【本編】傀儡の王 その10 | 魔人の記

【本編】傀儡の王 その10

傀儡の王 その10

「移動してる?」

それは十数分前に遡る。
征司は、馬車と並走する偽魔セーレからの報告を、おうむ返しに口にした。

そしてセーレは軽い口調で征司の言葉を肯定した。

”移動してるねえ。駅の中を移動して…駅から出たよ”

「駅から出た? どういうことだ、セーレ!」

征司はセーレがいる左方向を見ながら、強い声で言う。
彼の隣にいるカリスも、神妙な面持ちでセーレの答えを待った。

偽魔セーレは現在、自身の能力を発動させているため、「手」から偽魔の姿に変化している。
若干地面からは浮いているのだが、馬車と並走している姿は征司だけでなくカリスにも見えていた。

「…?」

だが御者からは左後方という位置が死角ということもあり、セーレの姿は見えない。
そのため征司たちが何を慌てているのかはわからないが、緊迫した状況らしいというのはわかった。

「お、お客さん、面倒事はごめんですぜ」

心に渦巻いた恐怖に対して正直な御者は、征司にそんなことを言う。
だがセーレの報告を聞いていた彼に、臆病な言葉は届いていなかった。

そのかわりにカリスが静かにこう返してくる。

「今あたしたちは、その面倒事を解決するために駅へ向かってんだ…間に合わなかったら、それこそあんたの顔面が面倒なことになるよ」

「ひィ…!」

「それがイヤなら、余計なこと考えてないで全速力出しな」

「わ、わかりました」

御者はおびえた声を出して、それ以上征司たちに何か言ってくることはなかった。
その様子にカリスはやれやれと呆れた後で、隣で難しい顔をしている征司にこう尋ねる。

「…で、なんだって?」

「駅の中にいたはずが、今はそこから移動してるらしい…誘拐犯がそこにいるのかもしれない」

「どこに移動してるのかはわかんないのかい?」

「それを今調べてもらってる。ちょうど今移動してるんだ…その目的地がどこなのか、まだわからない」

「チィッ、しょうがないねえ。じゃあ今はその報告待ちってことか…」

「ああ…」

征司はそう返答しつつ、視線をカリスから偽魔セーレへ移した。
この時ちょうど、セーレから途中報告が来た。

”我らが主人よ、リトルレディーの移動している先には貨物列車があるようだよ”

「貨物列車?」

「そこに向かってるのかい!?」

偽魔の報告に、征司とカリスは同時に言葉を返した。
馬上の美青年は小さく苦笑し、主人である征司に向かって報告を続ける。

”…ただし、その貨物列車に乗るのかはわからない。まだ止まってはいないんだ”

「貨物列車の他に何かないのか? 例えば普通の電車とか誰かが入れる小屋があるとか」

”我らが主人よ、残念ながらここに『電車』は通ってない。恐らく貨物列車は『汽車』…石炭燃やして走るタイプのヤツだね”

「あ、ああ…そうなのか」

セーレに説明され、征司は素直に納得する。
だがすぐに、納得している場合ではないとセーレにこう返した。

「い、いや、今はそういうのどうでもいいだろ」

”ああ、ごめんごめん。一応言っとかないとと思って。あと、小屋ってだけで言うと…駅の周りには資材置き場の小屋がいくらでもあるよ。だけど、そこに向かっているようではない…ね”

「そこに向かってない? ってことは貨物列車で止まったのか?」

”うん、止まった”

