小学生時代に、まだ板垣退助の百円札や岩倉具視の五百円札があった世代にとって、千円札は伊藤博文、五千円札・一万円札は聖徳太子って刷り込まれていた。巷ではドラマの『不適切にもほどがある』がスマッシュヒットして、昭和のノスタルジアに浸る機会が多くなったが、件の『不適切でも~』の舞台となった1986年は、奇しく私が就職した年。そのタイミングで、紙幣のデザインは一新された。今でこそ、「福沢諭吉」って有難がるけど、我々の世代は「聖徳太子」って言ってたもんだった。

 

 当時は現金が給料袋に入った形で支給されていたけど、渋い茶色っぽかった「伊藤博文」が青っぽい「夏目漱石」に、重厚だった「聖徳太子」は見慣れない肖像の「福沢諭吉」に変わり、折角の初任給なのに、若干有難みに欠けるような気がしたのを覚えている。まあ、それでもお金の価値に違いはないので、結構調子こいて散財したものだった。だって当時は週に一回、今は亡きサンデーサン(ファミレス)でステーキ喰ってたものヾ(- -;)

 

 そんな紙幣も、後に「夏目漱石」が「野口英世」に、「新渡戸稲造」が「樋口一葉」に変わり、もうすぐまた新しい紙幣に変わるそうだ(デザインは知らん!)。それどころか、今に紙幣そのものが流通しなくなる世界が構築されそうな勢いだ。しかし全てがデータ化されるというのはイコール為政者に監視管理されやすくなるという弊害もある。だから私は未だ“貨幣派”

 

※こう書くと決まって批判・反論を戴くが、これは飽く迄私見であるのでご容赦を……

 

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