【本編】ヴァルハラの門 その5 | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

ヴァルハラの門 その5

『シンプルな答えが、ひとつだけ出たんだ』

征司はそう言った。
そして麻衣の部屋へ…彼女がいる場所へ行こうと提案し、今そこへ向かっている。

能力はシンプルであるがゆえに強力であるということを、征司は口にしていた。
彼は何度もそう考えていたし、弥生もその考えを聞いた。

だからこそ「シンプルな答え」という言葉は、特別な意味を持つことになる。

(…つまりは、麻衣の能力をどう突破するか…それがわかったってことなの? でも、勝つ見込みはないって…)

前を歩く征司の歩みに迷いはない。
それを後ろから追う弥生の心は、疑問に揺れている。

それはまるで、今まで征司が悩み続けてきた道に、彼女も迷い込んだかのようだった。
だが戦闘者としての感覚がほぼない彼女には、どういう方向に考えていくべきかが見えない。

それこそ、悩んでいた征司以上に見えない。
だから彼が今、落ち着いた様子であることが理解できない。

(麻衣があの部屋に来て…ホムンクルスを持っていったのは昨日。だけど、そのショックから立ち直ったのはついさっきなのよ。あなただって、あの能力がどれほど恐ろしいかわかってるはず…なのに…!)

征司の歩みに迷いはなく、背中から感じる雰囲気も堂々としている。
彼の体は細いが、なぜか背中は広く感じる。

それは彼女に小さな安心感を与えるとともに、疑問を口にする機会を奪っていた。
そしてその感覚が、今は彼にすべてを任せるべきなのだろうと思わせていた。

「……」

カミソリでそぎ切った髪が、弱い風に揺れる。
それが「自分で髪を乱暴に切った」ことを思い出させ、その行動が意味するところを思い出させる。

(…そうね、あの人を裏切った時から…いつ殺されたっておかしくはないんだわ。今は彼も私を信用してくれてるけど、恭一の能力がある限り彼に殺される可能性もある…)

自分の行動が近づけた死。
それを、彼女ははっきりと感じ取る。

征司すらも自分を殺すかもしれないという刹那的な感覚が、逆に彼女の中から疑念を振り払った。
それは、裏切ることを決めた時の覚悟を、彼女自身が思い出したからでもある。

(私があの人を裏切ったのは、彼に助けてもらいたいと思ったからじゃない。『私がそうすべきだと感じた』からよ。そう、とても…とてもシンプルな話)

征司が口にした「シンプル」という言葉に、自分の覚悟も共通することに気づいた。
能力だけでなく、覚悟も「シンプルであるからこそ強い」のだと。

(私がそう感じたから、そうしただけ。そうよ…今さらビクビクしてるなんて、私らしくない)

その体験から、麻衣への恐怖が先に立っていた弥生だが、ここに至って凛とした佇まいを取り戻すことができた。
恐怖から少しだけ曲がっていた背が真っ直ぐに伸び、征司の後ろをついていくのも楽になる。

それは物理的な話ではあったが、精神的にも楽になっていた。
彼女は征司の考えについて、あれこれ詮索するのをやめた。

「…?」

ただ、それとは別にことを考えるようになった。
麻衣への部屋に向かう通路に、小さな異変が生じている。

(…そういえば…どうして通路に風が?)

そぎ切った自分の髪を揺らした風。
それは弱いものではあったが、確かに通路内を吹き抜けていた。

さらに、彼女がそれに気付いた後も風は吹き続けている。

(今も吹いてる…でもどうして? ほこりが舞うから、できるだけここでは風が起こらないようにしてるはずなのに)

この施設内は、地上よりもはるかに進んだ特別な機械ばかりがあり、それらはほとんどが精密機械でほこりなどに弱い。

もちろん風が吹いた程度で壊れることはないが、地下にあることも手伝って、ゴミの処理などにはかなり気をつかわなければならない。

空気中の成分がいたずらに他の部署へ拡散することは、恭一の実験においても不具合を生む。
つまり、通路内に風が吹き続けるような状態は、施設としてはあまり好ましくはないのだ。

だが今、実際に風が吹いている。
弱いが、確実に空気が流れている。

(空気の入れ替えでもやってるの…? 最先端の、地上ではお目にかかれないようなすごい空気清浄機があるのに?)