「よし…! 目指す場所は貨物列車だ! 御者さん、急いで頼むっ!」

「へ、へぇ!」

征司の声に、御者はおびえながら返事をした。
馬に何度か鞭を打ち、馬車の速度を上げる。

それを確認した征司は、馬車の左側を走るセーレのさらに左にある、鉄道のレールをじっと見つめる。

レール自体は、征司たちがいた…そしてこの時ちょうどロダフスが暴れまわっている…パカラ港から続いている。

他の大陸から船で運ばれたものや水揚げされたものを港で受け取り、そこからは鉄道で他の都市へ送り出すというのが、このあたりの主な運送手段だった。

「…おかしいな」

征司はふと、そんなことを口にする。
当然ながら、隣のカリスはそれを疑問に思い、彼にこう尋ねた。

「何がおかしいんだい?」

「カリス、あんたは知ってるんだろ。このレールがどこから続いてるのか」

征司はそう言ってレールを指さす。
すると彼女はあきれた顔でこう言った。

「あんたあたしをバカにしてんのかい? レールは駅から続いてるに決まってる。どこの駅からってそりゃ港の駅からさ」

「じゃあ、港の駅から電車…いや貨物列車が出発したら、そのままずーっとどこまでも行ってしまうのもわかるよな」

「そんなの当たり前じゃないか…」

カリスは当然とばかりにそう言いかける。
だがふと、その表情が凍りついた。

「……!」

「そうだろ、やっぱりおかしいんだ」

言葉を失くしたカリスを見て、征司は自分の考えが間違っていなかったと確信する。
レールを指さしていた手を下ろし、彼はこう続けた。

「駅は港にもあるんだ。もし本当にミュゼをどこかへやる気だったなら、そこからどこへでも連れ去ることができたはず…なのになんで『ストル駅で一度降りてる』のか」

そしてこの時ロダフスたちも、ウェリンの口からこんな事実を知ることとなる。


「あのリエラの娘を隠したのは、港の駅だ…わざわざ離れたストル駅に隠す意味なんかないだろ」


ミュゼの誘拐事件は、本来ならパカラ港の中で片付く事件だったはずなのだ。
いくらウェリンが貴族相手にも商売をしている名士だとしても、事が大きくなれば事業に大ダメージを与えることは必至である。

いくらロダフスに対して歪んだ憧れがあったとしても、果たして今まで積み上げてきたすべてをかけてまで、ミュゼを誘拐するという計画を実行しただろうか?

「そういやそうだ…ミュゼを港の外にまで出しちまうことは、ウェリン自身の首を絞めることになる。港の中ならアイツの力で事件そのものをもみ消すことだってできるだろうが、それが他の地方に広まったらそうはいかない…!」

カリスは顔を青くしながら、「ウェリンが犯人でありながら今は犯人ではない理由」を口にしている。
征司がおかしいと言ったことの意味を、彼女はもう完璧に理解していた。

そしてふたりは、事件に対する見解を共有することとなる。


『誘拐事件は、第2段階に入った』


ウェリンがロダフスへの歪んだ憧れをもって引き起こした誘拐事件は、もはや解決済みとなった。
犯人はウェリンであり、こそ泥のニートマに依頼してミュゼを「港駅に隠した」というのが真相である。

だが、港駅に隠されたミュゼを移動させ、今さらに移動させようとしているのはウェリンではない。
彼の息がかかった誰かでもない。

全く別の誰かが、新たに彼女を連れ去ろうとしている。
しかも一度ストル駅で彼女を降ろし、再度そこから貨物列車で別の場所へ連れ去ろうとしている。

「……」

(イヤな…感じがする)

征司は何かを感じている。
それに呼応してか、ふわりと姿を現したヴァージャも神妙な面持ちだった。

”気に入らねぇ展開だな、まさに”

(ああ…オレから引き離してるけど、完全には引き離してない。まるで『早くしないともっと遠くへ連れて行ってしまうぞ』って急かされてるようだ)

”気をつけろ、セェジ…俺が言わなくてもわかってるとは思うが、な”

(…ああ、気をつける。あらためて、な)

真剣な顔をしている征司の視界に、ミュゼを乗せているであろう貨物列車の姿が入ってきた。
そしてその直後、周囲に汽笛の音が響いた。

「…!」

(これは…!)

”急げセェジ、出発しちまうぞ!”

汽車が汽笛を発する意味。
電車しか知らない征司とて、その意味はわかっている。

貨物列車がストル駅を出ようとしているのだ。
彼らが見ている目の前で、貨物列車はゆっくりと動き始めてしまった。

カリスもそれに気付いて叫ぶ。

「や、ヤバい出発しちまう!」

「どうにかならないのか! あれが出るとマズいんだ!!」

「んなこと言ったってお客さん、あれもう動いてますからあ!」

御者は泣きそうな声でそう言った。
もはや彼がどれだけ鞭打とうとも、馬はこれ以上速く走ることはできない。

「く…できるだけ近づいてくれ! できるだけでいい!」

征司は御者にそう叫び、座席の柱を持って少しばかり身を乗り出す。
貨物列車は動き始めているが、すでにトップスピード近い馬車よりはかなり遅い。

速度の差によって、列車と馬車の距離は一気に詰まってくる。
しかし当然それは一時的なものだということはわかっている。

それでも征司は御者に叫び続けた。

「もっとだ! もっと近づいてくれ!」

馬車と列車との距離はかなり近づいたが、それでも30メートル以上はある。
それが25メートル、20メートルと縮まるも、それ以上距離が縮まることはなかった。

御者も涙声で征司に返してくる。

「お客さんもう無理だ! これ以上は馬がもたねえ!」

「わかった、ありがとう!」

征司は御者にそう返したが、諦めて座席に座り直すということはしない。
それを不思議に思ったカリスが、征司にこう尋ねた時だった。

「あんた、一体何をする気…?」

「カリス、船長によろしく言っといてくれ!」

征司は彼女の方を見ずにそう言った。
彼はその言葉と同時に、背中から新たに71本の青白く光る「手」を伸ばしたのだ。

その「腕」は高速で列車に向かい、「手」はその上部に接着する。
直後、征司の中でアスタロトの声が響いた。

”準備完了です!”

