【本編】賢人たちの会食 その5 | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

賢人たちの会食 その5

「じゃあな、兄貴」

「祐介…後悔するぞ、お前…」

「さーて、そりゃどうかねェ?」

これが、長井兄弟が交わした最後の言葉だった。
祐介は自らの能力「ヘルメスの絶望」ではなく、その手に持った拳銃で康介を殺した。

「……」

後ろ手に拘束されたまま、重力に逆らう力を失って、冷たい床に横たわる康介の体。
祐介はそれをじっと見ている。

「…なんだ、これ」

表情が動かない。
祐介の口から漏れたのは、長らく待ち望んだ願いを叶えた喜びの言葉ではなく、疑問だった。

「なんだよ、これ…全然気持ちよくねえ」

つまらなそうに言い放って、持っていた拳銃を放り投げる。
銃身が床にぶつかり、その衝撃が撃鉄を動かしてしまう。

銃弾が発射されたのは、銃口が祐介の方に向いている時だった。
だが弾は彼の体に食い込むことはなく、なぜか消える。

そしてその代わりなのか、1万円札の切れ端が宙を舞った。
「ヘルメスの絶望」が、高速で飛んでくる銃弾さえも「換金」した瞬間だった。

だが祐介本人はそのことには驚いていない。
彼はただつまらなそうに床に唾を吐き、死んだ兄の体を部屋に置いたまま出ていった。

それから数ヶ月、祐介は心が晴れないまま過ごした。
金はいくら使っても使い切れないほど生み出せるので、それで豪勢に遊んだりもしたが、楽しいのはその瞬間だけだった。

彼が恭一から新たな命令を受けたのは、そんな時である。

「え…おれがやるんッスか、それ」

「そうだ。やり方はお前に任せるが、必ず我が息子…征司を『レベル9』にまで仕上げろ」

「レベル9? なんかゲームみたいッスね」

「…そちらの『レベル』ではないが…まあ、やり方は任せる。ゲームでもなんでも、征司が『レベル9』になればそれでいい」

「はあ…」

「場合によっては、麻衣を使ってもかまわん。ただし殺させるなよ」

「…んじゃーあの女、関わらせない方がいいんじゃないッスかね。ちょっと気に入らないことあったら、クッキー食うみたいにリアライザぶっ殺しまくって…」

「期日はわかっているな? では頼んだぞ」

「ちょ…」

恭一との電話は切れる。
高級ホテルのベッドルームでそれを受けていた祐介は、耳から離した受話器をじっとりとした目で見た後に、ため息をついた。

「なーに、仕事?」

彼のため息を聞いて、黒髪でショートボブの女が尋ねてくる。
祐介がうなずいてみせると、彼女は「ふーん」と言いながらテレビの方を見た。

テレビからはニュースが流れている。

”執行猶予です、執行猶予がつきました! 無免許で歩道に突っ込み、妊婦の西島 明美さんを死なせた木藤 洋一容疑者に、執行猶予3年の有罪判決が出ました!”

「うえー、なにこれ?」

「あ?」

「あたしバカだけどさー、これはないわーって思うなー。マジないわー」

「…あァ? なんだ、裁判がどうした?」

祐介は、この時初めてテレビのニュースに気がついた。
それまでは恭一から命令されたことばかりを考えていたのだが、女の語気が思わぬ強さだったのでそちらを見た、という格好だった。

