【本編】ゆりかごの地獄 その3 | 魔人の記

魔人の記

ここに記された物語はすべてフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。オリジナル小説の著作権は、著者である「びー」に帰属します。マナーなきAI学習は禁止です。

ゆりかごの地獄 その3

「…どうだ?」

薄暗く、機械の駆動音ばかりが響く部屋。
モニターの明かりに照らされるメイドの背後に、祐介が姿を現した。

メイドは振り返り、不思議そうな顔で彼に尋ねる。

「いらしたんですか…ここには来ないと、そう言っていたのに」

「来たくて来たわけじゃねーよ」

祐介は不機嫌そうに言いながら、頭をかく。
そして、つい今しがたまでメイドが見ていたモニターへと目をやった。

「チッ…やってんな、クソガキ」

モニターには、征司と真田夫妻が戦っている様子が映っている。
くわえ煙草で、そして苦々しい顔でそれを見ていた祐介だが、その顔へ不意に手が伸びた。

目は瞬時に反応するが、それ以上の行動はとらない。
誰が手を伸ばしたか、彼にはわかりきっているからだろう。

黒のメイド服に映えるような白い手は、祐介の口から火のついた煙草を奪い取った。
思わず彼の口から、「あ」という声が漏れる。

彼女はそれを、水を張った金属製のバケツの中へ放りながらこう言った。

「ここは禁煙です」

「いーじゃねーかよ煙草くれェよー」

「ダメです。煙草の煙は、機械にとってもよくありません…そろそろ禁煙しませんか?」

「バカ言ってんじゃねえ。タバコやめるくれェなら死んだ方がマシ、だ。げほっ」

祐介の口から、小さな咳が出た。
それを見てメイドの様子が変わる。

彼の両肩に両手を乗せ、力任せに部屋から押し出し始めた。

「さあ、わかったら早く出て行ってください。ここは私が仕切る場所です」

「お、おい! 確かにおれはそう言ったがお前…!」

「あと、この施設はここだけじゃなくて全ての場所で禁煙です! 吸うなら外でお願いします!」

「ちょ、おい…弥生!」

「名前で呼ばないでくださいっ!」

ドア近くまで祐介を押し、彼に反応して自動ドアが開いた瞬間、メイドはそう言って彼を強く押し出した。
きょとんとする彼が部屋まで押し出された直後、自動ドアはぴしゃりと閉まる。

