2次結節で実戦を経ない社会システムやコミュニケーション結節は強固なものと言うよりは飽くまで心理と思想の間の結節をシミュレーション及び情報戦で凌いでしまったのであり、平和的な物理的手段による補完があってしかるべきである。

心理と思想の間に物理的な結節を作るイメージのアイテムとして私は刀に注目した訳だが、一次だけでなく十全の次元結節として機能した。引き続き刀で結節させて良い部分はそれで良いのだが、それ以外のコミュニケーションを平和的に結節させるツールとして言葉以外にその用に供すべき物を私は知らない。

しかしGPA理論を2次結節にダイレクトで適用する事は、リアルを捕捉し紡ぐ効率を減じる事になる。リアルを言葉で捕捉するために、その活用は抑制的でなければならない。新たな理論的支柱が必要だ。

私は日本の2次結節について「おしゃれ泥棒」と「佳子の自責(赤坂渡河作戦における手練手管の集積。「過去の事績」のもじり)」を採用してコトに臨んでいるが、前者はある程度大系化できるものの後者はmemeの形でしか残っていないので、適宜言語化して共有していきたい。

それ以外にも他の理論による補完についても鋭意行っている処であり、期待に沿うものを提供できる自信がある。

jleo0802