女は、一度煙草を吸ってから祐介に説明してやる。

「コイツさー、チョーシこいて無免で車運転してて、妊婦さん死なせたんだよ。捕まるまでネットですごい自慢してたみたいでさ」

「自慢? 自慢ってなんだよ」

「無免で車運転してやったーとかさ、新しくクソガキが生まれるのを阻止しましたーとかさー…もうホント死ねって感じだよね。しかもその車、人から借りた車だったんだって」

「ほう……」

「ダンナさん、ちょっと前に会見しててさー。ホントは怒鳴り散らしたいだろうに、静かな言葉でずっと悔しいって言ってた。あたしそれ見てちょっと泣いたよ…」

「……」

女の言葉を受けて、祐介はテレビをじっと見る。
記者たちのカメラから発せられるフラッシュに照らされた容疑者の顔は、一瞬だが笑っているように見えた。

そしてテレビも、ちょうどその瞬間で映像を止める。
女はそれを見て、「キーッ!」と怒りの奇声を発した。

「なによコイツ、なんで笑ってんの!? コイツ超ムカつく…! 執行猶予ついたから笑ってんの? なんで笑えんの…!?」

「ククッ、ククク…」

「え?」

背後から聞こえた笑い声に、女は振り返る。
そこには、狂った笑顔を取り戻した祐介の姿があった。

「いい気晴らしができたっぽいなァ、これ…クククク…」

「え…気晴らし?」

「ああ、おかげで仕事もはかどりそうだぜ。何すりゃいいかさっぱりだがなァ」

「…何の話?」

「おめーが気にすることじゃねえ。ほら、もう帰れ」

そう言って、祐介はベッドそばのローテーブルから札束を取り出した。
それを女に渡すと、彼はベッドを降りる。

「ちょ…なに、そんなとこ入れてんのお金」

金を受け取った女は、まさかローテーブルの引き出しに、そのまま札束が入っているとは思わず、そこを自分で開けようとする。

すると祐介が振り返ってこう言った。

「持ってってもいいが、それ持ってったらもう二度とオマエ呼ばねーぞ」

「…う」

女の手が止まる。
すぐに座り直し、ばつが悪そうに笑ってみせた。

「や、やだなー、あたしが勝手に持ってくわけないじゃーん? あはっ、あははは」

「いいからさっさと帰れ。いつもより色つけてやってるだろーが」

「う、うん…たしかに…」

女は札束を見て目を丸くしている。
だがやはり未練があるのか、ローテーブルにちらちらと目をやる。

すると、祐介はため息をつきながらベッドそばへ戻ってきた。
自らの手で、ローテーブルの引き出しを開ける。

「しょーがねーな、ほら。もってけ」

「え! いいの?」

女の目が輝く。
だが遠慮することなく、すぐさま祐介から札束を受け取った。

「にゃはー! これでバーキン買えるっ」

「そんなもん、他の客に貢がせりゃいいだろーが。そもそもが高級なんだろーしよ」

「わかってないなー、それじゃダメなの。貢いでもらったら、あたしも義理に縛られちゃうでしょ?」

「おれの場合はいいのかよ?」

「あんた意外とお子さまだもん。おねだりしたらすぐくれる。うふふ」

「…うるせぇ」

「まあ、それは冗談だけどさ」

女は煙草を消し、その場から立ち上がる。
メリハリのある裸体を、恥ずかしがることもなく祐介に見せてやる。

「あたしはね、セックスが好き」

「なんだいきなり」

「どんなに偉ぶってたって、あたしの体の前じゃ男はみんな甘えんぼになる。たまに首絞められながらとかもあるけど、『あたしとじゃなきゃできないんだろうな』って思ったら、なんかかわいく思える」

