3人の刺客 その7
(どうする…! どうすればいい!)
征司の目には、彼から向かってソファの左側に座るミハイルの姿が見えている。
その胸には穴が開き、顔は生気を失っている。
それは、部屋の外に出たミハイルの「第3の手」によって、偽魔をその体から抜き取られた姿だった。
やがてその体は、ゆっくりと空気に解けるように消える。
”さあ、その部屋に残る僕はひとり…その次はキミだよ。セイジ”
「く…!」
”その拘束から逃れられるはずがないんだ。さっきも言ったけど、この世界はつくりものであるとはいえ…キミが持っている力以上のものは出せない”
「……うぐっ、ぬうぅ」
”つまりどうしようもないんだよ。キミの戦いはここで終わる。それは恥ずかしいことじゃない…僕らがキミを守りたいと思ってやっていることなんだから”
「誰も…そんなこと頼んでない! オレは」
”答えを探しにきた、っていうんだろう? でもね、セイジ…”
ミハイルの「第3の手」が、人差し指だけを伸ばした形になる。
そして、征司から向かってソファの右側でうなだれるミハイルの胸に突き刺さった。
「…!」
征司の目の前で、青白い半透明な「腕」の中を偽魔たちが通っていくのが見える。
部屋の外にいるミハイルは、これで18柱の偽魔を得るに至った。
そして彼は、ドアを開けて中に入ってくる。
同時に、ソファでうなだれていたミハイルの体が消えた。
最後のミハイルは、そちらを見ないようにして征司に言う。
「…世の中には、知らない方がいい答え、っていうのもあるんだよ」
にこやかだったその表情は、少し引きつっている。
肉眼ではないとはいえ、自分で自分に手をかけるというのは、やはり通常の精神で行えるものではない。
征司には穏やかな表情を見せていた彼だったが、この時だけは瞳の奥に怪しい光が宿っていた。
やがて彼は首を左右に振り、自らの中に灯ったその光を打ち払う。
そしてなおももがく征司へと近づいた。
「…セイジ、これでもう終わりだ。あとはキミから偽魔たちを回収すればいい」
「う、ううぅ…」
「怖がることなんかないさ。痛みなんてないし、キミは消えたりしない。なぜなら、キミを消したり傷つけたりしないために、僕はこれから偽魔たちを回収するんだから」
「やめろ…オレは、オレは…!」
「恐らくキミはこのあと、何もかも忘れて戻るだろう。普通の場所に戻るだろう。どこかの家に戻って、普通の高校生と同じように、学校ばかりの日々を始めるんだ」
「オレはそんなの望んでない! オレは答えを手に入れるためにここに来たんだ!」
「…そんなに知りたいなら、教えてあげるよ。セイジ」
ミハイルはそう言って、青白い「第3の手」を征司の目の前に持ってくる。
そして、人差し指だけを伸ばした状態にした。
「これから先の戦いは、僕が引き受ける…キミは普通の暮らしに戻る。それが『答え』さ」
「そんなもの…! オレが望んだ答えじゃない!」
「人生、いつも自分が望んだ展開にはならないよ。それを知るいい機会さ…もっとも、キミは忘れてしまうだろうけど」
「冗談じゃ、な…!」
征司が言いかけたその時。
ミハイルの「手」が、その人差し指が…
征司の胸に、突き刺さる。
「うぐっ!」
彼の体はショック症状を起こし、しゃべることができなくなった。
ミハイルの「第3の手」は、彼と征司とをつなぐパイプの役割をする。
「さあ、セイジ…偽魔たちをもらうよ」
「う、う…!」
拘束台から動くことができず、なす術のない征司。
意識を失いそうになるが、必死の思いでそれは防いだ。
(やめろ…やめろ! オレはこんなことのために、今まで戦ってきたわけじゃないんだ!)
もはや、思い通りに口を動かすこともできない。
胸の中に寒々しさを感じながら、心の中で叫ぶ。
(答えを知りたい…オレがなんでこの戦いに巻き込まれて、なんで『ソロモンの魔手』なんてものがあって、なんでみんな死ななきゃならなかったのか…! でもそれには勝たなきゃならない! だからオレは勝ってきた…刺客たちを、殺してきた!)
