2、オイコノミコスにおけるリーンカーネイトとしての子育て
結婚・離婚にかかる子供の親権を巡る争いに終止符を打つべくして制度が始動する共同親権について論じる前に、家政における子育てとは何なのか、「オイコノミコスにおけるリーンカーネイト」という概念から考えてみたい。
家政オイコノミコスとは、オイコス(家)とエコノミー(経済)を合わせた造語であり、クセノフォンによれば「家政を国家経営に見立て適材適所に人材を配置し予算を配分する事業」の事である。
ところで、人間の営みには大きく分けて5つの属性があると考える。具体的には1政治2恋愛3信仰4経済5その他である。1政治とは「内心における正義同士の衝突による妥協として生じる社会的営み(byジョン・ロールズ)」であり、恋愛とは「軍事合理と政治力学によって貫かれた恋愛の作業言語・皇語(すめらご)を用いて行われる一連の人類人口をあるいは増やす営み(by遠山玲央、筆者)」であり、信仰とは「組織的宗教との対比で人間の内心に止まる超自然的な神に対する勇気ある迷いの措定(byパウル・ティリッヒ)」であり、経済とは「労働価値と剰余価値を交換する資本利殖活動及びトレードそれ自体(byカール・マルクス)」であると筆者は定義する。また、その他とは4つの事象限の囚人のジレンマ・ナッシュ均衡「協力した方がトータルのマイナスが少ないのに、各々個別に合理的選択をした結果、誰かの効用にダメージを与えずに全体の効用を増大させられない状態(byジョン・ナッシュ)」を成形する第五のオルタナティブとする。
以上の人間の5つの営為を用いて家政オイコノミコスを定義すると、「政治的営みとしての結婚」と「恋愛的営みとしての生活」を経て「信仰的営みとしての子作り・子育て」を通した「経済的営みとしての家計管理」と定義できる。
「政治的営みとしての結婚」は本稿序章の「結婚について」に詳しく、「恋愛的営みとしての生活」は本稿序章の「離婚について」に詳しく、「経済的営みとしての家計管理」は目に見える数字の問題であるが、「信仰的営みとしての子作り・子育て」について別途言及するとすれば、リーンカーネーション(再受肉)という古典的概念が理解に親しむだろう。
そもそもカーネーションという言葉はword-incarnateすなわち「受肉した言葉」としての救世主思想から派生した言葉であるが、リーンカーネーションは「再受肉した神」という意味を持つ。筆者は子作り・子育てを通じて、子供という存在は家政オイコノミコスを司る神が夫婦の子供という形で受肉した存在ではないかという観念を強く持った。「神の子の父(byキリスト教)」と「生産手段たる女体(by共産主義)の結合とその結実を証しする「新たな神の受肉」という理解である。
つまり、親権争いとは信仰を巡る営為なのであって、その神学論争を避けるための共同親権制度導入というわけだ。
3、共同親権制度の国際比較(国際私法判例から)
本項では、国際私法判例にある国際結婚の事例から、諸外国の結婚制度特に離婚後の親権の行方について比較検討し、日本国として採用すべき共同親権制度のバックボーンを措定する。割愛。
付録・人類人口調整システムBellum Leonumにおける経路積分による神の存在証明
1、戦争とは、暴力独占主体としての国家的無答責の政理と国際法の戦争非合法の不徹底から来る合法的に人類人口を減らす営みである。
2、恋愛とは、政治力学と軍事合理に貫かれた恋愛の作業言語lingua franca皇語(すめらご)により営まれるあるいは人類人口を増やす営みである。
3、政治と信仰と経済は間接的に人類人口の増減に関与するが、戦争と恋愛が人類人口調整のメインストリームである。
→人類人口調整システムBellum Leonumのパースペクティブの措定
4、哲学とは、本来不可逆な経路を遡行し神知に至る道程である。
5、政治哲学は、哲人王政治すなわち神の権威を王と王制が保証する「神権王授」を理想とする。
6、政治とは、内心における正義同士の衝突による妥協として生じる社会的営みである。
7、神学とは、組織的宗教との対比で内心に止まる超自然的存在である神に対する勇気ある迷いを措定する営みである。
8、政治力学とは、人間の営みは全て政治力学的外観を呈するという立場から、代替可能なアクターによるシステムメンテナンスとして権力のプレゼンス・ポテンシャル・モメンタム・パワーを分析し行使し機能させるイノベーションの技術である。
→Bellum Leonumのジェネレイトするマテリアルを経路積分し神を導出して、政治力学をイノベーションし軍事合理をフィクシングする大和機関