「…珍しい女だな、お前」

「そう?」

女はニカッと笑ってみせる。
その後でこう続けた。

「あんたもそうだけど、バカみたいに息荒くして一生懸命でさ。そんなにしたいんだ? って思っちゃう。でも、そこがなんかかわいいんだよね」

「へえ…」

「ま、あたしはお客さんに恵まれてるから、そう思えるだけかもしれないけどさ」

女はそう言いながら、別の部屋に消えた。
祐介は、胸の中に何かチリチリしたものを感じる。

いらいらした手つきで煙草に火をつけ、それを吸った。
女が別室から戻ってきたのは、それを吸い終わった後だった。

「さーて、帰れって言われたから帰るわ。今日は時間あるから、もっちょいここにいたかったけど」

「……」

祐介は、じっと女の姿を見ている。
それを不思議に思った女は、首を傾げながらこう尋ねた。

「どしたの?」

「おれの前でな…」

「ん?」

「他の男の話をするんじゃねえっ」

「きゃあ!」

服を整え、メイクし直した女に欲情したのか。
はたまた男の嫉妬心か。

女に帰れと言ったはずの祐介は、彼女をベッドに押し倒した。
がっつく祐介に、女は優しく微笑み続けていた。


高級コールガールのランは、祐介のお気に入りだった。
そして彼女の言葉により、彼は新たな「気晴らし」を得ることとなる。

「…な、なんだお前…! ど、どこの! どこの差金だおい!」

「いやいやいや、どの差金でもねーよ? こりゃーなんつーか…いわば『趣味』ってヤツだ」

「しゅ、しゅしゅしゅ趣味ィ!? バカ言ってんじゃねえ! こんなことやったら、お前だって警察に捕ま…」

「残念ながら、証拠が残らねーんだなー? お前、この状況を警察に説明して、信じてもらえると思うか?」

「お、おお…思わない…」

「だろー? そうだよなあ、思わねーよなァ? 自分の体が1万円札にされました助けてください、って言ったって、100人中100人が『はァ?』って思うだけなんだぜ!」

ひと気のない路地裏。
上半身のみの男が、恐怖の表情で祐介を見上げている。

その周囲には1万円札が散らばっていた。
つまり彼の「ヘルメスの絶望」により、男の下半身が「換金」されていた。

「えーっとォ、おめーは確かロリコンだったよなァ」

祐介は懐から手帳を出して、そこに貼りつけられた小さなスクラップ記事と男の顔とを見比べる。
そこに書かれた男の容疑は、未成年者に対するわいせつ行為だった。

「実刑打たれて出てきたのが先月だっけかァ? また新しいガキ探してんじゃねーだろうなおい」

「さ、探して、ない! 探してなんか…」

そう言っている男の目は泳いでいる。
自身の下半身を「換金」された恐怖もあるだろうが、どうもそれだけではないようだ。

もちろん祐介もそれを見抜く。

「おーっとその目ェ、怪しいなオマエ! っつっても、もうお前の『ムスコ』は使い物にならねーから、別にいいけどな」

「え!」

「そこに散らばってる金は置いてってやるよ。今は世知辛いからなァ…金持ってねーと助けてもらえねーだろうし。生き恥さらすにも金がいるだろ」

「え? ちょ…これ、なに? 戻らない? え、マジで?」

「ああ、戻らねーぜ。残念ながら、おれは戻し方を知らねぇ。だがいいだろ? おかげでムラムラからは卒業だ。ガキどももちったァ安全になるだろうし、いいことずくめじゃねーか」

「ふ、ふざけるな! せっかくほとぼりが冷めてきて、近所の子とも仲良くなってきたのに…あと少しだったのに!」

「あと少し?」

「あ」

口をすべらせたのを悟り、男は両手で口を押さえる。
だが、体の外に出た言葉はもう戻らない。

もちろん祐介も、聞かなかったことにはしない。

「テメェ、やっぱりまたガキんちょを襲うつもりだったんだな? このまま帰ってやろうかと思ったが、事情が変わった…」

「え? え? なんだよ、事情が変わったってなんだ? もういいだろ! カンベンしてくれ!」

「いーやカンベンならねぇ。やっぱりお前みてーなヤツは、生きてちゃあいけねーんだぜ」

祐介はニヤニヤと笑いながら、上半身しかない男に手を伸ばす。
そして死刑宣告とばかりにこう言った。

「まあ心配すんな。お前を『換金』した後で、どっかのガキんちょ用施設に寄付してやる。ガキんちょどもの役に立てるんだ、安心していなくなれ」

「い、いやだ…死ぬのはいやああああああああ!」

「なに泣いてんだ、死ぬって決まったわけじゃねーだろ。おれはただ『換金』するだけだ。『換金』するだけ…」

「いやだあああ人間がいいよおおおおお!」

「じゃーな、ゴミクズ」

そして男の体はすべて、1万円札へと「換金」された。
祐介はニヤニヤと笑いながら、地面に散らばった金を見ていた。

「クククク…! 楽しいじゃねーか、これ! 少なくとも、兄貴をぶっ殺した時より100万倍は楽しいぜ! 次はどのゴミクズを『換金』してやろうかなァ…ヒャハハハハッ!」

こうして、祐介の「犯罪者狩り」が始まった。
征司を「レベル9」にする方法を考えながら、憂さ晴らしとして犯罪者を「換金」する生活が始まったのだった。


>賢人たちの会食 その6へ続く