボミの抜け殻を気にしていた。
時折ポケットの上からそれに触れ、何度目か触れた時にこんなことをつぶやく。
「ちょっとうまい酒、くらいですませるつもりだったが…大枚はたいてやるぜクソババア」
涙はない。
彼は敢えてニヤリと笑ってみせた。
「目ン玉飛び出るようなうまい酒を持ってってやる。三日酔いくらいは覚悟しとけよ」
笑っている彼の瞳が、少しだけいつもより潤む。
だがまぶたを閉じ、首を強く横に振ったあとには、いつもと同じ潤みに戻っていた。
黒須と雲龍斎のふたりは、やがて街に出て電車に乗る。
かなりの長距離移動を経て、ある山の無人駅で降車した。
「ここが、最寄り駅かの?」
雲龍斎が尋ねる。
それに黒須はうなずいた。
「正確には『最寄り駅のひとつ』だが…まあ間違いないだろう」
「では、ぼちぼち行くとするかの。決戦の地へ」
「ああ…」
さすがの黒須も、この時ばかりは神妙な表情になる。
彼は、ツボミの抜け殻が入ったポケットを二度ほど軽く叩き、駅の改札を抜けて山に入っていくのだった。
>第13幕へ続く
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