「……」

数秒の間、祐介はぽかんと口を開けて自動ドアを見つめていた。
だがやがて、また頭をかきながら舌打ちする。

「なんだよ名前で呼ぶなってよ…おめーの名前だろうが、中嶋 弥生(なかじま やよい)さんよォ」

つまらなそうに言いながら、施設内の通路を歩き始める。
するとすぐに、白衣を着た研究員らしき女が、前方の曲がり角から姿を現した。

「長井さま、探しました」

「あァ? なんだよ、どうした?」

「麻衣(まい)さまが…その」

白衣の女は口ごもる。
その言葉を聞いて、祐介はげんなりした表情を見せる。

「なんだよアイツ、またカンシャク起こしてんのか? 今日はなんだよ?」

「あの…有名パティシエのケーキが、昨日とは味が違うと…」

「はァ…それ系かよ」

祐介はため息混じりに言う。
困惑している女に向かって、こう言葉を続けた。

「どーせそれもアレだろ? 誰が食ってもわかんねーような違いだろ、それ」

「それは…その。私には、なんとも」

「…しゃーねえな、わーったよ。部屋か?」

「はい…申し訳ありません」

「ったくよ…なんでおれがアイツの世話してやんなきゃいけねーんだよ…」

「ほ、本当に、申し訳」

「おめーに言ってんじゃねーよ! いいから仕事戻れェ…」

「はい…」

祐介にそう言われ、白衣の女はそそくさと通路を歩いていった。
残された祐介は、うんざりした表情で通路を歩いていく。

無機質な通路を進み、いくつかの角を曲がると突き当たりにドアが見えてくる。
祐介が近づいていくと、ドアにはなぜかいくつかの靴跡があるのが見えた。

「……」

彼は、まぶたを半開きにした「ジト目」で、その靴跡を見る。
かと思うと、突然それに重ねるようにドアを蹴った。

当然、蹴られたドアからは大きな音が返ってくる。
祐介はそれを三度繰り返し、ようやくドアの真ん前に立った。

すると自動ドアがカタカタと震えながら開く。
直後、祐介の鼻は血の臭いを感じ取った。

「…このバカ…」

部屋に入ってすぐの場所には、3人の人間が倒れている。
そのどれもが、背中から翼が生えた細身の男たちだった。

なぜかその体には、大きさの違う穴がいくつか空いている。
それが致命傷となっているようだが、穴の大きさの割には出血がとても少ない。

だが、体内の組織が露出している臭いは、周囲にまき散らされている。
祐介がそれに顔を歪めていると、部屋の奥から声が聞こえた。

「何の用?」

少しかすれたような、女の声だった。
祐介は、うんざりした表情を隠すこともなくそちらを見る。

部屋の奥には、巨大なソファがあった。
そこに、丈の短い制服を着た少女がいる。

少女の前にはテーブルがあるのだが、そこにはワインのような、血のような赤い液体がこぼれていた。
そこに足を乗せているので、少女の靴下は白と赤が混ざっている。

この少女が麻衣というらしかった。
祐介は麻衣に、ぶっきらぼうな様子でこう尋ねる。

「…お前、今日は何人殺したんだよ」

「3人」

祐介の問いに、麻衣はつまらなそうに答えた。
彼女はすぐに「ちょっと聞いてくれる?」と彼に言う。

「へいへい…そのために来たんだ、聞いてやるよ」

「もーひどいのよ、あのパティシエのケーキ!」

よっぽどの不満なのか、その怒りはすぐさま爆発する。
祐介がなぜげんなりした表情なのか考えることもしないまま、彼女は一気にまくし立てた。

「食べてから3.8574939秒後にふわっとくる苦味が大好きだったのに、今日食べたらそれが3.1928858秒後に変わってるの! ふざけてると思わない?」

「…おめー自分がなに言ってるかわかってんのか? そんな細かーい時間を、人間が感じ取れるわけねーだろが!」

「あたしには感じ取れるもん」

「じゃあこれを聞いてもらおうか」

そう言って、祐介は懐からボイスレコーダーを取り出す。
麻衣がきょとんとした表情で見ていたが、やがて「あ」とバツの悪そうな笑顔になった。

何かに気付いたようだが、祐介はそれを見ても表情を変えない。
迷うことなくボイスレコーダーのボタンを押した。

すると、機械から彼女の声が聞こえてくる。

”んー! ここのケーキやっぱりおいしー! アレよね、食べてから3.648239秒後にくる、ふわっとした苦味がいいのよね! たまんないっ”