青白いミハイルの「腕」の中を、小さな何かが通っていく。
それは、征司の体内にある偽魔だった。
ミハイルによる回収が、もうすでに始まっている。
それは征司をたちまちゾッとさせた。
(やめろ、やめろ…! 答えを知るためにみんなを殺してきたのに、今さら普通の生活になんか戻れるか! 何をしたって償いなんかできない! だったらせめて、オレが納得できる答えを知りたい…!)
そう思う間にも、征司の体から次々と偽魔たちが回収されていく。
それに従って、胸の中の寒々しさが増すような感覚に襲われる。
偽魔たちを奪われる代わりに、空虚な感覚が胸の中を満たす。
それは征司が知りたくなかった「答え」。
(いやだ…!)
そう思うが、何もできない。
今や、口すら動かない。
征司はなす術もなく、ミハイルによって偽魔たちを回収されてしまった。
胸に突き刺さっていた彼の「第3の手」が、ゆっくりと引き抜かれる。
「あ…あ」
それでやっと声が出せるようになった。
だがもう、征司はまともな言葉を口にすることができない。
その姿を見て、ミハイルは悲しそうな顔をした。
小さく、征司に向かってこう言った。
「…ごめんよ、セイジ。キミの望む通りにしてあげられなくて」
そして拘束台から離れる。
何もできなくなった征司を残し、ミハイルは部屋の外へ出ていってしまった。
「あ…!」
ドアが閉められる。
その音を聞く。
この瞬間、征司は悟る。
何かが終わったことを。
胸の中にあった寒々しさが、全身に広がっていく。
拘束台からどうにか脱出しようとしていた腕や足からは、力が一気に抜けた。
「…セェジ…」
征司のそばに、ヴァージャが姿を見せる。
偽魔たちがいなくなったことで、彼の拘束は解けたようだ。
「……」
一点を見つめたまま、動かなくなった征司を見つめる。
だが見ていられなくなったのか、やがて彼は目を逸らした。
彼に背を向けた状態で、ヴァージャはゆっくりとしゃべり出す。
「…ショック、だろうな…」
「……」
「正直、俺もショックだ。まさか、こんな幕切れになっちまうとはよ」
「………」
「だが、きっとこれでよかったんだろうよ。なんつーか…あいつさえ倒せねーのに、その先へ行くべきじゃなかった、っていうかよ…うまく言えねーが」
「……」
「それによ、もしかしたら何かの拍子に、どっかで事の顛末とか聞けるかもしれねーじゃねーか。なあ? 死ぬよりは生きてた方がいいってもんだぜ…」
「…」
「…セェジ?」
あまりに何の反応もないので、ヴァージャは征司の方へと振り返る。
すると目が合った。
「…う」
「……」
「な、なんて目ェしてやがる、お前…」
ヴァージャは思わず2歩、征司から遠ざかった。
征司の目は、虚ろでありながら突き刺すような視線を放っている。
うろたえるヴァージャに、征司はこう言った。
「似てるな、お前」
「…あ?」
「口調は違うけど…なんか似てる。オレの名前をちょいちょい呼ぶところとか、やたらオレを気遣ってるところとか」
「何の話してんだ、お前?」
「似てるって話をしてるんだよ…お前と、アイツが」
「…俺と、ミハイルが、か?」
「ああ」
「そうか…?」
ヴァージャは首を傾げる。
だが彼はピンとこないのだろう、結局首を横に振った。
「全然わかんねーな。それよりセェジ、お前なんともねーか?」
「ああ」
「そうか…今回のことは、敵側からしてみりゃ誤算だったろうから、もうしばらくこのまんまだと思うが…」
「……」
「ガッツリ固定されてるみてーだが、どっか痛いとかねーかよ?」
「大丈夫。それよりも、アイツがどこにいるかわかるか?」
「セェジ」
ヴァージャはやれやれといった表情で征司を見る
だがまだその視線は見慣れないのか、目を見ないでこう言った。
「アイツのことはもう諦めろ…俺がここにいるのに、赤い点とか見えねーだろ?」
「…ああ、見えない」
「ってことは、『偽魔つきの生体組織』を持ったヤツは、もうこの世界にはいねえってことなんだよ。もうちょっと待ってれば、お前もここから出されるはずだ」
「……」
「まあもっとも、出された後には記憶も何もなくなって、普通の暮らしってヤツに戻るんだけどな」
「アイツはもう、いないのか…」
征司はそう言って、背中に意識を飛ばす。
ヴァージャが解放されたため、彼の「第3の手」が背中から現れた。
