今日から、3回に分けて短編小説を掲載します。暇潰しにでも、どうぞ。
ACT-1
磯崎 今日子。
職業は、フリーのモデルである。2年前までは事務所に所属するモデルであったが、モデル業界の定年は早い。キャンペーン・ガールやミス・~の肩書きが付くコンテストの募集年齢枠を過ぎれば、自然に仕事のオファーが減っていく。アダルト広告やアダルト・ビデオへの誘いを蹴って、事務所をめでたく退職。
(芸能界は縁起を担ぐ。クビ(切り捨て)という縁起でもない言葉は禁句である。そんな予定など無くても[寿]退社として自主的に辞めてもらう。近年では、「自分を磨く為」と称して海外留学を理由にする場合もある)
自分で事務所を立ち上げ(親族や主な取引先である広告代理店のマネージャーの名義を借りて)今日子が、カタログ通販や有名・無名のチラシ広告モデルの仕事で食いつなぐフリーになって3年目。
午前5時。
彼女の朝は、早い。
下着の跡が付かないように、真冬でも裸で眠る。ベッドの上で寝覚めのストレッチを入念に行い、眠気を追い出すと、サウナ・スーツを着てジョギングに出掛ける。
朝晩のジョギングの為に、彼女は空気の汚れた都会を離れ、長野県の軽井沢に自宅を構えていた。
約1時間ジョギングで汗を流し、自宅に設えたトレーニング・ジムでアスリートさながらの激しい筋トレで、もう一汗流す。生理を誤魔化す為にピル(経口避妊薬)は欠かせない。過剰な女性ホルモンとのバランスを保つ為でもある。
シャワーで身を清め、朝食を作る。
世間が思う程、モデルは貧弱な食事で美容ダイエットなどしない。昼の弁当もついでに作りながら、朝食を作る。
休日に大量に作り置きして、冷凍しておいた春キャベツ・ロールと、おからとヒジキの白和え、鯵の開きと雑穀を混ぜた玄米粥に新玉ねぎの味噌汁といった平凡なメニューで、朝食は終える。飲み残しのほうじ茶をステンレス・サーモの水筒に移し、弁当とは別に東京にある事務所で働くスタッフのお茶受け用に、今日は春野菜の浅漬けと昨年漬けた酸っぱくなった野沢菜を醤油で漬け直した物をタッパに詰めてリュックに収める。これが毎日、一番、頭を悩ませる。
桜の花をイメージした薄いピンクのスラックスと、山吹色のブラウスを革のツナギに押し込んで、愛車BMW-K1200GTの大型バイクで佐久平駅へ向かう。コイン・ロッカーにツナギを押し込み、新幹線で東京に向かう。乾燥する車内で、ほうじ茶で喉を潤しながら、売店で買った新聞数紙を斜め読みする。モバイルでネットが使える環境ならノートPCで間に合うのだろうが、ケータイで新聞を読むのは目に悪い。それに、ネットに載らない新聞広告も、仕事のネタ探しの一環である。
東京の事務所は、午前9時始業。今日子は、通常、9時50分に出社である。彼女の出社が午前の休憩時間を告げる合図でもある。
朝イチの業務連絡とスケジュール確認を、茶飲み話をしながら男性・女性マネージャー各2名(営業を兼ねる)と事務の女の子1名とで行う。
「あの、ですね、社長・・・」
事務の子(時給840円で雇った経理士の卵。中井さん)が、単語ごとに区切るジャリ言葉で伝聞する。
「T・・・銀行さんから、催促、来てます。借入金の、返済の、月当たりの返済額を、上げてください、との事ですけど・・・」
「高野君(マネージャー・男)あれって、[・・・]の仕事の時に調達した資金よね?末期払い(決算確定後支払い、の事)だったわね。3月決算、終わってるはずでしょう?請求書送ってあるでしょう?」
今日子は、率直に高野マネージャーに振る。
「今月末には、振り込みになる予定ですけど」
高野は、この事務所を立ち上げた直後からのマネージャーである。デカいプロジェクトに絡んだ仕事に捩じ込んでいく力量は大した物であるが、入る金額が大きい程、出て行く金額が大きいのも事実である。目先の小金仕事(AVとか)を取ってこないだけが取り柄である。
「確かでしょうね?今日中に確認しといて。一時金は、さっさと片付けてね。お願いだから」
「了解です」
(芸能界は、魑魅魍魎が跋扈する世界である。口約束だけで、正式な契約書が交わされず、数ヶ月先の約束手形を担保に資金調達をしてイベントを開いた頃には、スポンサーが夜逃げして手形が紙屑になっている等は珍しくない。舞台公演などの前売りチケット代金を持ち逃げする輩の話は、大手芸能プロダクションでも、よくある話である)
タッパに用意してきた漬物を薦めながら、
「今年は雪が少なかったでしょう?去年漬けた野沢菜が凍みなくて、もう酸っぱくなっちゃって」
「毎年漬けてるんでしょう?大変よね。・・・こっちのキャベツは良い出来。[・・・]の浅漬けの素、使ったの?」
と、大竹(マネージャー・女)は、ごっそりと春キャベツの浅漬けを頬張る。彼女は、今日子が以前の事務所に所属していた頃から担当していた気の置けない間柄。
今日子が、独立して事務所を設立した時のブレインでもある。彼女なくして今日子の事務所は成り立たないと、大袈裟ではなく言える。