麻衣の部屋へ向かうことについては、覚悟を決めなおすことで落ち着くことができた弥生だが、施設の運営を任され続けてきたこともあってか、風についての疑問がそう簡単に消えることはなかった。

だがそれも、部屋の前までくれば自然と落ち着く。
落ち着かせなければならなかった。

(…風のことは、今はどうでもいいわ…気持ち、切り替えないと)

自分の能力が戦闘向きではないことを、弥生も充分理解している。
だからこそ、征司の邪魔にならないようにと考えていた。

ドアの前で、征司が少しだけ顔を横に向ける。
そして弥生に尋ねてきた。

「…まだ、いるか?」

「……ええ、いるわ」

彼女は「見つける力」で麻衣が部屋の中にいるのを確認し、彼にそう言った。
それを聞いた彼はうなずき、ドアに一歩近づく。

すると、何もしていないのにドアは開いた。

「…う」

中からは、血の臭いがじわりと漂ってくる。
それを感じると同時に声が聞こえた。

「あたしに用があるんでしょ? 入って来なさいよ」

当然ながら、それは麻衣の声だった。
征司はすぐ中に入り、弥生もそれについて入る。

「…!」

そして彼女は見た。
1体のリアライザが、ソファの前で血まみれになっているのを。

(あれは…!)

背中から羽根が生えたそのリアライザは、ソファに座る麻衣に土下座する体勢になっていた。
恐らく彼女に許しを乞うたのだろうが、その願いは叶わず背中に穴が開いてしまっている。

そして弥生は、麻衣に許しを乞うたのとそれが叶わなかったことから、このリアライザが何者か気付く。
しかしそれを心の中に思い浮かべる直前、麻衣の声が聞こえてきた。

「コイツ、今日死ぬ予定じゃなかったのよね」

「…!」

「誰かさんがさァ、コイツだまくらかしてあたしの宝石箱持ち出しちゃったからさ…そりゃ責任はコイツにあるよねっていう」

「……」

(やっぱり…あのリアライザなの…)

疑うことも、拭き掃除という行動も、掃除用具入れという物体についても何も知らなかったこのリアライザは、弥生がこの部屋に潜入した時にいたリアライザだった。

麻衣が散らかした血を片付けるのを名目として部屋に入り込み、彼に掃除をさせている隙にホムンクルス入りの宝石箱を持ち出すことに成功したわけだが、その後で殺されてしまったらしい。

(…でも、私は謝らないわ。そうなるとわかってて、あれを持ち出したんだから)

「イヤな目、するようになったね。オマエ」

弥生の思いを見透かしたかのようなタイミングで、麻衣が声をかけてくる。
彼女の視線も、思わずそちらへ移動しかけた。

だがそれをとっさのところでやめる。

(ダメよ…麻衣を見てはダメ。ここで足がすくんだら、彼の邪魔になる…!)

麻衣と目が合ってしまえば、自分がどれだけの恐怖に染め上げられるのか、弥生はわかっている。
そのため、ただリアライザから目を逸らすだけに留めた。

「フン…」

自分を見ないことがおもしろくない麻衣は、しかしそれについては何も言わない。
表情を変え、興味深そうに征司にこう尋ねた。

「で、今日は何の用? 昨日殺されかかったからそれにビビっちゃって、結局パパの言うこと聞くことにしたの?」

「今日は、お前を殺しに来た」

征司はあっさりとそう言った。
とても自然に、そう言った。

「…は?」

その口調に、言われた麻衣は目を丸くする。
しかししばらくすると、彼女はいきなり笑い出した。

「あはははははははははっ! ちょっとなによ、なによそれ! 今なんて言ったの? え? あたしの聞き間違いかなー?」

「いや、聞き間違いじゃない」

「えー、ホントに? じゃあもう1回言ってみてよ。今度はちゃんと聞くからさー、あははっ」

「お前を殺しにきたんだよ、麻衣」

「…ふふっ、ちょっと笑えなくなってきた」

顔は笑っているが、その眼光が鋭くなる。
ソファの上で足を組み直しながら、二度ほどうなずいた後で言葉を続けた。

「あたしを『殺しに来た』って言ったのよね? それ」

「ああ」

「あたしに『殺されに来た』の間違いじゃないのかなー?」

「いや、殺されるのはお前だよ。麻衣」

「…あたしさー…そういう冗談キライなんだよねー」

「冗談でお前にこんなこと言うわけないだろ? まあ、聞けよ」

征司はそう言って、なぜかにこやかに微笑む。
さすがに麻衣もその笑顔がわからないのか、眼光は鋭いが即座に攻撃を仕掛けてはこない。

どうやら彼女は征司の言葉を聞いてやるつもりらしい。
それを感じた彼は、こう言葉を続けた。

「オレさ…ずっと考えてたんだ。祐介の能力をさ」

「祐介の?」

「アイツの『ヘルメスの絶望』は、何でも万札に換えてしまう能力…だけどオレと戦った時は、それだけじゃなくて万札そのものを操ったりしてた。そのことについてずっとオレは考えてたんだ」

