【本編】潮騒は風にさらわれて その6 | 魔人の記

【本編】潮騒は風にさらわれて その6

潮騒は風にさらわれて その6

「……くっ…」

意識が戻り、消える。
征司は目が覚めるたびに、小さく声をもらした。

怒りと憎悪に疲れ果て、征司は何度か意識を失った。
しかし激痛により起こされることとなり、眠り続けることはできなかった。

(お、オレ、は……)

細切れの意識が、眠りをまたいでつながる。
そしてまた断ち切られる。

岩陰に砂まみれで倒れたまま、征司はそんなことを繰り返していた。
その場から動くことはできなかった。

(生きて…いる……のか?)

「うぐっ?」

問いかけた直後、肉体は返答するかのように征司に激痛を伝えてくる。
その痛みに体を瞬時に震わせ、息を飲んだ。

新たな痛みがこないよう、ゆっくりと体に呼吸するための力を入れる。
そしてそこでまた意識が途切れる。

「……うぅ…」

夢は見なかった。
あるいは、今見ているものが夢に見えているのかもしれないが、夢は見ていない。

心に思い浮かべかけた言葉を、意識を取り戻した時に認識してつかむ。
それを繰り返し、彼は心に浮かぶ言葉を自らの言葉にしていく。

(なんで……生きて、いる………んだ…?)

人類が数千年、数万年、あるいは数十万年抱えてきた命題を、ぼんやりと考えている。
このあたりから、意識を失った時に「見る」闇の中に、人影を見つけるようになった。

意識を失えば見るも何もないため、正確には「意識を失った時に見る闇」などはない。
ただ、自分の意識がなかった時間は認識できるため、意識がないイコール闇という連想から、そう思い込むようになった、というのが正しい。

だが今の征司に、そこまで細かく考えを巡らせる余裕などはなかった。
彼は自分が起きている時は言葉の欠片が心に浮かび、そうでない時は人影が見えるようになったと思い込んでいる。

(だれ…誰、だ)

人影は、その文字通り影でしかなく、顔や服装などはわからない。
だが輪郭はわかる。

極度の疲労に意識を断ち切られ、極度の痛みに意識を引き戻されるたび、その数は増えていった。
そのどれも顔はわからないが、輪郭の違いから別の人物であることはわかる。

ただ不思議なのは、影も黒いはずなのに闇の中で浮かび上がってちゃんと見えているということだった。
闇によって影が塗りつぶされるということはなかった。

(だれ、なん…だ……いっぱい、いる…!)

人影はひとりがふたり、ふたりが3人、3人が4人とひとりずつ増えていった。
整列はしておらず、まばらな位置に立っている。

顔は見えないが、その全員が自分を見ている気がしている。

(……?)

背が高い者もいれば、そうでない者もいる。
輪郭から髪が長そうに見える者もいれば、そうでない者もいる。

しかしその誰もが、征司を見ている。
闇に浮かび上がる人影は、じっと彼を見ていた。

(なんだ…誰、なんだよ……)

彼が心でそう思った時。
闇の真ん中に、新たに誰かが姿を現した。

それは人影ではない。
小さく笑い、征司にこう言った。


”冷たいな、征司。みんな…お前が殺した連中じゃないか”


(…!)

闇の中に現れたのは恭一だった。
彼だけが人影ではなく、はっきりとした人間の姿で闇の中に現れていた。

(お前…!)

征司は無意識に右手を伸ばす。
だが恭一には届かない。

折れて砕けてだらしなく垂れた右手は、恭一には届かない。
闇と荒地が繰り返す視界の中で、闇の中にいる恭一はそれを見て笑い、そして彼に言う。


”お前は掴み損ねたのだ”


その言葉とともに、人影のひとつに色が戻った。
気づいた征司が右手を下ろしてそちらを見ると、人影は昔の仲間であり恭一によって刺客にされてしまった福原 耕作がいた。

「……!」

その顔を見て征司は驚く。
だが次の瞬間、今度は別の人影ふたつに色が戻る。

ひとつは、恭一の施設から逃げ出して反撃の萌芽を作り上げた鮫島であり、もうひとつは能力を持たないながらも類まれなる格闘能力で戦いに参加した城戸 英一だった。

彼らの目は、じっと征司を見ている。
感情のない目で、じっと見つめてくる。

(…や、やめろ…!)

さらに、新たに人影ふたつに色が戻る。
本来は戦いに関係なかったが、征司に関わったために刺客とされてしまった松井 茜と、八神 ナオトがその姿を人影から人へと戻された。

彼らもまた、感情のない目で征司を見つめる。
征司はそれを真正面から受け止めることができない。

(み、見るな…見るんじゃない、オレをそんな目で…見ないでくれ……!)

征司は必死になってうずくまり、彼らの視線から逃れようとする。
だが、見られているという感覚はどうにも拭い去れない。

彼らの視線は、征司の心に容赦なく突き刺さるのだ。
そこへ恭一が、微笑みながら駄目押しを加えてくる。


”お前に、私を超える力など持てるわけがないのだ…未熟なお前は、自分でつくり上げた死すら乗り越えられん。そんなお前が『黒いナイフ』を掴み取ることなどできはしない”


(なんだ…何を言ってる?)

