減薬の話? | うつ病主婦のここまで元気になったわけ。

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うつ病日記。10年間のうつ病克服の日記。
10年間の治療法や、大切な気づきについて。

おはようございます。

前回に引き続き、今回の減薬の
お話。

需要は無いかもしれませんが
書いてみます。

減薬開始、数日後

少しずつ離脱症状が出始めて
日常生活がままならなくなってきた頃

一人暮らし中の長女から
電話がありました。

「しんどかったら、帰ろうか?
(家事を、するために)」

「お願いします。」私

「その代わりに、一筆書いてもらいます。」娘

帰って来た娘に促されて
書いたメモ。
乱筆です。



私は、家族を頼るということが
本当に出来ませんでした。

友人に、お願いすることは
なんとか出来ても

家族を頼れない。

それは、毒母との育ちの中で

家族に迷惑をかけたら、
即座に見捨てられる。
捨てられる。

といった、強い縛りが心の中にあって

家族に迷惑をかけるくらいなら
死ぬまで、自分の体を使う方が
どれだけ安心か

そう、思っていました。

ですので、
どれだけ体調が悪くて、
辛くて、しんどくても

家族には話さない、
頼らない。

でも、我慢している分
イライラや、不機嫌な態度を
とっていたようで

それは、自分が思っている以上に
家族を嫌な思いにさせていたようです。

結局、家族を頼らない
自分でこなすということは

とても、独りよがりで
自己中なことでした。

幸いなことに毒母と縁を切り
(人生の中で、最高の決断の一つと思う)

幼少の頃からの毒母の洗脳で
出来上がった

認知の極端な歪み

私は、家族から愛されない
愛される資格もない

私は、人間のクズ
そのままでいることは、許されない

などなどが

うつ病で、いったんどん底に落ちた私が

その回復過程で

それは、認知の極端な歪みであって

事実かどうかは
また、別の問題である。

という事を受け入れていきました。

それは、不安から
安心を取り戻す過程でもありました。

それでも、長年の歪みは
そう簡単には消えなくて

離脱症状などで
冷静にものを考えられない状態になると

また、ジワジワと顔をだしたり。

手放した方が、どれだけ
楽になるかと分かっていることでも

手放す=変化する
ということの難しさ。

私の場合は、
うつ病の回復
育ちの中でのトラウマの克服

その二つを乗り越えることが
そのまま生きることになってきましたが

どうやら、うつ病の回復 寛解を
得ても

トラウマの克服のほうは
もうしばらく時間がかかりそうです。

次回は、うつ病が寛解してからの
心の持ちよう、考え方を
書いてみたいと思います。

あくまで、私の場合ですが。

暑さで、体力の90%を
持っていかれそうな毎日です。

それでも、気温の下がる季節は
必ずやってくる。

あと少し、頑張りましょう。