奇跡の作り方。 | うつ病主婦のここまで元気になったわけ。

うつ病主婦のここまで元気になったわけ。

うつ病日記。10年間のうつ病克服の日記。
10年間の治療法や、大切な気づきについて。

おはようございます。

相変わらずの、体調です。

懐かしい写真が、出てきたので
飾ってみました。


長男、小学六年生
長女、小学一年生
次男、幼稚園年長さん

の時の写真です。

この年から、3年後に
私は、うつ病と診察されて
お薬との付き合いが始まりました。

そして、一時間かけて
通院していた病院に
しんどくて、とても通えなくなり

近所の心療内科を紹介され
そこでは、
受診のたびに
お薬の量が増えていき

今では、うつ病のせいだったのか
薬の副作用だったのか

そうして
私は、何も出来ない母親に
なっていきました。

子育て中にも関わらず
思うように体が、動かない。

しんどい、辛い。

あれもしてあげたい、これもしてあげたい
でも、何も出来ない。

こんな、ママで
ごめんなさい。

こんな、ママは
嫌だよね。

何百回思ったことか。

子供達に申し訳なく
自分を責め続けました。



そして、減薬のせいでまた動けなくなった今。

大人になった子供達は

三人の子供達がそれぞれに

食器を洗い
食事を作り
掃除機を、かけ
洗濯物を干し

私の、心療内科の通院を
車で、送迎してくれます。

そして、頭を冷やして寝ていると
「頭、痛いんか?」

少し、体調が良くなると
「頑張ったねー!」
と、声をかけてくれます。

たぶん、彼らはこれからの人生で

弱い者、傷ついた者を
嘲ったり、責めたりはしないだろう

少しは、相手の痛みを
感じてみたりもするだろう

そんな大人になったのかなと
思うのです。

子供の頃
被虐待児だった私にとって家とは

辛く、悲しく、恐ろしい
場所でした。

ですから、

家族がお互いを
助け合い、支え合い
認めあう家庭とは

決して、当たり前などではなくて

それは本当に
奇跡そのものだと思うのです。


先日の写真


動けない私の代わりに
長男が、ホットプレートで焼きそばを作って
3人で、分け合っていました。

(掃除が出来なくて、なんてキタない部屋!
ハズカシイ…)


今、うつ病を抱えながら
子育てをしているお母さん。

動けない自分を
責めてしまいますよね。

それは、とても、とても
苦しいですよね。

それでも、だからこそ
あなたは、奇跡を作ることが出来る。

と、私は思うのです。

私は今日も
ゆらゆら、ゆっくりと
生きていきます。