征司には、恭一が言っている意味がわからない。
彼はただ、色を取り戻した人影たちの視線におびえるばかりだった。

色を取り戻した人影たちは、ロシアでの幼馴染であるミハイルや、育ての親である真田夫妻、さらには幼少の頃に征司の体内にいた奇形腫の征司にまで及び、その全てが征司をじっと見つめているという状況になった。

人が増えるごとに、征司は丸く、丸くなる。
自らを守るために、しかし守ることはできないまま、固く…丸くなる。

(見るな…見るな! なんだっていうんだ、オレを恨んでるって…そう言いたいのか!)

震えながら征司は闇におびえる。
闇に潜む人影におびえる。

どんなに強くまぶたを閉じても、いや強くまぶたを閉じれば閉じるほど、闇は色濃く征司の心を侵食する。
そして新たに3体の人影が出現したのを感じた時、彼は小さな悲鳴すらあげてしまった。

「ひっ…!」

生死のルールすら超えてやってきたこの世界で出会い、最初は誤解していたが後で仲良くなった者。
その者に命令され、世話係をやっている間に少しずつ話すようになった者。

そして、汚れすら知らなかったはずが、恭一によって裏切り者へ立場を変えさせられてしまった者。

(船長、カリス、ミュゼ…!)

丸くなっているため、征司には人影たちの姿は見えないはずなのだが、人影たちのいる闇がそもそも彼の心が作り出したものでもある。
新たに何かが生まれれば、感じ取らずにはいられない。

ロダフスたちの人影だけは、最初から色つきで現れていた。
彼とカリスは感情のない目で征司を見つめていたが、ミュゼだけは楽しげに笑い、恭一のそばへと歩いていく。

そしてふたりは親子のように手をつないだ。
ふたりともが、同じような笑顔を浮かべて征司に言う。


”お前はもはや、生きているべきではない”
”お前はもはや、生きているべきではない”

”だがその能力は、まだ価値が存在する”
”だからお前の意思を殺してやる”

”認識することのできなくなった人間は、ただの動く肉塊だ”
”しかし動けることには意味がある”

”お前はその能力を私に捧げる義務がある”
”能力が完成する素地を作ったのが誰なのか、よく考えてみるがいい”

”お前が生きている限り、そして私が生きている限り…”


ここでふたりの言葉が完璧にそろった。
そしてふたりは、うずくまる征司を笑いながらとどめの言葉を口にした。


”お前に幸せは訪れず、お前の周りには死があふれることだろう”


「お前のせいだ」

「お前の…せいだ」

「お前のせいだろ」

「何してくれてるんだお前」

「お前のせいじゃないか」

「あんたのせいよ」

恭一とミュゼの言葉が終わると同時に、人影たちは一斉にそんなことを言い始めた。
この言葉は、征司の心を一番底から激しくえぐった。

(うう…! やめろ、やめてくれ…!)

征司の体が震え始める。
だがこれは、これまでのような肉体的苦痛を伴う痙攣とは違う。

恐怖による震えだった。

「なんでお前だけ生きてるんだ?」

「そうだよ、おれだって生きていたかった」

「普通の暮らしをしたかったのに、なんで死ななきゃならなかった?」

征司に心ない言葉を浴びせる人影たち。
さらにその数は増える。

「第3の手」という超能力を最初に征司に見せた康介、そして彼と組んでいたバンドのメンバーふたり、さらには白衣姿の研究員や「ヘルメスの絶望」の祐介、「ヴァルハラの門」の麻衣も加わってくる。

それに加えて、人影たちはそれまで立っていた場所から歩き始め、ゆっくりと征司を取り囲み始めた。
うずくまり、震える征司の周囲に人だかりが発生する。

(やめろ…!)

「オマエすごい能力持ってんだろ?」

「だったら最初っからそれ使って、パパっとどうにかしてよ」

「なんでそれやらなかったんだ?」

「俺たちを殺したかったんだろ、ホントは?」

(違う…違う、そんなことあるわけないだろ! オレは…オレは……!)

「なんでもいいけどさ、お前のせいで殺されたんだよね。こっちは」

「なんでお前だけ生きてるのかな?」

「生きる価値なんてあるのか? お前に」

「少なくとも、おれらの方が生きる価値あったよな。お前よりは」

(そんなこと言われたって…! オレだって、オレだって一生懸命やってきたつもり…)

「死ねよ」

(……!)

誰かが言った。
誰かひとりが言ったようでもあるし、声がそろったようにも聞こえた。

(…死……?)

「死ねって言ったんだよ」

「お前生きててもしょうがないから、もう死ねってこと」

「ここでお前は野垂れ死に。それが似合いの最期よね」

「そうだよ死ねよ。お前が生きてると、また誰かが死ぬぞ」

「罪もない誰かが死ぬぞ」

(罪もない、誰かが…オレのせいで死ぬ、のか……?)

