日本は、米国の「国外に敵を作る」モアパーフェクトユニオン構想に与する事はない。米国の敵は直ちに日本の敵とはならない。

日米安保を相務的にするとしても、それは「アメリカが武力行使を受けた際の戦術的な敵性兵器の破壊」を限度とする(拙稿「憲法九条と武力行使の三要件」参照)と解する。

日本がアメリカの侵略戦争に加担するような事はあってはならない

問題は、アメリカが戦争をしたとして、その思想的淵源(責任)が日本にある場合だ。その意味でゼロ年代の対テロ戦争は議論の材料として有益であった。

日本は、スーパーハイポリティクスで戦争を放棄するなら、スーパーローポリティクスでも同様に戦争を放棄しなければならない。放棄出来ないなら独自に戦争を制御する政治システムを構築し、国民の戦争欲求を統制する必要がある。

私は日本人は総体として戦争欲求を放棄する事は出来ないと考えており、そうして構築したPoYは日本人の戦争欲求を制御する事をセカンダリーな目的とする事は先述した通りだ。

結論:私が「日本国単独で限定戦争を遂行すべきだ」とした理由はここにある。