(よし!)

征司は迷うことなく馬車の座席から跳躍した。
すると貨物列車の上部に接着された「手」が、まるでアタリを得た釣り人のように、征司の体を上空へ跳ね上げさせる。

「おおお…!」

上空20メートルもの高さにまで上がった征司は、思わず口から声が漏れるのを耳で聞いていた。
視界は反転し、その隅で一台の馬車が止まってしまうのが見えた。

空中に跳ね上げられた征司の体は、そこから「手」に引っ張られ、「腕」が背中に収納されていくことで列車上部へと引き寄せられていく。

重力に引っ張られるのと引き寄せの力が合わさり、その速度はとても速かった。
気がつくと征司は、自身の両足が列車上部の鉄板を叩く衝撃を感じ取っていた。

「う、おお…」

驚いた表情で思わずそんな声を出す。
しゃがみ込んだ状態のまま、彼はしばらく動けなかった。

”おー、やるじゃねえのセェジ。まさか『手』を使ってこっちに跳び移るとはな”

征司の思い切った行動に、ヴァージャは楽しそうに拍手しながら言った。
一方で征司は、まだしゃがんだ状態から立ち上がれない。

(な、なかなか思い切ったろ…オレも、あんなたかーく上がるとは思わなかったけど、な…)

”だろうな…で、悪いんだがもうしばらくそのままでいろよ。思ったより脚に負担がかかっちまったみたいだ…すぐに修復してやる”

(ああ、頼む…)

脚の修復をヴァージャに頼み、征司はしゃがみ込んだ状態のままでいることになった。
しばらくすると、彼のすぐそばに偽魔セーレが宙に浮いた状態でやってくる。

”我らが主人よ、リトルレディーの居場所だけどさ”

(ん、どこだ?)

”ここから3両前のコンテナにいるみたいだね。ただ…”

(ただ?)

”なんか違うヤツもいるっぽいよ?”

「……!」

セーレの言葉とともに、誰かが列車上部に上がってきた。
連結部にあるはしごを使って上がってきているようで、だんだんと頭部が見えてくる。

それは陽の光を反射する金属の兜だった。
どう見ても貨物列車の乗組員ではない。

(おっと…勝手に乗ったから、おまわりさん的な人が来ちゃったかな)

”そんなお気楽な連中だったらいいんだがな…よし、脚の筋繊維の修復は終わりだ。もう動いても大丈夫だぜ”

(サンキュー、ヴァージャ)

征司はゆっくりと立ち上がる。
貨物列車の震動は小さくないが、それでバランスを崩すということはない。

そしてちょうど征司が真っ直ぐ立った時、連結部から上がってきていた何者かもその全身を現していた。
金属鎧に全身を包み込んだその姿は、明らかにただの警備兵ではない。

「何者だ、キサマ…珍妙な乗り方をしおって」

鎧を着込んだ男は、腰にさげた長い直剣を抜いて構える。
既に征司を尋問する気はないらしい。

男は剣を上段に振り上げ、雄叫びをあげて襲いかかってきた。

「うおおおおおっ!」

「い、いきなりか」

征司は真っ直ぐ突っ込んでくる男に、若干慌てた表情を見せた。
もう少し何か口上があるのかと思ったのだろう。

だが、戦いに際して後れをとるということはなかった。
直剣と「ソロモンの魔手」では、そもそも戦いにならない。

征司の背中から伸びた数本の「手」が男に向かっていき、男はそれに向かって剣を振り下ろす。
男にとってそれは攻撃行動なのだが、剣で「手」を斬ることはできない。

「な!?」

青白く半透明な「手」に自慢の剣を受け止められ、他の「手」で殴り飛ばされて彼は列車上部から落とされてしまう。
こうして征司は、目の前に立ちはだかった敵を難なく退けることに成功した。

その後、車両と車両をつなぐ連結部に向かい、前の車両に「手」をくっつけてジャンプすることで征司は1両前の車両へ移動した。
そしてさらに前へ進むと、今度はふたりの男が連結部のはしごから上がってくる。

