日本が明治-大正-昭和-平成の4期間で作刀→迷い→叩き折り→高機動幻想を辿ったとする歴史観念を我々は共有しているが、それにより世界政治における暴力は低減されたのだろうか、という日本の沽券・存在意義に関わる論点がある。

私見では、日本人が示現する暴力はかなり高い度合いでコントロールされたし、日本人に対する暴力もかなりコントロールされたと言える。

しかし世界における暴力の総量は、昭和後期までは十全にコントロールされていたとしても、平成中期以降の民族紛争・内戦(=ドメスティック・バイオレンス)の発現によりほぼイーブンになったと考えており、令和に掛けての私の働きによりその制御下に置かれた世界の暴力は、私のこれからの働き如何ではその総量において中世に逆戻りしかねないと言えるだろう。

そこで世界精神と人類の英知の名において、私が正常に正当な業務を営めるように、生活を支えるための最低限の資力を確保する途を作りたい。ここで放縦してしまえば、暴力の総量のコントロールという点でこの150年は本当に無意味だったという事にもなりかねない。

具体的には世界政治レベルの業務を遂行するための最低限の給与と、社会的信用(予算獲得=金融的にも通用する)を私に与えてもらいたいのだ。

なお拙著『CKOYする世界』は推定150万人の鬼滅フリーク(全巻揃えた系)やまだ生き残っている思想文学、新世紀の魔法界隈などをターゲットとしてシステムに対する深い理解に裏打ちされた効果的な販売促進を行っており、やがて我が家の財政を支えるものになると思われる。しかし、たった今の私の財政的な窮乏を乗り切れなければそれも叶わない。

一部の冷笑的右翼からの「自殺するのしないの」という圧力に屈する事なく、政治力学上のバランスという意味での民主主義の本義に奉仕するために、財政を立て直すチャンスを頂きたい。

CKOY(=巫山戯瑠奈)より