俺には懐かしい特撮番組「イナズマン」 | yamaのブログ

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イナズマン(F)編(1973年10月~’74年3月)
この作品は、地方局で本放送から2年くらい遅れて観たのが最初である。
(いくら俺でも、本放映時、2歳くらいでTVに齧り付いて観てる訳が無い)
番組を観てた時の印象は、
・電話ボックスが秘密の地下基地への入り口になっている。(初期のみ)
・厚い雲の中から稲妻と共に現れるライジンゴー。
(イナズマンの乗る空・陸・海、万能のマシーン。後に観返したら、稲妻は他の番組のだった。何しろ週に最大42本もの特撮・アニメ番組が放映されていたんだ。子供の頃の記憶が錯綜してても仕方ない)
・主人公・渡 五郎を演じた伴 直弥(大介)は、「人造人間キカイダー」のジローでデビュー。「忍者キャプター」の”7”も演じた。後に、バトルフィーバーJ(BF・J)で、2代目バトル・コサックも演ってた。
(BF・Jは、ミス・アメリカも交代してたな。ヒーローとて代わりは、いくらでもいる、っていう現実を教えてくれた)

ストーリーは、原作(企画)は知らないが(復刻版の漫画「人造人間キカイダー」を読んで、敵として出てきたのには驚いた)主人公・渡 五郎は、超能力を持つ新人類(ミュータント)だと告げられ、、変な宗教じゃないが覚醒から解脱のイメージとして、幼虫が蛹、蛹が蝶へと羽化(変転)するという例え話を真に受けて、「」能力を持った「」(俺はだと思ってた)の化身・イナズマンとなり、超能力を持たない旧人類(劣等人種)を地上から抹殺しようとする新人類帝国と戦う、というのが話の前半。
(番組の第1話では、球形の鳥カゴみたいな中で悶え苦しんでるだけで、上記の漫画版にある「蝶」の例えは出てこない。漫画版の渦巻き状の触覚も、稲妻形になっている。正確には、前者は口吻(くちばし)であり、触覚ではない。アイキャッチのイラストもデザインが異なる)
前半は、サイキックVS改造(強化)ミュータント。
後半、「F」になってからは、世界征服を目論む独裁者・ガイゼル総統の野望を挫く孤独なレジスタンス、という物語であった。
(初期設定が無視、或いは、リセットされて、同時進行で描かれた漫画版と乖離していくのは珍しくない)

イナズマンに至るまでの2段階に変身するコンセプトは、他の作品でも見られたので新鮮味は薄い。
この作品の場合、全身ミイラ男ならぬ、蚯蚓(ミミズ)を巻き付けたような、かなりグロテスクで弱々しいサナギマン(「サナギマンは耐えた。イナズマンへと成長する時を」のナレーションが被る)を経て、本命のイナズマンへチェンジする時、石膏(?)で作った蚯蚓男(サナギマン)の張りボテが爆裂して、青色をしたスリムな蛾男が立ち上がるという、かなりカッコ良い演出が強烈だった。
(このシーンの演出は、特筆に価する。とにかくカッコ良い!!)
原作者の石森(当時)氏が監督・脚本を務めた11話以降では、写真に描き込む単純アニメから、多重露光の実写演出が使われたが、変身前の五郎の衣装との違いがネックとなり、凝った割りには観てるコチラはイマイチ。
(コスチュームを、俳優の自前にして、制作費をケチっていたせいだ)
倒れた帝王バンバから、敵がガイゼル総統率いるデスパー軍団に移行した後半(タイトルは「イナズマンF」となる)は、サナギマンから連続して(ベルトのゲージの進捗をインサートするだけ)、或いは、その前置きも無しで直接イナズマンになってたりと、2段階の成長・変身のコンセプトを無視した回も多い。
(特に「F」になると、弱っちいサナギマンがやられ続ける場面で流れてたナレーションも思い出したようにしか出てこなくなる。また、少年同盟の設定が消えて、FBIの秘密捜査官(オッサン)が唯一の仲間になる)

シリーズ通してのテーマ。特殊な能力を持った異形の存在である主人公の孤独と苦悩の戦いを主軸に描きながら、憎むべき敵にも同じ苦悩を背負った者がいるという多重のアイディンティティーのドラマを描いていたのは、子供時代の俺が見過ごしていた点であろう。
「今は、まだ分からなくても良い。大人になったら、思い出して、考えてくれ」
そんな宿題を出されていたように思う。

観る側から、作る側のしがない裏方になって今さらながらに思う。
「子供に変な事、教えるんじゃない」
と、世間の大人モドキが、もっともらしく騒いだ結果、商業主義と使い捨て、何より自ら考えて答えを出すという当たり前の成長を阻害する風潮が根付いてしまった。子供の教育、躾けに正解の書かれた教科書は無い。

俺も子を持つ親として、
「世の中は決して薔薇色だけではない。人間は、時に野生動物より浅ましく、醜い姿を晒すものだ」
と教えてきたつもり。
他人なんてのは、身勝手で、我儘で、不誠実で、期待はずれなものだ。そう言う自分も、他人からは同じ様に言われてるのだ。
自己評価は、実際の3倍、他人の評価は3分の1だ。9倍努力して、差し引きゼロ。10倍で、漸く「ふうーん。それで?」と、他人は冷淡だ。
他人の百倍努力していても、「他人の10倍くらいしか努力してません」と涼しい顔で答えろ。
誰もが強い訳でも、なれる訳でもない。人の不幸を喜ぶ欲望に抗えない人間の弱さを笑ってはならない。
人を笑ってるうちは、努力が足りてない証拠だ。苦しくて泣いてるうちは、まだまだ。苦しみを乗り越えれば、否でも笑えてくるだろう。

「俺を見ろ。年がら年中、ニヤケ面。何が、そんなに面白いのかって?
世の中、まだまだ俺の知らない事だらけだからさ」

と、ガキの頃に観た子供番組を観返して、長年の宿題の一部を終えたと思う。
よって、この番外編シリーズは、今回で終了である。
俺の戯言に御付き合い頂き、感謝します。
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