「もうお前もわかってるだろ?」

「何人も死んできた」

「もう充分だろ?」

「死にすぎってくらい死んできた」

(…ああ…そうだ……みんな、オレのせいで…)

征司は寒さを感じている。
体の奥から冷える寒さを感じている。

それは休息に心の中に広がり、彼の心を冷やしていく。
恐怖と組み合わさり、さらに彼の体を強く震わせる。

(みんなオレのせいで…死んだ……!)

征司は、そう結論を出してしまった。
すべてが彼らの死につながる結果になったと、思うようになってしまった。

(オレはオレなりに、必死に戦ってきたつもりだった…だけどそのせいで、みんな死んでしまった)

これまでも、そういう気持ちになったことはある。
だがどうにか心を震い立たせ、戦い続けてきた。

しかしロダフスやカリスたちの死は、乗り越えてきたものすべてを粉々にしてしまったのだ。
征司に、立ち上がる力はもう残ってはいなかった。

「死ね」

「死ねよ」

「ほら、死ぬといいよ」

征司を死へと誘うのは、恭一の能力ではない。
彼自身がどうにか押し殺してきた自責の念だった。

これまでそれから目をそらすことができたのは、戦いが激しかったのもあれば、知らないうちに彼の体へ精神安定剤(という名の劇薬)が投与されていたためでもある。

だが今、彼の心には何も守るものがない。
感覚を鈍くするものもない。

裸の心が、しかも不安定な青年期の心が、激しい自責の甘美な誘惑に抗うことは難しい。
自分だけが死ぬべきなのだと責める気持ちは、なぜか陶酔感を征司に与えていた。

(オレが死にさえすれば…オレがいなくなりさえすれば…)

うずくまったまま開かれた瞳の瞳孔は、少しずつ開き始めている。
焦点はずれて、どこを見ているのかわからない。

そんな間にも、ずっと声は聞こえてくる。

「死ね」

「死ね」

「死ね」

「さあ、今すぐ死ね」

(オレが死ねば…みんな、幸せになれるんだよな…)

征司の口が、小さく動く。
それは彼に歪んだ微笑をさせた。

もはや死への陶酔感は、彼を止めることができないところまで来ていた。
彼を止めようとしているであろう、ヴァージャや偽魔たちの声も、心を閉じてしまった征司にはまったく聞こえなかった。

(オレが、死ねば…みんな……しあわせに………)

ふと闇は消え、視界が現実の岩陰へと戻る。
少し離れた場所に、虫のようなものが見えた。

よく見るとそれはサソリのようで、後部から前方へ威嚇するように伸びた尾が印象的な生物だった。
どうやらこの荒地に生息しているらしい。

(サソリ…)

尾の先にある針が、強力な毒を持つことは征司も知っている。
それが人の命を奪うことがあることも知っている。

だからこそ、彼はゆっくりとそちらへ左手を伸ばした。
小さなサソリはそれに驚き、一度下がった後でまた元いた場所に戻る。

当然ながらサソリは戦闘態勢に入り、尾がさらに前へ出た。
先端の針が少し伸び、刺しやすい状態に変化する。

それを見た征司は、思わず微笑んだ。

(そうだ、それでいい)

そして、倒れたままの体をさらに伸ばして、サソリへ手を伸ばす。
戦闘態勢に入ったサソリは、征司の手に毒針を突き刺そうとした。


グシャッ!


「…え?」

何かがつぶれる音がした。
征司は信じられないという目で、その場所を見ている。

サソリがいた場所には、つぶれたサソリがいた。
上から何かが落ちて、征司を殺そうとしたサソリをつぶしたのである。

「……?」

何が落ちてきたのか目で追うと、それは馬の蹄だった。
ここで征司はようやく、自分のそばに馬がいることに気づいた。

(馬…?)

「ぶるるん」

馬は唇を震わせて前足を後ろへ払い、つぶれたサソリをどこかへ蹴り飛ばした。
その後で、征司のそばに座る。

というより征司とほぼ密着して座ったため、彼の体が馬の下敷きになった。
それが今まで治まっていた肉体的な苦痛を、征司に思い出させる結果になる。

「うぐうおおっ…! ど、どいて、どいてくれ!」

「ぶるるん」

「ぐああああっ! どけって、頼むから…!」

「……」

征司が懇願すると、馬はようやく立ち上がった。
少し移動し、今度は征司の体を下敷きにしないように座る。

「はあ、はあ……」

(な、なんなんだ…?)

馬の行動が何を意味するかわからず、征司はきょとんとした顔で馬を見た。
やがて馬はごろりと寝転び、そのままいびきをかき出してしまう。

「……?」

そもそもなぜ自分のそばに馬がいるのかもわからない征司は、ただただ不思議そうに馬を見ることしかできなかった。

だがふと、自分が死のうとしていたことを思い出す。
彼は馬から視線を外し、蹴り飛ばされたサソリの死骸がある方角へ目をやった。

(…ごめんな…)

そう思うと同時に、体から力が抜けた。
すべてに疲れ果てた彼の体は、またも彼を深い闇へと落とし込むのだった。


>その7へ続く