そのヴァージャは、征司がなぜ今頃になって「手」を出したのかわからない。
わからないが、まずは彼の言葉にこう返答した。
「ああ、そう言ったろ」
「そうか…ふふっ」
征司はなぜか小さく笑う。
そして「第3の手」を使って、自らの拘束を解いた。
ヴァージャはそれを、不思議そうな顔で見る。
「お前…なんかやけにスパッと脱出したな、おい」
「ふふふ…そうか? そう見える?」
「…?」
ヴァージャは眉をひそめた。
征司の虚ろな視線を一度見て、彼にこう問いかける。
「お前…なんか変だぞ、セェジ」
「そうか? ふふふ…そうか?」
「ああ、変だぜ…負けたのがショックでおかしくなった、って感じでもねえ…」
「そうか? そう見える? ふふふふふふ…ふふふっ」
征司は、瞳は虚ろでありながら、口元はやけに横に広がっている。
それはまるで、出来の悪い人形が無理やり笑顔にさせられているような表情だった。
「……」
ここでヴァージャはついに、その顔に警戒の色を出した。
征司をにらみつけながら、低くドスの利いた声で尋ねる。
「てめぇ…何者だ?」
「ふふ」
征司は小さく笑う。
その後で、歪んだ笑顔を見せつつこう返してきた。
「オレはオレさ…わからないか? 征司だよ」
「なんか違う…お前、なんか違うぞ! 征司はそんな笑い方はしねえ!」
「ふふっ、ふふふふふふふふ…!」
征司の姿をした「何者か」。
それは、警戒するヴァージャの前で、征司とは違う笑い方で笑い続けていた。
一方、ミハイルの体に移動した偽魔たちは、総勢54柱となった。
その体内で、彼らは再会を喜び合うとともに、作戦の第1段階が成功したことを互いに喜び合うのだった。
「辛い決断でしたが、よくぞ耐えましたね」
「辛いのは我だけではない…そういう思いがあればこそ、耐えられた。それに」
「そう、我らの主人を普通の生活に戻すためなら、このような心の痛みなど大したことではない」
「そうだそうだ!」
「ぽわっ、ぽわわー!」
「ぷぷっぴ、ぷー!」
丁寧な口調の者、時代がかったしゃべり方をする者、そもそも言語を使わない者など、偽魔にはさまざまな者たちがいる。
その誰もが、今回の作戦で心に痛みを負った。
しかし、征司のためになるならと、全員がそれに耐えた。
共通の痛みは、その集団に団結を生む。
もともとは悪魔をモチーフにして作られた存在だったが、今彼らは間違いなく団結していた。
「次はこのミハイルの体を、肉片から人の姿へ培養することだ」
「そうだな。『彼ら』が待つ世界へ行くには、やはりどうしても自分の足があった方がいい…ん?」
偽魔の1柱がふとある方向を見る。
そこには征司の体内と同じく、ミハイルの視界が映し出された空間がある。
「なんだ、どうしたミハイル?」
偽魔はミハイルに尋ねる。
現実世界のミハイルは肉片だが、それが入れられたカプセルにはスピーカーが取り付けられている。
それは肉片が持つ電気信号を音声に変換する、というものだが、ミハイルはそれを使うことはしなかった。
代わりに、体内に自らの姿を作り上げ、偽魔たちと直接「交信」する。
しかしその第一声は、疑問に彩られたものだった。
「おかしい…オペレーターが、セイジを目覚めさせようとしないんだ」
「なに?」
「もうセイジの中には、キミたちのかけらすら残っていないのに…つまり、連中にとっては用がないはずなのに」
「まさかの事態が起きたから、混乱しているんじゃないのか」
「いや、そういう感じじゃない…見ててくれ」
そう言って、ミハイルは意識を体内から体外へ向け、スピーカーを使ってオペレーターに声をかける。
”…もう、セイジを目覚めさせてあげてもいいんじゃないかな”
「それはできません」
白衣を着た女は、事も無げにそう言った。
その反応に偽魔たちも不思議がる。
「『それはできません』、と言ったぞ」
「ああ、確かに聞いた…つまり、まだ予定を終えていないから、終わりにはできない…そういう言い方だな」
「予定? 予定とはなんだ?」
「それはわからない…偽魔を失った者に、予定も何もないはずだが…?」
偽魔たちはどよめく。
それを感じながら、ミハイルはもう一度オペレーターに声をかけた。
”まだ何かあるというのかい? もう彼には何も残ってないんだよ…もう、解放してあげて欲しいな”
「それはできません」
”なぜだい? キミの権限ではないからかい?”