「…ふーん」

「能力のハイブリッドとかも思い出してさ、もしかしてお前の力と混ぜたことで、その影響が出たのか? なんてことも考えた。だけど答えは出ない…結局、わからない」

「それで?」

「オレは考えるのをやめた」

征司がそう言った瞬間。
部屋の中に風が起こった。

それは弱い風。
しかし、一方向ではない。

弥生はそれを感じ取り、さらに通路に吹いていた風の正体を今ここで知った。

(あの風は…彼が起こしていたの…!? 100グラム分の空気を『抜いて』、その影響で風を起こした…?)

そうとしか思えないタイミングで風が吹いている。
麻衣も当然、誰が風を起こしているのかを理解している。

「…考えるのやめて、ドライヤーにでもなったの? 悪いけどあたし、今別に髪濡れてないんだけど」

「『主観こそが能力を伸ばす』…これはアイツの言葉だろ」

麻衣の言葉を無視して、征司は話を続ける。
この状況で無視されるのは別にどうでもいいのか、麻衣は「ええ」と答えた。

彼は微笑みながらさらに続ける。

「オレはずっと、どうしたらアイツを殺せるか考え続けてきた。そのためには、アイツがすごいこともちゃんと認めなきゃいけなかった。それは腹が立つことだったけど、勝つためなら我慢しなきゃって思った」

「……?」

「だから、アイツの言葉も受け入れた。オレは考えるのをやめて…」

弱い風は止んだ。
麻衣の髪がふわりと下へ落ちると同時に、征司はこう言った。

「『その気になった』んだ」


ズバッ、ズババッ!


「…!?」

瞬間、麻衣の周囲に羽毛が飛び散った。
それに驚いたのか、彼女は瞬間移動でソファの後ろへと移動する。

「…なに?」

音の意味がわからず、思わず彼女は征司に尋ねた。
すると彼は、微笑んだままこう応える。

「見てみろよ、ソファ」

「…?」

不思議そうにしながら、麻衣はソファの前面へと回り込む。
すると、その顔が驚きに染まった。

「これ…!」

ソファには穴が開いていた。
それもひとつではない。

合計3つの穴がソファに開き、その穴から羽毛が飛び出して舞っていた。
その場所は、麻衣が座っていた場所の周囲であり、3つの穴はほぼ同時に開いたようだ。

「…まさか、これ…っ!」

信じられないという表情で、麻衣は征司を見る。
彼は、彼女に向かってうなずいてみせた。

「オレは考えるのをやめて、『その気になった』。祐介が札束そのものを操れるようになったのと同じで、主観がオレの能力を伸ばしたんだ…その3つの穴は、全部オレが開けたんだよ。一瞬でな」

「…!」

「殺しに来たって言いながら、なんでこんなものをわざわざお前に見せたかわかるか? 麻衣」

「……理由、教えてもらえるのかしら」

不敵な目で、麻衣は征司に言う。
だがその様子は明らかに、いつもの彼女とは違う。

弥生はそれに気づき、そして征司はそうなることがわかっていて行動に出ていた。
だから彼は、表情を全く変えずにこう言ってやる。

「お前のターゲットを、オレだけにするためだ。あの人には手を出させない」

「それってどういう意味かしら? あんたが一瞬で3つ穴を開けられるのと、あたしがバカメイド…ああ、今はもうバカメイドですらないのか…あのバカ女に手を出さないってのと、何がどうすっ転んでイコールになるわけ?」

「全部言わなきゃわかんないか? オレはもう気付いたんだけどな」

「気付いた?」

「そう…お前も本当は気付いてるんじゃないのか? 認めたくないだけで」

「…もったいぶった言い方はキライなんだけどな、あたし」

「そうか。じゃあ言ってやるよ」

そして征司は言う。
弥生と麻衣が驚かざるを得ない、その衝撃の言葉を。

「お前の能力には、致命的な弱点がある…オレはそれに気付いた。そして今のオレなら、その弱点を使ってお前を殺せるんだよ」


>その6へ続く