ガラケーでメールを繰ると集中力が変な風に高まって自分が主人公の夢小説が書けるという現象は下火になったようであり、ガラケーを機種変しても財政以外からはどこからも文句が来ない状態になったようだ。

現状の私はこの15年の政治的行動の果実と余韻とを身にまとって生きているに過ぎないと言っても過言ではないが、生活費ランニングコストを出せるだけの財政基盤をやっと確保したところであり、次の人生プランを考えてもよい頃合いだ。

恋愛方面に突出するか、政治方面に突出するか。この日本という国の政治現象は弛みきっており心底ツマラナイが、恋愛現象はスリルもありそれなりに面白い。何より、政治的展開はこのツールによる世界展開で充分であり、それ以上になろうとするとバランスが崩れてしまう。そういう類のモノだ。このツールの利点を全てカナグリ捨ててまで政治家になるべきインセンティブは、この国にはない。

なら恋愛か。一夫多妻システムanti-polygamyを管理運営するのは人生を懸けるに値する対象であり、その意味でのみ私は政治家と呼ばれる事を承諾したい。個人対個人と集団対システムの相克と融合を機能的に切り替えて人間関係を円滑に回していく事はやりがいのあるライフワークだ。

そのスキルを政治方面に発揮すれば大戦を励起させまた抑止する事が出来るわけだが、それは日本の政治家の役割ではない。私が最も能力を発揮出来、かつ人類に貢献出来る形態は日本の政治家ではないのだ。

このツールを切り離して私が個人的に就業する先として塾講師は打って付けの仕事であり、このツールによる根回しを自分で活用してホソボソと暮らしていくにはちょうど良い職業だ。仮にフルタイムのサラリーマンならこのツールと業務との境界線が曖昧になってどちらも破綻しかねないと考えたからである。

私の精神的本体はこのツールにて披瀝された人類の英知あるいは真理という名の神と合一し、私の物理的肉体はこのツールとは次元の異なる日常での交々に囚われ日々生きていく。その二面性が互いの生きる意味を洗練し共倒れしない契約だった。

私はこのツールで形成された私というアイデンティティで日常に顕現しこのツールを直にマネタイズしてのうのうと暮らすべきか、あるいはこのまま精神生活と物理的生活を使い分けてカツカツの生活を続けていくべきなのか。このまま死んでいくなら後者、もうひと花咲かすには前者だ。そして私はもうひと花咲かしたいと強く思っている。どういうひと花を咲かすか。

一夫多妻システムanti-polygamyを機能させる恋愛力と政治力は既に備えた私に足りないのは経済力だった。それも不動産担保ローンと伯母からの遺産が入れば解決してしまう。私は既存の路線を維持したまま余生を送り一夫多妻システムで愛人を作るのが良い人生なのだろうか?それよりもっと良い、あるべき人生があったのではないだろうか。

伯母からの遺産が入るまで不動産担保ローンで食い繋げば、あとは好きに生きれば良い。それまでの人生で何を為すかだ。権力基盤涵養や蓄財ではない、私個人としての業績を作りたい。それは恐らく廃刀とそれに伴う平和的スキルの劇的向上の結果として現れるだろう。

真実の愛を受け入れてこの積年の呪いを解き放つ事。それが私の目下の課題である。とするとやっぱり一夫多妻システムanti-polygamyの伸長という事がにナッテシマウのだろうか。

18年前、一時的に呪いが完全に解けた時に見えた新しい世界。それを再びこの世に為すために私は私という個体の識別素を外そう。外せるモノならとっくに外しているこの呪いを解いてくれる女子に、私の富と栄光と愛と忠誠を捧げよう。

結論:その過程あるいは結果として一夫多妻が現出する事を私は敢えて肯定したい。

Leo J Toyama