だがそのふたりも、征司の敵ではなく…

「うわー」

「い、一体何なんだその『手』はーっ!」

征司は背中から数本の「手」を伸ばし、それを縦に重ねて壁状にしてから、横向きにぐるんと回した。

逃げ場のない男たちはそれを受け止めるしかなく、そして受け止めてしまえば列車上部からはたき落とされるしかない。

かくして征司はふたりの男たちを同時に落とすことに成功し、またも連結部からひとつ前の車両へ進むことに成功した。
ミュゼがいる車両までは、あとひとつである。

「もう誰も出てこないで欲しいんだけどな」

”まったくだ。出てきてもセェジの罪が増えるだけだしな”

「ひとを犯罪者みたいに言うのやめろ。確かに勝手に乗ってるのはよくないし、あの人たちを落としたのも悪いけどさ…しょうがないだろ、この場合」

”はっはっはっ、まあな”

征司の言葉に、ヴァージャはニヤリと笑ってみせる。
そのやり取りには余裕があった。

今回は、連結部から誰かが上がってくるということはなかった。
征司はこれまでと同じ方法で前の車両に移動し、男たちがやったように連結部のはしごを使って下に下りる。

そしてコンテナの中に入った。
コンテナ内にはさまざまな大きさの箱があったが、そちらに目をくれる必要はなかった。

「んーっ! むぐーっ!」

明らかに激しく動く麻袋が征司の目に入ったのである。
袋の口はきつく縛られていたが、「手」で少し触れるとそれはすぐになくなってしまう。

袋の口を開けると、中から誰かが勢いよく顔を出した。
それは誰あろう、征司たちが必死に探してきたミュゼその人の顔だった。

「ぷはぁ!」

「ミュゼ!」

「もーっ! レディーをこんなところに閉じ込めるなんて、どうかしてると思わない?」

「…ぷっ、ははっ」

助け出された直後だというのにおしゃまなことを言われ、征司は思わず笑った。
だがミュゼはそのすぐ後で征司に抱きつき、小さく震えながら「ありがとう」と言った。

「……どういたしまして」

怖くなかったはずがないのだ。
征司もそれを理解し、彼女の頭を軽くぽんぽんと叩いてやった。


その後、征司たちはセーレの馬に乗って貨物列車を脱出し、途中でカリスの馬車と合流してからパカラ港へ戻った。
ロダフスたちがミュゼの帰りを喜んだのは言うまでもない。

謎の多い誘拐事件だったが、結局第2の誘拐犯が誰かはわからず、麻袋に入れておいたミュゼを駅員が荷物を間違えて貨物列車に乗せた、ということになった。

(なんかスッキリしない感じだけど…まあいいか。ミュゼが無事ならそれで)

”もしかしたらあの列車に誘拐犯が乗ってたかもしれねーが、今となっちゃー調べようもねーからな。それに、セェジがぶっ飛ばした中に犯人がいたとすりゃ、もうバカなことはしねえって思うだろ”

(だよな、いくら鎧着てたって列車から落ちれば…なあ?)

”ああ、まったくだ。ひでえヤツになっちまったもんだな、お前もよ”

(う、うるさいな)

征司は、ヴァージャと軽口を叩き合いながらも、ホッとしていた。
彼が恐れるようなことは起こらなかったからだ。

(もしかしたら、何かまた仕組まれたのかもしれないと思ったけど…きっと考えすぎだな。ここはアイツが準備をし続けた世界じゃない、完全に異世界なんだ)

誘拐事件が第2段階に入ったと感じた時、征司の脳裏には恭一の影がちらついた。
もちろんヴァージャもそれを感じていた。

恭一が関わっているとなれば、並大抵の覚悟では太刀打ちできないことがわかっている。
それもあり、列車上部での戦いはかなり荒っぽい戦い方をした。

だが今、恭一の影は見えない。
ミュゼには傷ひとつなかったし、明るい顔でカリスに何かを話している。

(…何か妙なことがあればアイツに結びつけるのは、オレの悪いクセかもしれないな…いくらアイツが強くても、周到な準備ってヤツがなきゃ何もできないはずなんだ。それはオレにとって有利な点であるはずだ…)

誘拐事件を解決したことによって、征司の中にはこれから自分がすべきことが浮かび上がり始めていた。
恭一の影を感じたこともあり、考えの切り替えは速い。

(そうだ。決めなきゃ…いけないんだよな)

考えの切り替えは速いが、心の切り替えもそうであるとは言えなかった。
征司は、カリスと楽しげに話をするミュゼを遠目で眺めながら、来たるべき時を思い始めていた。


>新章へ続く