「…聞いたな?」

「誰の声? それ。すごくかわいい声だけど」

「おめー以外の誰だ、この声よォ。声紋調べるか?」

「うっさいわねー、いいじゃないの! リアライザ3体くらいが何よ。さっさと諭吉に変えちゃえばいいじゃない」

「おめーなァ、人の能力をシュレッダーみてーに言うのやめろ。で、その靴下…グショグショじゃねーか。気持ち悪くねーのか」

祐介は、真っ直ぐ伸ばした状態でテーブルに乗せている、麻衣の足を指さす。
彼女はスカートのすそを気にしながらも、足は下ろさない。

「いいの、これはちょっと実験してるんだから」

「実験だァ?」

「そ。リアライザの血とワインを混ぜて、それで染めたらどんな色になるのかなー? って実験」

「最悪の趣味だな、おめー」

「それよりさー」

麻衣は突然そう言って、テーブルに乗せていた足を下ろした。
するとすぐに、ソファの後ろから美しい青年たちが姿を表し、彼女の靴下を脱がしにかかる。

彼らの背中からは、白い翼が生えていた。
この少女を世話するために、ここに置かれているリアライザなのだろう。

裸足になった麻衣は立ち上がり、祐介を指さしながらこう尋ねてくる。

「あの黒メイド、いつまで飼ってるつもりなの? あたしアイツ嫌いなんだけど」

「飼ってるってペットじゃねーんだからよ。それよりおめー、実験はどうした。靴下」

「あの、『私いろいろ考えてますから』みたいな視線がさー、イライラくるのよねー。ほら、リバース・パスで見た女いるじゃない、アイツみたいでさー」

「おれの話聞いてねーな、おめー」

「名前なんつったっけ? えっとー、えっとー」

「…千晶か」

「そう! バカチーだよバカチー!」

「なんなんだよそのあだ名よォ…おめーの世界観、ホントおれにはわかんねえ」

「あの女ホントむかつく。自分はパパを助けなかったクセにさー、『名前を呼べないのは好きすぎてどうしようもなくなるから』とかさー! ホントバカじゃないのっていう」

「おめー、そんなセリフ憶えてんのに、なんで名前だけスパっと忘れてんだよ」

「憶えてたくないの、バカチーの名前なんか。だからまた、ちょっとしたらパパに『忘れさせてもらう』わ」

「その言葉が『言葉通り』ってんだから、うちのボスは怖ェもんだな」

「でしょ!」

祐介の言葉には皮肉が多分にこもっていたのだが、麻衣は顔を輝かせる。
彼のそばに走り寄り、興奮した顔でこう続けた。

「パパって、怒らせたらホント怖いの! ホントホントに怖いのー…そこがステキ! いつかパパの願いがかなったら、あたしパパに殺してもらいたい!」

「……で、どういう殺され方がいいんだっけ?」

「あのね、あのね! 足でお腹をグシャって踏まれてー、肋骨が折れるでしょ? それがね、内臓に突き刺さるんだけど、内臓だけじゃイヤなの」

「…もっと大事なところがいいんだよな?」

「そう! ぶち抜いてほしいのよ、あたしの子宮! でね、すっごい冷たい目で見下されながら殺されたいの!」

「……はあ…いろんな女見てきたが、おめーだけはホントわかんねえ」

祐介はただそう言って、首を横に振った。
麻衣は彼がなぜそんな仕草をするのかわからないのか、きょとんとした表情をする。

「わかんないかな? あんたもパパに殺されかかったらわかるんじゃない?」

「誰が好き好んで殺されかかりたがるんだよ、っておめーはそうだったか…とにかく、おれはおめーとは趣味が違うんだよ。性別だって違うだろ」

「そっかー…で、あの女はいつ殺すの? それとも諭吉に変えちゃう?」

「そういう予定はねーよ。アイツはよく働くしな」

「じゃあ、あたしが殺そっか? バカチーみたいでむかつくから」

「やめろ。アイツを殺したら、おめーを諭吉に変えんぞ」

「ぶー」

麻衣は口をとがらせる。
そして彼女は突然、その場で足から力を抜いた。

「!」

近くにいた翼の美青年たちが、すぐさま彼女の下へ滑り込む。
ふたり分の体が重なったところで、彼女の尻が彼らを敷いた。

「…ぐ」

少女は細身だが、健康体であれば45キロ以上あっておかしくない。
そんなものが上から落ちてくれば、うめき声のひとつも出る。

だが彼女は、突然無表情になってこう言った。

「…何か聞こえた」

「おい」

「何か聞こえたね、今」

麻衣は聞き逃していない。
それも、「不快な音」として受け取ったようだ。

「ねえ、祐介。今聞こえたわよね、『ぐ』って」

「いや、おれには…聞こえなかったぜ」

「あたしには聞こえたわ。ちょっと前のボイスレコーダー、再生して?」

麻衣がそう言うと、天井の一角から小さなノイズ音が聞こえてくる。
そして。

”…ぐ”

声が聞こえた。
この部屋の音声は、どうやらリアルタイムで録音され続けているようだ。

そしてその声を聞いた翼の美青年たちは、顔を青くしている。
何が起こるのかわかっているのか、恐怖に顔を引きつらせている。

「…あたし、太ったのかな」

麻衣はそう言いながら、すっと立ち上がった。
祐介は、美青年たちをかばうように「いや、そんなことはないぜ」と答えてやる。

すると、彼女の表情が明るくなった。

「そうだよね? あたし太ってないよね? 昨日から1グラムも増えてないよね?」

「グラム単位は知らねーよ。だが大事なのは見た目なんだろ、おめーの場合」

「そう! そうなのよー。だから見た目がおっけーなら、とりあえず体重の数値は気にしないでいられるんだけど…」

麻衣の目が、祐介から足元へ移る。
下敷きにされていた美青年たちを見た。

「じゃあなんで、さっき『ぐ』って声が聞こえたのかしら」

「…そりゃおめーが、勢いつけて座ったからだろーが」

祐介はなおも美青年たちをかばう。
だが彼女はさらに、敢えてそれを覆すように言葉を続けた。

「あたしが太ってないんなら、勢いつけて座ったってそんな声出ないはずよね? っていうか、出るわけないよね? テニスボールをお腹に乗っけたって、そんな声出ないでしょ?」

「なんでテニスボールかはわかんねーが、それだってスマッシュを腹に受けりゃーあんくれェの声は出るだろ。なんでも『時と場合による』ってものがあってだな…」

「聞いたのね? 祐介も」

「あ」

「あんた今、『あんくれェの声は出る』って言ったわよね? ってことは聞いたのよね?」

「いや、それは…ほら、さっき再生したろ。ボイスレコーダー。アレだよ」

「それって、あんたがボイスレコーダーで聞いた声が、こいつの声だって証明になるわよね?」

「あちゃー…」

少女の追求に、祐介はついに白目をむいた。
その後で、震える美青年に目を向ける。

小さな声でこう言った。

「わりィ」

そして彼は少女の部屋を出ていく。
彼の背後に、美青年たちの悲鳴が響くが…彼にはもう、どうしようもないようだ。

「精一杯やったんだがなァ…やっぱり無理だったな、うん」

その口調は軽い。
やがて彼は通路をまた歩き出し、どこかへと去っていった。


>ゆりかごの地獄 その4へ続く