「それもありますが、それが直接の理由ではありません」
”じゃあ、何が直接の理由なんだい?”
「それは言えません」
”…そうか。だったら言い方を変えよう”
ミハイルの肉片から、青白い「手」がゆらりと現れる。
それは生命維持カプセルを突き抜け、オペレーターの首に巻きついた。
「うげっ!?」
”早く彼をここから出して、自由にしてやるんだ…誰の命令がなくても、ここの機械でそれくらいはできるはず”
「ぐ、ぎっ…」
”それによってキミが罪に問われることはないよ。なんといっても、僕はこうやって実際にキミを脅している。それを上に報告すればすむだけのことだからね”
「が…」
”さあ、早く彼を解放するんだ。そして平和な暮らしに戻してあげてくれ。操作ができる程度には、力を緩めてあるはずだ”
「そ、それは…あがっ…できま、せ……」
”最後通告だ。彼を解放しろ”
ミハイルの「腕」が女の首に巻きついて絞めあげ、さらに「手」が鼻と口をふさぐ。
すると女は体を一度震わせて、動かなくなってしまった。
”…えっ”
これに驚いたのはミハイルである。
彼は慌てて、「腕」と「手」を女から離した。
”まさか、もう気を失ってしまうなんて…手足をバタバタさせたら、力を抜こうと思ってたのに”
ミハイルの声には、純粋な驚きが込められていた。
彼は再び、体内へ意識を飛ばす。
「…失敗してしまったよ。彼女が起きるまで待たなきゃならない」
「何をやっている…あせっているのか、ミハイル」
「認めたくないけど、どうやらそうみたいだ。だけど次は、気を失ったことを利用して言うことを聞かせられると思うよ」
「お前自身が操作することはできないのか?」
「無理だね…僕は今、ただの肉片なんだ。新しいことを学ぶには、脳細胞が圧倒的に足りない」
ミハイルは悔しげに言う。
自身の視界に映る機械を見ながらこう続けた。
「過去のことなら、データとして圧縮した上でこの身に宿すこともできるけど、あの機械を操作する方法を学ぶためには、過去データと引き換えになってしまうんだ」
「…そうか…だとすると、待つしかないのか」
「うん…今、僕が過去のことを忘れるわけにはいかない。せめて、この戦いが終わるまではね…」
ミハイルはそう言って、手前側を見る。
そこには、今も眠りつづける征司の姿がある。
ミハイルの生命維持カプセルは、征司が意識を失くした後でそのすぐそばに運ばれてきた。
椅子のようなこの装置に接続され、ふたりは同じ世界の中で敵として出会った。
3対1という、数に恵まれたミハイル側だったが、それでも征司の機転と作戦によってピンチに追い込まれた。
しかしあと一歩のところで逆転し、征司の体内にある偽魔たちをすべて回収して、現実世界に戻ってきている。
「セイジ…あと少しだ。あと少しで、キミは普通の生活に戻れる。本当に、あと少しだよ…!」
だがミハイルは、幽獄に残された征司がどうなっているのかを知らない。
それについては何も知らないまま、ただ女性オペレーターが起きるまで待つしかなかった。
この時間経過が、一体どういう事態を引き起こすのか。
今はまだ、誰も知らない。
>3人の刺客 その8へ続く