『講義刑法学/井田』中止犯
『世界の共同主観的存在構造/廣松』読了
『ロマ書講解/バルト』第四章歴史の声「信仰は奇跡である」
講義刑法学/井田は、他の学説との対立を楽しむところに妙味があり、井田先生の学説が学問的真理と現場の都合に親和的かというと疑問である。刑法学は故意過失・過失故意の法理を一枚噛ませる事により全ての判断が外形を考慮した程度問題として政治化するため、場合分けして事細かに論じる事の学術的生産性はない。古い時代の枝葉末節に拘る衒学的思考だと断じる事ができる。
世界の共同主観的存在構造は、認識論のリブートに託けてイデアールな物の受肉の重要性を論じた廣松の論文であり、組織神学のオイコノミコスにおけるリーンカーネイトの論理的補強に使えるが、それ以上のものではない。もっと理解に苦しむ書き方をしてくれた方が思索の用に供しやすい。
ロマ書講解は、ティリッヒの信仰論と比較すると面白い。バルトは否定から入り否定しながら神への信仰を吐露していくが、ティリッヒは信仰論において神そのものを論じる事なく信仰の様式としての懐疑と勇気を論じており、神学の方法論としてはバルトは主観論、ティリッヒは科学的神学を志向したものと言える。バルトとティリッヒの読書体験に政治力学を加え、私の組織神学の鏑矢としたい。
ところで、数学の宇宙際タイヒミューラー理論が無神論的に神を導出する信仰の手引きとして有用だ。私はファインマンの経路積分を応用して神知に到達したが、宇宙際タイヒミューラー理論を認識系を数学象限にブン投げて受肉させる事で世界観を統一する神を導出する理論と理解しており、こちらも組織神学のオイコノミコスにおけるリーンカーネイトのロジックを補強するのに使える。
政治力学を十全に機能させるには、神の導出の共有と時宜に応じた神知の適用によるサポートが必要だ(私見)。私の政治力学は哲学的な神の導出(拙稿「神の存在証明」参照)と、政治的なcarnationを伴っていたためその機能性を発揮したのである。
私の論文は、哲学と神学の垣根を取っ払い、政治力学とリンクさせる論文となる。やっぱり放送大学大学院の院試を受験しよう。8月申し込みの10月11月受験だ。放送大学大学院は、提出された研究計画書を受けて担当教員を割り振るシステムなので、とりあえず指導教員に拘らず研究計画書を書けば良い。
いまの私に足りないのは論文のクオリティを高める手法ではなく、論文の体裁の整え方とデータベースへの登録のやり方だ。在宅で修士号取得する方向で。
軍産学複合体Leo J Toyama
『世界の共同主観的存在構造/廣松』読了
『ロマ書講解/バルト』第四章歴史の声「信仰は奇跡である」
講義刑法学/井田は、他の学説との対立を楽しむところに妙味があり、井田先生の学説が学問的真理と現場の都合に親和的かというと疑問である。刑法学は故意過失・過失故意の法理を一枚噛ませる事により全ての判断が外形を考慮した程度問題として政治化するため、場合分けして事細かに論じる事の学術的生産性はない。古い時代の枝葉末節に拘る衒学的思考だと断じる事ができる。
世界の共同主観的存在構造は、認識論のリブートに託けてイデアールな物の受肉の重要性を論じた廣松の論文であり、組織神学のオイコノミコスにおけるリーンカーネイトの論理的補強に使えるが、それ以上のものではない。もっと理解に苦しむ書き方をしてくれた方が思索の用に供しやすい。
ロマ書講解は、ティリッヒの信仰論と比較すると面白い。バルトは否定から入り否定しながら神への信仰を吐露していくが、ティリッヒは信仰論において神そのものを論じる事なく信仰の様式としての懐疑と勇気を論じており、神学の方法論としてはバルトは主観論、ティリッヒは科学的神学を志向したものと言える。バルトとティリッヒの読書体験に政治力学を加え、私の組織神学の鏑矢としたい。
ところで、数学の宇宙際タイヒミューラー理論が無神論的に神を導出する信仰の手引きとして有用だ。私はファインマンの経路積分を応用して神知に到達したが、宇宙際タイヒミューラー理論を認識系を数学象限にブン投げて受肉させる事で世界観を統一する神を導出する理論と理解しており、こちらも組織神学のオイコノミコスにおけるリーンカーネイトのロジックを補強するのに使える。
政治力学を十全に機能させるには、神の導出の共有と時宜に応じた神知の適用によるサポートが必要だ(私見)。私の政治力学は哲学的な神の導出(拙稿「神の存在証明」参照)と、政治的なcarnationを伴っていたためその機能性を発揮したのである。
私の論文は、哲学と神学の垣根を取っ払い、政治力学とリンクさせる論文となる。やっぱり放送大学大学院の院試を受験しよう。8月申し込みの10月11月受験だ。放送大学大学院は、提出された研究計画書を受けて担当教員を割り振るシステムなので、とりあえず指導教員に拘らず研究計画書を書けば良い。
いまの私に足りないのは論文のクオリティを高める手法ではなく、論文の体裁の整え方とデータベースへの登録のやり方だ。在宅で修士号取得する方向で。
軍産学複合体Leo J Toyama