昨年12月に、去る10月に死去した母親の納骨を済ませた。墓には既に父親の御骨が安置されていたが、骨となってからとはいえ、実に39年ぶりの“夫婦再会”の瞬間だった。

 

 昨年のブログでもしたためたが、この8日で“104歳の生誕日”を迎えた亡父は、大正9年生まれ。もういい爺さんとなった我が同世代でも、親が大正生まれなんてのは殆どいなく、よって、子供時代の日本国内での戦争体験は聞かされていても、私のように実際従軍したり、抑留された体験を父親から聞かされるケースは、他にない貴重な体験だった。

 

 

 思えば、呉にあった旧日本海軍の海軍工廠に勤務して重巡「最上」に乗船したり「大和」の設計に関わったり、そして日中戦争に従軍して実際にふくらはぎを弾丸で打ち抜かれた(銃創)体験もし、且つシベリアで4年間の抑留生活を強いられた父親と、小学生(国民学校?)ながら広島の原爆の惨状を目撃した母親を親に持った私と弟は、ホント貴重な体験談を聞くことが出来る環境で育ったといえる。

 

 それにしても、そんな年の離れた両親が如何に知り合い、そしてどういういきさつで私が誕生したか、断片的な記憶は聞かされていたものの、今となっては知る術はない。ただ言えるのは、どんないきさつであれ、その二人の間に誕生した私も、今や齢を重ねて、もはや生存を全うしてもおかしくない年齢まで到達した。

 

 

 もっとも、そんな私も、104年前の今日に、生きて会うことが叶わなかった祖父と祖母の愛の結晶として、父が誕生した“偶然”がなかったら、この世に存在することもなかったので、それが世の中にとって良かったか悪かったかは別として、その“偶然”には感謝しなければ、なんて思う。

 

 

 

 

 

 

 

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