大竹女史は、今日子と同い年であるが、業界経験は先輩に当たる。コンビニでバイトをしていた今日子がスカウトの目に留まり、右も左も分らないまま芸能界に足を踏み入れた時から、今日子を育ててきた。
『アンタなんて、使い捨てカイロよ。揉まれても暖かくならなきゃ、ゴミ箱行き。そのつもりで仕事しなさい』
と、突き放した冷めた態度で今日子のマネージャーを勤めていた。
ある時、大手スポンサー側の要請(要するに、1発やらせろ。18禁)を拒んだ今日子に、
『この業界で生き残っていきたければ、女なんて捨てちまえ。私に、アンタみたいな美貌があったら、徹底的に利用するね。・・・何さ、たかがオXXコの一つや二つ。アンタが、寝てきた男は、そんなに立派な御仁だったのかい?』
無言で頷いた今日子に、大竹女史は単身、スポンサーの元へ乗り込んでいった。大手のCM出演がご破算になったのは言うまでも無い。
『気にしなさんな。仕事切られたって、これで終わりじゃない。商売は駆け引きだよ。安売りなんてするもんじゃない。私に任せな。もっとアンタを高く売り付けてやるから』
そんな事件以来、今日子がもっとも信頼を寄せる人間のひとりであった。
お茶飲み話ミーティングが終わり、今日子は社長業兼モデルとして、都内の撮影スタジオに向かった。多忙を極めるカメラマンのスタジオには、雑誌やTVで活躍する10代の若手アイドルから、今日子のようにスポット(広告写真)の被写体が待合室に行列を作っていた。
雑誌の表紙を飾るアイドルや、週刊誌の吊るし広告のアイ・キャッチ写真に至るまで、よくもまあ集まった物だと思う。
(そういう自分も、こういう所から仕事が始まっているのだが・・・)
自分の順番が近付き、控えの化粧室に入る。高野マネージャーがメイク班のチーフに撮影の意向を伝え、担当に回されたスタッフが、今日子の顔にメイクを盛っていく。デジタル修正が当たり前になって久しい昨今、現実には有り得ないメイクが編集の都合で行われている。生で見たらお化けだが、レス(修正)をいれたら絶世の美女誕生の舞台裏である。
今日の仕事は、カタログ通販の下着の写真である。衣装はマネージャーが持参している。安物のナイロンで、縁飾りフリルが邪魔なくらいの代物である。この下着の上から更に上を着たら、フリルがモコモコ、ボコボコと浮き上がって醜くなるだろうが、それは関係ない。20代後半のヤング・アダルトがスマートに着こなす、お洒落なアンダー・ウェアがコンセプトである。
毅然とした凛々しい立ち姿、リラックスした寛ぎの仕草。等を、カタログよろしく、数種類の色とデザインの下着を身に着けて、ブルー・バックの背景の前でポーズをとる。
待ち時間と、メイクと着替えの時間も含めて、4時間弱の撮影を終えて事務所に戻る。
春になって日が長くなったとはいえ、午後5時を過ぎれば夕闇が帳を告げる。
定時で上がった事務の中井の代わりに、大竹女史が事務を引き継いで、帰社した今日子と高野マネージャーに毒づく。
「高野君。例の請求書なんだけど・・・。交際費に、このレシートではマズイよ。5千円を超える領収書には、収入印紙を添付した正規の領収書を発行してもらいなさい。これじゃあ、必要経費で落とせないじゃない。毎度言わせないでよね」
高野に続いて、今日子にもお小言が飛ぶ。
「社長。バイクの車検代は、自分で負担してください。会社の所有物でもありませんし、通勤に必要というなら、通勤手当の月当たり2万円枠を超えた毎日の新幹線通勤は止めてください。会社経費は無制限ではないし、最近は顎・足・枕代(飲食・交通費・宿泊代)込みの仕事なんて無いし、税務署の笑い話にしかなりません。通帳預かりますか?」
大竹女史は、PCの画面を爪弾き、領収書を添付した会計報告書の分厚いバインダーを机の上で叩いて揃える。重い書類が机の天板を叩く音が響いた。
「私が、もっと稼げば良いんでしょう?・・・わかりました。だったら、もっと!もっと!!私が寝る暇も無いくらいに仕事取ってきてよ。あなた達の給料、2倍でも3倍でもしていいから!!!!」
勢い高ぶった今日子の発言に、マネージャー二人は沈黙せざるを得なかった。
そんな仕事が、どこにある?
今日子を道具に、あと一体、いくら稼げるのか?
芸能界でモデルのマネージャーを長く続けてきた二人でなくとも、答えに行き詰まるのは当然であった。
旬を過ぎた見てくれだけのモデル。ラジオやTVで間を持たせる話術もなく、お色気・SEXY・AVも拒否の20代後半の草臥れたフリーのモデルの需要なんて、たかが知れている。
それは、何よりも今日子自身が自覚していた。
どんなにスタイルや美容に神経を使っても、プロフィールの年齢の欄でぶち当たる限界であった。グラビア・アイドルなら隣りのお姉さん(せいぜい二十歳前後)。オタク世代でも、自分の母親よりは若い世代。今日子のように、20代後半で熟女AVへの声が掛かる世情では、先行きは暗い。
軽井沢へ行く新幹線の時間が迫っていた。
「御免ね、取り乱したりして。私、仕事選べる立場じゃないから。精一杯、頑張るから、みんなも頑張って」
今日子は、そう告げて帰りの新幹線に向かった。
駅のキオスクで、新刊の雑誌と夕刊を抱える程に買い求めて、帰途に就く。